⑥「一応先輩として」


「あ、理華ー」


 中庭で廉さんたちとお昼を食べた、その日の放課後。


 終業のチャイムが鳴ってすぐ、冴月が私のところへやって来ました。

 今日から部活がないせいか、なかなか帰ろうとしない人が多く見られ、教室はいつもより賑やかです。


「冴月、どうしました?」


「うん。ちょっと部室に用があるから、先に恭弥たちと合流しといてくれない?」


「そうですか。わかりました」


「ごめんね。たぶん楠葉も生徒会室寄るんでしょうし、昇降口集合でいい?」


「はい。ではそういうことで」


「ありがと。じゃあお願いねー」


 言って、冴月は早足で教室を出ていきました。

 私もカバンを持って、廉さんのクラスに向かいます。


「お、橘さん、いらっしゃい」


 ドアを潜ると、すぐ近くの席にいた夏目さんが、ひらひらと手を振ってくれました。


 同じ部活でしょうか。

 何人かの男の子とお喋りをしていたようです。


 その方たちからの視線が集中するのを感じつつ、私は小さく会釈をしました。


「冴月は?」


「用を済ませてから、そのまま昇降口に向かうそうです」


「そっか。オッケー」


 夏目さんはそう言うと、まとまって帰っていくお友達に声をかけてから、自分のカバンに教科書を詰めました。


「さっ、廉は終わったかなー」


「たしか、修学旅行の資料を書き直すんでしたね」


 正確には、記入漏れを埋めて再提出、でしたか。


 見ると、廉さんはまだ自分の席に座って、広げた紙に何かを書いていました。


「おーい、れ――


「楠葉くーん。なにしてんの?」


 廉さんにむかって夏目さんが手を挙げた、ちょうどそのとき。


 ひとりの女の子が、廉さんの前の席にすとんと座りました。


 私たちはなんとなくタイミングを失ってしまい、頷き合ってから手近な椅子に腰を下ろしました。


「あれ? それって昨日出したやつじゃない?」


「書き忘れがあったんだと。今から埋めて、生徒会に渡しに行く」


 廉さんは意外にも、話し慣れた様子で答えていました。

 察するに彼女が、このクラスのもうひとりの修学旅行委員なのでしょう。


 こんなことを言うのはなんですが、そうでもなければ、廉さんにあんなふうに声をかける人は、滅多にいないでしょうから。


「えっ、ホント! しかも、そこ私が書くはずだったところじゃん!」


 可愛い子でした。

 それから明るそうで、人懐っこい笑顔が印象的でした。


「ごめーん! うっかりしてた……」


「気にするな。もう書き始めたし、出しとくよ」


「そんな、だめだめ! 私がやる!」


「いいって。隠岐おきには、俺が行くって言ってあるから」


 その方と話しながらも、廉さんは手を動かすのをやめませんでした。

 相変わらず無愛想というか、なんというか。


「廉のやつ、意外と真面目に仕事してるんだよなー」


「そうみたいですね」


「うん。紗矢野さやのさんとも、けっこうちゃんと話してるし」


「……そうですか」


「いやぁ、成長だなぁ。俺は嬉しいぞ、廉」


 どうやら、彼女は紗矢野さんという方のようでした。


 紗矢野さんは短い間に、ころころと何度も表情が変わっていました。

 きっと、私とは対照的な女の子なのだろうと、なぜだか私はそんなことを思いました。


「んー。じゃあ、一緒に行こっ」


「……なんで」


「だって私のせいなのに、先に帰るとかヤだもん。それに、隠岐おきくんにも謝りたいし」


「……はあ」


「こら! ため息つかなーい!」


 紗矢野さんは怒ったように、けれど楽しそうにそう言って、机に置かれていた廉さんの腕をペシペシと叩きました。


「あっ……」


 自分の意思に反して、私の口から短い声が漏れました。


「……まだもうちょっとかかるぞ、書けるまで」


「うん。待ってるね」


「紗矢野が待って、書くのは俺なのか」


「だって、楠葉くんがやらせてくれないんだもーん」


 廉さんは、いつも通りの気怠げな表情でした。

 ただ呆れたように、煩わしそうに、手元の紙と紗矢野さんを、交互に眺めていました。


 廉さんのそんな様子が、乱れそうになっていた私の心を少しだけ、落ち着かせてくれるような気がしました。


「先に、昇降口行っとく?」


「……そうですね」


 夏目さんの申し出で、私たちは一緒に教室を出ました。


 去り際、ちらりと見えた廉さんの横顔が、かすかに笑っているように見えました。


「……はぁ」


「橘さん」


「は、はい……っ。どうしました……?」


「まあ、そんなもんだよ、これからも」


「なっ……なんのことですか」


「ううん。ただ、一応先輩として」


 それだけ言って、夏目さんは歩調におかしなリズムをつけました。

 すれ違う方々とちらほら挨拶を交わしながら、愉快そうに歩きます。


 そんなもの、なのでしょうか……。


 まともな経験も、耐性もない私には、どうやらまだ、そういうふうに思えそうにはありませんでした。


 ……今日はひとりで、ゆっくりおいしいものでも食べることにしましょう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る