③ 「では、私もそうします」


「楠葉さん」


 放課後、昇降口で靴を履き替えていると、聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

 顔を上げると、やはり橘だ。

 後ろには、雛田冴月が居心地悪そうに立っている。


「お昼はすみませんでした」


「いや、気にしてないよ」


 ぺこりと行儀良く頭を下げる橘とは裏腹に、雛田は気まずそうにもじもじしていた。


 いったい、何の用だ?

 報復か?


「ほら、冴月」


「う、うん……」


 橘に促されて、雛田が重い足取りで前に出た。

 雛田は半ベソをかきながら、スカートの裾を両手で握りしめている。


「……あの、楠葉」


「……お、おう」


「……お昼は、酷いこと言ってごめん」


 ばつが悪そうに視線を脇に投げながら、雛田はスズメの鳴くような声でそう言った。


「全部、理華に聞いた。……変なやつから助けてくれたのも、ゴキブリ退治してくれたのも。あんたが悪いやつじゃないっていうのは、恭弥と一緒にいるところ見て、わかってたのに……」


「い、いや、いいよ、そんなわざわざ……」


 まさか、あの気の強い雛田が、俺に謝りにくるなんて。

 いや、きっとこれも橘の差し金なんだろう。

 俺に謝らないと許さない、とでも言われたに違いない。


 だがそれでも、こうして謝られると、多少のイライラも簡単に吹き飛んでしまう。

 どうやら、というかやっぱり、俺は単純なやつらしい。


 ところで、橘は雷の件は話していないらしかった。

 まあ、その方が得策だろうな。

 あの出来事は、説明するには少し、恥ずかしすぎるし。


「理華、可愛くてモテるから、心配で……。あんたが追っ払ってくれた男子だって、しつこかったみたいだし……」


「ああ、返り討ちにしたっていう、あれか」


 口ぶりから察するに、雛田は直接関わってはいないようだ。

 ということは、やったのは須佐美か。

 あいつの返り討ち……想像するだけで恐ろしい。


「理華に近づいてくる男子って、大抵は下心ありきなのよ。だから、変に気を張っちゃってて……」


「まあ、そうだろうなあ」


「でも、あんたはそりゃ、違うわよね……。ホント、ごめん」


 そう言って、雛田はしょんぼりと項垂れてしまった。


 わかってる。

 恭弥から雛田が好きだって相談を受けてた時から、俺は全部わかってるんだ。


 雛田のこういう、友達思いで素直なところを、恭弥は好きになった。

 散々聞かされたから、よく知ってる。


 だから俺は、あんなことを言われてもべつに怒ろうとも思わなかったし、むしろ雛田の言う通りだ、とすら思っていた。


「楠葉さん、私からも、ごめんなさい」


「マジで気にしてないから、もういいよ」


「……そうですか?」


「あぁ。じゃあ俺、帰るから」


 向きを変えて、さっさと歩き出す。

 あんまり長いこと美少女と一緒にいたら、また目立つからな。


 それにしても、どうやら須佐美といい雛田といい、橘は友達からやたらと愛されているらしい。


 正直、放って置けないという意味で、二人の気持ちも少し分かる気がする。

 もちろん、本人には言わないけれど。


「楠葉さん」


 再びかけられた声に、ピクッと肩が跳ねた。

 脚が止まり、反射的に振り返る。


「……なんだよ」


「私も今から帰りです」


「……だから?」


「友達で、家が隣なんですよ? 一緒に帰る方が自然でしょう」


「そ、そうか。……そうか?」


「そうですよ」


 そうらしい。

 まあ、俺よりも橘の方が友達上級者だから、ここは大人しく言う通りにしよう。


 ……あっ。

 いや、ちょっと待て。


「……やっぱやめた」


「なっ……どうしてですか」


「目立つ」


「気にしすぎですよ」


「そっちが気にしなさすぎなんだ」


「目立ったからどうだって言うんですか」


 全く引き下がる様子のない橘は、俺の横にぴったりとついて離れなかった。

 俺は頭を掻きながら、いつもの南門を目指す。

 幸い、あそこならまだ、人目はかなり少ないはずだ。


「学校での居心地が悪くなるだろ」


「周囲の目を気にしている方が、よっぽど居心地悪いですよ」


「……まあ、そうかもしれないけど」


「それに、楠葉さんは直接誰かに詮索されたりしないでしょう? 友達少ないんですから」


「くっ……言い返せねぇ」


「気にしなければ良いんです。そうすればみんな、そのうち飽きますよ」


 橘は終始落ち着いていた。

 目立つことや、噂されることに慣れているのかもしれない。


 きっと、橘は俺なんかより、よっぽどそういう機会が多いに違いない。

 それなのにここまで堂々としているのは、素直にカッコいいと思った。


 俺ごときの目立ち方で、何をうろたえることがあるんだろうか。

 そう考えると、フッと身体が軽くなったような気がした。


「……帰り、スーパー寄るけど」


「そうですか。では、私もそうします」


「食料を買い溜めしなきゃなぁ」


 まあ、いいか。橘と友達になったんだ。

 どうせこれから、嫌でもそれなりに目立つことになるだろうし。


「あんまり偏ったものばかりはダメですよ?」


「へいへい」


「あ、真面目に聞いていませんね」


「聞いてるって」


「ところで、楠葉さん。冴月から伝言です」


「……おう」


「『悪いとは思ってるけど、あんたは嫌い』だそうです」


「……わざわざ伝えないでくれよ」


「必ず伝えてくれと言われまして」


「あいつ……」


 抜かりないというか、雛田らしいことだ。


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