④ 「あなた、今まで恋愛は?」


 翌日には、橘の体調はそれなりに回復していた。


 まだ起き上がるのは辛そうだが、意識は昨日よりもスッキリしているようだ。


「どうだ」


「……38度6分です」


「うん、まあ、だいぶマシだな」


 橘から体温計を受け取って、ケースに仕舞う。

 もう昼前だ。そろそろ買い出しに行こう。


「午後からは須佐美が来てくれるらしいから、それまでの辛抱だ」


千歳ちとせが……。そうですか……」


「ああ。今から買い物行くけど、何か欲しいものあるか?」


「……水分と、食べやすいものがあれば。あと、薬も」


「わかった、適当に色々買ってくる。一人にしても平気か?」


 橘はゆっくり頷いた。


 身支度を整えて、玄関に向かう。

 部屋を出る寸前、橘が小さな声で俺を呼び止めた。


「楠葉さん」


「ん?」


「……ありがとうございます」


「いいって。じゃあな」


 買い物から帰ると、既に須佐美は橘の部屋に上がっていた。


「おかえりなさい。ご苦労様、楠葉くん」


「おう。悪いな、わざわざ」


「理華のためだもの。それに私は部活もないしね」


 須佐美は深緑のニットにジーンズという、スマートな服装をしていた。

 学校での制服姿よりもいっそう大人びて、歳不相応に落ち着いて見える。


「橘は?」


「眠ってるわ。顔色は悪くないから、快方には向かってるはずよ」


「そうか、よかった。橘と話したか?」


「ええ、少しね」


 そんな会話をしながら、俺は買ってきた飲み物やゼリー、果物などを冷蔵庫に移した。

 風邪薬は須佐美に渡しておく。


「じゃあ、あとは頼む。あんたがいれば、橘も安心だろ」


「ええ。任せて」


「俺も向かいのマンションにいるから。何かあったら呼んでくれ」


 そう言って、俺は荷物を持って玄関へ。

 頼りになる須佐美のことだから、まあ大丈夫だろう。


「楠葉くん」


 突然呼び止められて、俺は靴を履きながら振り返った。


「……なんだよ」


「せっかくだし、やっぱり少し話さない?」


「話すって、なにを?」


「世間話よ。一人だと暇だし。もちろん、あなたが忙しくなければ、だけど」


 少し考えてから、俺は小さく頷いた。

 須佐美には来てもらった恩もある。

 それに、特別なにかやることがあるわけでもない。


「ありがとう。理華が寝てるから、小声でね」


「おう」


 ニコッと笑う須佐美。

 その余裕と見栄えの良さに、なんとなく生物としての格差を感じる。

 これといって欠点が見つからないのが、須佐美の恐ろしいところだ。


 橘の眠るベッドの横で、俺と須佐美はテーブルを挟んで座る。

 特に向かい合うというわけでもなく、ただ男女として適切な距離を取った結果だった。


「昨日はありがとう。理華を助けてくれて」


「不法侵入したけどな、ドアからとはいえ」


「私が許可したのよ。誰にも文句は言わせないわ」


「けっこう焦ったぞ。普通に倒れてたからな、そいつ」


「あなたがいなければ、けっこう危なかったかもね」


「ゾッとすること言うなよ」


「でも、事実でしょう」


 須佐美はクスッと笑った。


「ところで」


 そう言いつつ、須佐美はすっくと立ち上がって、橘の顔を覗き込んだ。


「あなた、今まで恋愛は?」


 おそらく、橘が起きていないかどうか、確認したのだろう。

 俺にそう思わせて然るべきセリフが、須佐美の口から出た。


 相変わらず、人の嫌がる話題を的確に射抜いてくるやつだ。


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