第2話 美少女と並ぶ

① 「……なんでここにいるんだよ」


 橘理華に会釈された、次の日の土曜日。


 当然その後も何も起こることはなく、噂も完全に鎮火し、俺は晴れて平凡な日常を取り戻すことになった。

 おかえり、俺の穏やかな日々。


 記念に何か美味いものでも食べよう。


 そう考えた俺は、昼間から贅沢にも、回転寿司に来ていた。

 家から最寄りの駅前にある、有名チェーン店だ。


 休日の昼時ということでかなり混んでいるが、ぼっちの俺にはあまり関係ない。


 『ひとり回転寿司』。


 大半の人間が忌避するそんな行為も、俺にとっては日常だ。

 むしろ、美味いものを食うのに連れなど不要。

 カウンター席なら待ち時間も少ないし、良いことずくめだ。


 すぐに案内された一番端の席に座り、熱い茶を淹れる。

 運のいいことに、隣は空席だった。


 ちなみに、店内でも帽子を脱がないのは、お気に入りだからだ。

 そりゃもう気に入っている。

 だから別に、人目が気になるとかそんな理由じゃないぞ。

 マジでめちゃくちゃお気に入りだから。


 目の前を通過しようとしたマグロの皿をサッと掴み、醤油をつけて食べる。


 うーん、やはり寿司は美味い。

 一皿100円でここまで美味いんだから、回転寿司もバカにできないよな。


 俺がマグロの二貫目を食べ終えた時、ついに隣席に客が来た。


 隣に客がいると、若干のプレッシャーを感じてしまう。

 カウンター席の唯一の欠点と言えるかもしれない。

 が、かと言ってテーブル席にひとりで座る方が、ずっと居心地が悪いことは明白だった。


 少しだけ身体を壁の方に寄せて、パーソナルスペースを確保する。

 ちらっと見えた感じでは、隣の客は若い女のようだ。

 もしかすると学生かもしれない。


 女一人で回転寿司とは、なかなか見所がある。

 どれどれ、いったいどんなやつが……。


「おや、あなたは、楠葉さんではないですか」


「……人違いです」


 人違いではなく、橘理華だった。


 橘は立ったまま無表情で俺を見下ろしていた。

 普段の学生服とは違う、シンプルで飾り気のない私服姿だ。

 腰の高い黒のボトムスに、涼しげな色味の上着が眩しい。

 そして私服の橘は、学校で見るよりも一段と美人だった。


 だが……くそっ……。

 せっかくの日常奪還記念なのに、なんでこんなことに……。


「こんにちは。昨日はどうも」


「……なんでここにいるんだよ」


「? おかしなことを聞きますね。お寿司を食べるために決まっています」


「……なんでひとりなんだよ。女子高生がひとりで回転寿司なんて、珍しすぎるだろ……」


「美味しいものを食べるのに付き添いが必要ですか? それに、あなただってひとりでしょう」


 まったく反論の余地がない。

 それどころか、橘の言うことはまさに、俺の考えとそっくり同じだった。


 橘は自然な動きで俺の隣に腰掛けると、熱い茶を入れて一口飲んだ。

 妙にその動作が似合っていて、俺は思わず見入ってしまっていた。


「なんですか」


「あっ、いや、別に……」


「そうですか」


 くそっ、気になって寿司が食えん……。


 そんな俺を尻目に、橘は鯛の皿を取って寿司を食べた。

 無表情が少しだけ緩まり、小さく動く口元がかすかに笑った。


 どうやら橘は、本当に寿司を楽しみに来ているらしい。

 周りの目なんて気にする様子もなく、ただ幸せそうに、寿司を食べている。


 俺はなんとなく自分の行為が肯定されたような気がしていた。

 自分では正しいと確信していても、他人にもそれを感じることで嬉しくなっているんだろう。


 我ながら、単純なやつだと思う。

 が、そう思ってしまったものは仕方がない。


「食べないんですか。お寿司」


「ああ、いや、食べるよ」


 言われて、俺は目の前を通ったイクラを取る。

 橘はエンガワを取った。


「……悪かったな」


「悪かった? なんのことですか?」


「いろいろ、噂とかされただろ。俺につきまとわれてるだとか、弱みを握られてるだとか……」


「そういえばたしかに、そんな噂がありましたね」


「だから……まあ、すまん」


 それは、心の端で気になっていたことだった。


 俺のような根暗ぼっちのせいで、リア充のイメージに傷が付いたんじゃないか。

 俺なんかより、ずっと多くの好奇の目に晒されたんじゃないか。


 もし万が一、橘とまた話す機会があれば、俺はそれを謝ろうと思っていたのである。


「謝られる理由がありませんね。噂話をしていた本人達に謝罪されるならともかく、楠葉さんには何も罪がないでしょう」


「い、いや……それはそうだが」


「それに、私は好奇心による勝手な憶測が生んだ噂など、気にしません。そんなものに惑わされたくありませんから」


「……そうだな」


 橘の言うことは、どこまでも正しい。

 そんなことは俺にだって、わかっていることだ。


 けれど、こんな考え方はふつう、簡単にできるものじゃない。

 それこそ俺みたいに、心の底から青春を諦めているような、そんなスタンスじゃなければ。


 それなのになぜ、橘のような美少女がこんなことを言うのだろう。


 俺は不覚にも、橘に興味を持ち始めてしまっていた。


「私は楠葉さんに感謝こそすれ、恨んでなどいません」


「……そう言えば、一つ聞きたかったんだが」


「なんでしょう」


「あいつ……あの、橘さんに告白した男子だけど、その後は何もないか?」


「その後、と言いますと」


「なんか、たちの悪そうなやつだったろ? 一見大人しそうなのに、キレるとヤバい。逆恨みで何かされてないか、気になってな」


 それにもし、橘の身に何かあれば、半分は俺の責任だとも言える。

 そう考えると、さすがに気にしないわけにはいかなかった。


 だが俺のその質問にも、橘はいつもの無表情のまま、なんでもなさそうな軽い口調で答えた。


「報復に来たので、友達と一緒に返り討ちにしました。もう来ないと思います」


「か、返り討ち?」


「はい」


 途端、俺は思わず吹き出してしまった。

 橘の可愛い顔と声から発せられたその言葉のギャップがなんだかおかしくて、腹を抱えて笑った。


「……おかしな人ですね」


「くふふ……いや、悪い。笑うつもりはなかったんだけどな」


「……まあ、いいですが」


 なんだかどうでもよくなってしまい、俺は再び寿司に集中することにした。

 橘はどうやら、俺が思っていたような普通のリア充とは、ちょっと違うらしい。


 今後も、きっと俺たちが関わることはないだろう。

 けれど、こんな橘の一面を知れたというのは、なんだかすごく、ラッキーなことのように思えた。


「ところで、楠葉さん」


「なんだよ」


「なぜ店内で帽子を被っているのですか?」


「うるせぇ」


 橘は本気で不思議そうに、コクンと首を傾げていた。


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