③「あなたたちはよく似てるから」



「……廉さんの交友関係が広がるのは、いいことです」


「そうね」


「彼が他の人から好かれたり、仲よくなることは、喜ばしいことです。なのに……」


「うん」


「なのに……あんな態度を取ってしまうなんて」


 私は、数時間前の出来事を思い出していました。


 廉さんが紗矢野さんとお話しして、一緒に笑い合って。


 そんなところを見ていると、自分の中の嫌なものが、どんどん膨らんでいって。


 我を忘れるくらい、イライラしてしまって。


「……理不尽に怒りをぶつけられて、廉さんも紗矢野さんも、きっと困ったと思います。……情けない。廉さんの足枷になっています……。私は、彼を支えたいのに……」


 恋人として、私が廉さんにしてあげたいこと。


 ちゃんとありのままの彼を愛して、彼の幸せを一緒に喜んであげること。


 それができない私に、彼のそばにいる資格が、果たしてあるのでしょうか……。


 『もっと愛されて生きてほしい』と、私は彼に言いました。

 本気で、そう思っていました。


 けれどもし、その気持ちがいつのまにか、変わってしまっているのだとしたら。


 もし私の存在が廉さんの邪魔にしかならず、かえって彼を、幸せや成長から遠ざけてしまうとしたら。


 だとしたら……私は――


「あら。あなた、楠葉くんを支えたくて付き合ったの?」


「……えっ?」


 千歳の不思議な質問に、私は思わず伏せていた顔を上げました。


 見ると、千歳はニヤリと口元を引っ張り上げて、こちらを見ていました。


「私はてっきり、もう楠葉くんが好きで好きで堪らなくて、独り占めしたくて、それで付き合ったのかと思ってたけれど」


「そ、そんな……」


 千歳の声は意外なほど軽くて、けれど、ふざけている様子は少しもありませんでした。


「だって、楠葉くんを支えるだけなら、べつに彼女にならなくてもいいじゃない。それこそ、紗矢野さんとの仲を応援して、ふたりがうまくいくように見守ってあげれば?」


「……そ、それは」


 千歳の言葉で、私の頭に嫌な光景が浮かんできました。


 廉さんが紗矢野さんと一緒にいて、手を繋いで、お互いに微笑み合って。


 廉さんは幸せそうで、でも、そこに私の姿はなくて。


 そんな……そんなのは……。


「嫌なの?」


「……絶対に嫌です」


「それは、今だから? それとも、もっと前から?」


 もっと、前。

 廉さんと、お付き合いする前。




『そ、そんなに仲がよかったですか? おふたりは……』


『千歳となにを話していたんですか、いったい』


『怒っていません。ただ、ずいぶん楽しそうだなって、思っただけです』




 ……そうでした。


 私は、最初から……。


「ね? なにも、今に始まったことじゃないわよ」


 千歳の意地悪な笑顔が、ふわりと柔らかく、優しい笑顔に変わりました。

 少し照れているようにも見えるのは、私と同じ光景を、彼女も思い出していたからかもしれません。


「もちろん、楠葉くんを支えたい気持ちを否定するわけじゃないわ。ただ、その役目を自分が独占したいって思うのだって、悪いことじゃないでしょう?」


「それは……」


「『無償の愛』のような言葉もあるけれど、あなたたちは『恋愛』なんだから。楠葉くんに『恋』をしてる自分を、もっと許してあげたら?」


「自分を……許す……」


「そう。恋してるなら、独り占めしたくなっても当然よ。でも、理華に独占されるのを楠葉くんが嫌がるかどうかなんて、彼に聞かないとわからないでしょう。あなたたちなりの妥協点だって、探せばきっと見つかるはずなんだから」


「……」


「ちゃんと向き合って、受け入れていくしかないわよ。でも、向き合うのは自分とだけじゃなく、楠葉くんともね。言わなきゃ、伝わらないのよ。あなたたちはよく似てるから、今までそんなことなかったのかもしれないけど。でも、ちゃんと言葉にしないと、心が通わないことだってあるの」


 千歳はそこまで言うと、ゆっくり立ち上がりました。


 それから私の隣へ来て、私の顔を見つめて。


「あなたが幸せになることが、一番大切なんだから」


 包み込むように私を抱きしめて、私の頬に自分のそれをくっつけて、千歳は言いました。


「楠葉くんにとっては、彼自身が幸せになることが大切で。それと同じように、あなたにとってはあなた自身の幸せが、なによりも大切なのよ。そして、あなたたちは自分の幸せのために、恋人同士になったんだから。それを見失わないで。ふたりが一緒に幸せでいられるように、まっすぐ向き合って、歩いていって」


 千歳の声は、なぜだか少しだけ、震えているようでした。


 でもひょっとすると、私が泣いてしまったから、そんなふうに聞こえていたのかもしれません。


「あなたたちにはきっと、それが出来るから。私だって冴月だって、いつだって助けるから。だからお願いね、理華」


「……千歳」


 それから、彼女は黙って私を抱きしめたまま、しばらくじっとしていました。


 振り解くこともできず、そうしたいとも思いませんでした。


 私は千歳と同じように何も言わず、彼女の背中に腕を回して、自分の涙がおさまるのを待っていました。


 私の目から雫があふれてこなくなった頃。


 千歳はスッと私から身体を離して、すっきりした顔で言いました。


「それじゃあ、頑張ってね。また後で」


「……はい」


 私は立ち上がって、千歳の部屋を出ました。


 ドアを閉める直前、私は何かを言わなければいけない気がして、立ち止まりました。


「千歳」


「……あら、なに?」


「千歳も、頑張ってくださいね」


 彼女は驚いたように目を見開いて、私を見ました。


 それからフッと、今にも消えてしまいそうなほど弱く笑って、言いました。


「私は、ダメかもね」

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