第8話 少年の内緒話
①「あいつが初めてだ」
「……ん」
なんの前触れもなく、目が覚めた。
いや、眠っていたのだから、きっかけがあったとしても気がつくわけはないのだが。
身体を起こして、部屋を見渡す。
時計を見ると、夜中の二時だった。
隣のベッドでは、恭弥が意外と寝相よく眠っていた。
なんとなくムカつく。
「ふぅ……」
たぶん、俺は緊張していたんだろう。
明日、理華にどうやってアレを渡そうかとか、そのときになんて言おうかとか。
そんなことを考えながら眠ったせいかもしれない。
ベッドから起き出して、財布を持つ。
カードキーをポケットに入れて部屋を出ると、廊下の明るさで目が眩んだ。
とりあえず、今は少し場所を変えたい気分だった。
見つかったら、まあそのときはそのときだ。
当然ながら、辺りは静かだった。
階段を降りていくと、ロビーに人の気配がした。
おそらく、見張りの教師だろう。
ロビーから見えないルートを選んで、ガラス張りの休憩室まで歩いた。
適当な椅子に腰掛けて、ふぅっと一息つく。
眠くなるまで、のんびりするか。
「こらっ‼︎」
と、思ったのも束の間、怒鳴り声がして、ロビーの方から人が歩いてくる。
ガタイがよくてイカつい顔をした中年教師、
「なにやってる! 夜中に出歩くな!」
武田は俺をギロリと睨み、至極真っ当な注意をした。
早かったな、タイムリミット。まあ、覚悟してたけど。
ところで、武田には今まで二回ほど、勝手に名前を使わせてもらった借りがある。
どっちも、理華を助けるための召喚獣としてだが。
その節は世話になったな、ありがとよ。
「さあ、早く部屋に――
俺が観念して立ち上がった、ちょうどそのとき。
「ああ、武田先生」
入り口の方から、涼しげな声がした。
見ると、生徒会副会長の
「む、隠岐か」
「すみません。そいつ、僕が誘ったんです。喉渇いたから、ついてきてくれって」
隠岐の口調は、俺が知っているのとはかなり違うものだった。
こういうのを、よそ行き、とでもいうのかもしれない。
若干、気持ち悪くなくもない。
「ふん、そうか」
「はい。飲み物だけ飲んだら、すぐ戻るので」
「……騒ぐなよ」
「はい、もちろん」
隠岐が言うと、武田はあっさりと怒気を収め、そのままロビーに戻っていった。
おいおい、ずいぶん扱いに差があるな。
「さて」
隠岐は当たり前のように俺の隣にきて、すとんと座った。
なにが「さて」だ。
「……聞きたいことが多いんだが」
「まとめてくれ」
「……俺を助けた理由は。それから、なにしに来たんだ。あと、なんで武田が引っ込んだ」
「助けた訳じゃない。自分が助かるためには、巻き添えにするしかなかっただろ」
「それはまあ、たしかに」
隠岐はもう、すっかりいつもの調子に戻っていた。
ただ、平坦で率直な物言いの中に、少し湿った色があるような気がした。
「喉が渇いたのは本当だ。楠葉がいて、俺も驚いた。見逃してもらえたのは、まあ、日頃の行いだな」
なるほど、シンプルな理由だな。
俺は召喚士だが、こいつは猛獣使いだったってわけか。
「おかげで、ルールを破るのが楽だ」
「悪いやつめ」
「ルールってのは大抵、その先にある危険を遠ざけるためにある。目的さえ達成できれば、ルールはただの手段だよ」
「まあ、言ってることはわかるが」
案外、柔軟だな。
変な言い方かもしれないが、もっとちゃんとしたやつなのかと。
「もちろん、ヤバいルールは守るさ。ただ、べつに今ここで休憩するのくらい、大したルール違反でもないだろ」
「……だな」
それから、俺と隠岐はそばにあった自販機でコーラを買った。
日本の自販機とは勝手が違ったが、隠岐はあっさり使いこなしていた。
「ところで、さっき三つ、質問したな」
「えっ」
隠岐の不穏な言葉に、俺は缶に口をつけたまま固まってしまった。
「なら、俺も同じ数だけ聞くが」
「……」
「お前が付き合っているのは、橘理華か。お前の印象が去年と変わったのは、それが原因か。お前たちが付き合っていることは、隠しておいた方がいいのか」
俺は、隠岐のことを舐めていたのかもしれない。
こいつは、あの須佐美を生徒会に引き込んだやつなのだ。
可愛らしい弱点のせいで、すっかり油断させられていた。
「……全部イエスだよ。くそっ……」
「そうか」
こんなことなら、部屋でおとなしくしとけばよかった……。
「……なんでわかったんだよ」
「べつに、大したことじゃない。たまたま、お前たちがパラセーリング中に、手を繋いでるのが見えただけだよ」
「えっ……マジか」
あんなに高くて、しかも陸からも離れてたのに……。
「安心しろ。お前たちだとわかったのは、顔が見えたからじゃない。判別できる距離じゃなかったからな」
「……なら、なんで」
「千歳が……」
そう言いかけて、隠岐はそこで突然言葉を切った。
それから、なぜか自虐的な苦笑いを浮かべて、諦めたような口調で言った。
「千歳が、見てたからな」
「須佐美が?」
「ああ。浜辺近くのベンチから、あいつが見上げてた。なら、飛んでるのは雛田冴月か、橘理華だ。あとは髪の色でわかる」
「な、なんだそりゃ……」
ホントかよ……。
たしかに、須佐美はあのとき、ひとりで陸で待ってたけども。
「手を繋いでるのはわかった。相手として可能性があるのは、お前くらいだ。そう考えたら、いろいろと合点がいったよ。ただ、確認は本人にするのが筋だろう?」
「……さいですか」
はい、もうお手上げです。
これで、結局生徒会はコンプリートか……。
「隠してるのか?」
「いや……そういうわけじゃないんだが」
「知られるのには抵抗がある、か」
「そんなとこだ。べつに、お前には協力する義理なんてないだろうから、広めたけりゃ広めてくれ」
「ふむ……。まあ、特にそうする理由もないけどな」
そう言って、隠岐はグイッとコーラを飲み干した。
ひょいっと放られた缶が、ゴミ箱に吸い込まれる。地味にすごいな、こいつ。
「……須佐美は」
いい加減話題を変えたくて、俺はそう切り出した。
だが隠岐はピクリと肩を震わせて、思いのほか大きなリアクションを取った。
さっきの表情といい、なんだ、いったい。
「あいつは、生徒会でもあんな感じなのか」
「……あんな感じ?」
「まあ、なんだ。超然としてるというか、得体の知れないというか……」
怖いというか。
とは、一応言わないでおいた。
「……そうだな。それから、少し怖い」
「ぶふっ」
「なんだ?」
「い、いや……べつに」
どうやら、言ってしまってもよかったらしい。
それにしても、やっぱり隠岐でも怖いのか、須佐美は。
怪訝そうな顔で、隠岐が続ける。
「優秀なやつだよ。正直、俺が敵わないと思ったのは、あいつが初めてだ」
「それは……なんとまあ」
いろいろとすごいセリフだな。
しかし、成績は隠岐の方が上じゃなかったか、たしか。
「……だが、あいつは生徒会より、お前たちといるときの方が楽しそうだ。それが、少し羨ましいな」
「えっ……」
その妙な声音に、俺は思わず隣にいる隠岐を見た。
けれど、隠岐は前を向いたまま、無表情だった。
「なあ、楠葉」
「……なんだよ」
「……俺は尊敬するよ。好きな女を、ちゃんと射止めたお前を」
「お……おう?」
それ以上、隠岐はなにも言わなかった。
帰り際、俺が投げた缶は、見事ゴミ箱のフチにはじかれて床に落ちた。
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