④ 「私がそう思うから」


 目的地のスーパーは、学校とマンションのちょうど間くらいにある。


 俺と橘はなんとなくの流れで、お互いの必要なものを一緒に見て回った。


「楠葉さん」


「ん?」


「カップラーメン、買い過ぎですよ」


「必要だからな」


「必要ではないでしょう」


 橘はジト目で俺を睨んでいた。


 そんなことを言われても、カップ麺は俺の生命線だ。

 買わなければ死んでしまう。


「食料は必要だろ」


「栄養が偏ります。食料ということなら、他にも代替物がたくさんあるでしょう」


「レトルトカレーとか?」


「野菜とか」


「冷凍パスタとか?」


「魚とか」


「惣菜パンとか?」


「どうやら意思の疎通ができていないようですね」


「そうか?」


 改めて思えば、俺と橘は随分と親しげに話をするようになっていた。

 橘は思ったより社交的、というか、話し好きのようだ。


 ただ、やはり一番大きいのは、気を使わなくていいということだろう。

 なぜか橘が相手だと、向こうの話題やペースに自分を合わせようという気が、ほとんど湧いてこない。


 価値観や考え方が似ているせいで、もともとペースが近いのだろうか。

 もしかすると、相手に好かれようとか、相手を楽しませようという思いが、お互いに無いのかもしれない。


 それが良いことなのか、悪いことなのかはわからない。

 橘がどう思っているのかも、全然わからない。


 けれど俺にとっては、こんなに気楽なことはなかった。


「これも買いましょう」


「あっ、勝手に納豆入れんな!」


「身体に良いですよ。ご飯にも合います」


「好きじゃないんだよ」


「好き嫌いはいけませんよ」


「ゴキブリ嫌いなくせに」


「食べ物の話です。それに、あれは生理的嫌悪感ですから、仕方ないんです」


「じゃあ橘は、嫌いな食いもんないのかよ」


「……ありません」


「露骨に怪しいな」


「あ、洗剤を買わないと」


「誤魔化すの下手か」


 その後も俺たちは、あーだこーだ言いながら買い物を進めた。


 数分後には別々に会計を終え、並んで袋詰めをする。

 橘はエコバックを取り出して、買ったものをそれに入れていた。


「細かいところしっかりしてるな、橘は」


「あなたがいい加減なんです」


「男はこんなもんだろう」


「性別は関係ないでしょう。人間性の問題です」


「そうかなぁ」


「そうですよ」


 一緒にスーパーを出て、マンションへ向かって歩く。

 食料ばかりの俺と違って、橘は日用品が多いのでエコバックがかなり膨らんでいた。


「ん」


「……なんですか?」


「持つよ」


「平気です。見た目ほど重くありませんので。でも、ありがとうございます」


「そうか」


 素直に手を引っ込める。


 必要なら助けるし、必要ないなら助けない。

 それが、俺が思う『友達』の自然な形だった。

 橘も、きっとそう思っているんじゃないだろうか。


「楠葉さんは、やっぱり優しい人ですね」


「……そんなことは」


「冴月のことも、すぐに許してくれましたし。むしろ、私の方が怒ってしまったようで……」


「……まあ、あいつは恭弥の彼女だからな」


「友達の彼女だと、すぐに許せるんですか?」


「良いところを知ってるからだよ。怒った理由もわかる気がしたし、そこまで嫌じゃなかったから」


「……そうですか」


 橘はそう言ってから、視線を正面に向けた。

 相変わらず、ピシッと伸びた背筋が凛々しい。

 小柄なのに立ち姿が綺麗で、存在感がある。


「たしか、夏目さんと冴月が交際を始めたのは、楠葉さんのおかげだとか」


「おかげなもんか。恭弥が勝手にそう言ってるだけだよ」


「そうなんですか?」


「ああ。俺はあいつが話すのを、ただ聞いてただけ。俺がいなくたって、あいつらは付き合ってたさ」


「話を聞いてもらえるというだけでも、時には大きなちからになると思いますよ」


「そうだよ。でも、その役目は俺じゃなくてもいい」


 ただ話を聞いて、相槌をうつだけ。

 そんなのは誰にだってできる。

 誰にもできるなら、それはむしろ、俺じゃない方が良いだろう。


「だから、恭弥が俺に感じている恩なんてのは、そんな大したもんじゃないんだ。ただ、偶然その相手が、俺だったってだけで……」


「そう、でしょうか」


「えっ……」


 橘は、こちらを見ずに言った。

 少しだけ斜め上に視線を向けて、不機嫌そうにツンと口を尖らせていた。


「夏目さんほど友達の多い人なら、相談相手はいくらでも選べたはずでしょう。冴月を好きになったんですから、人を見る目だってある」


「……」


「そんな人が、大切な恋愛の相談相手に、あなたを選んだ。そこには明確な意志があると、私は思います。それから、夏目さんの選択は、間違っていなかったとも」


「……なんで」


 思わず立ち止まった俺に、橘は身体ごと振り返った。

 道の真ん中で、俺たちは向かい合う。


「なんで……そんなふうに言ってくれるんだ? 俺なんかただ根暗で、自分勝手なやつなのに……」


「私がそう思うから。それ以外に理由なんてありません」


「……」


「楠葉さんはもう少し、自分を評価してあげてもいいと思いますよ」


「……無理だよ、それは」


「……そうですか」


 それっきり、俺と橘はまた、前を向いて並んで歩いた。


 当然、間に受けちゃいない。

 けれど、橘の言葉が嬉しかった。


 他の誰もそう思っていなくたって、橘一人だけでも、そう感じてくれているなら。

 それだけで俺は、贅沢すぎるほどに幸せだと思った。


 ……でも。


「……橘」


「なんですか」


「橘には、人を見る目はないと思うぞ」


「いえ、ありますよ。私の友達は、いい人ばかりですから」


「……そうかい」


 それは、俺も含めての話か?


 その質問は、今日のところはやめておくことにした。


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