第10話 美少女が希う

①「男と男の話だからな」


「……なるほどな」


「……」


 ちょっとした……いや、けっこうなトラブルがあった、その数時間後。


 俺と恭弥は自分たちの部屋で、それぞれベッドに仰向けになっていた。

 なぜかふたりとも、持ってきたサングラスを掛けて。


 俺の話……つまり、今まで紗矢野との間にあったことの概要を、恭弥は短い相槌を打ちながら静かに聞いた。


 さすがに、話さないわけにはいかなかった。

 いや、俺は恭弥に、聞いてほしかったのだ。


「まあ、事情は大体わかったよ」


「……そうか」


 さすが恭弥。基本的にはバカだが、この手の話については俺なんかより、圧倒的に理解力が高い。

 それが普段は憎らしくもあり、今はひたすらに頼もしかった。


「それは、なんていうか、あれだな」


「なんだよ、あれって」


“ドンドンッ”


 俺が言葉の続きを促した、その直後。

 荒いノックの音が、ドアの方から響いてきた。


『ちょっと! 楠葉ー! 開けなさい!』


 雛田の声だった。

 不機嫌そうなその声音から察するに、たぶん俺を成敗しに来たんだろう。

 まあ、正直覚悟はしていたけれど。


 俺は観念して、渋々身体を起こした。

 だがそれよりも早く、恭弥がたたっと走っていって、ドアを開けた。


「っ、恭弥……。楠葉は?」


「いるよ。今反省中」


「そう。私も加勢するわ」


 雛田は恐ろしいことを言った。

 見えなくても、顔を顰めているのがわかる。


 どうか、お手柔らかに頼みたいもんだな……。


「いや、廉は俺が引き受けるから、冴月は帰ってくれ」


「えっ……」


 えっ……。マジか。

 まさか恭弥のやつ、追い払ってくれるつもりじゃ……。


「なんでよ。私にも文句言わせなさいよっ」


「ダーメ。気持ちはわかるけど、今はあいつも複雑だから、俺に任せろ。なっ?」


「……」


「俺が冴月の分も叱っとくからさ。でも、廉にだって味方が必要だろ?」


「……次のデートで、アイス奢ってね」


「わかったわかった。じゃあな」


「ふんっ。部屋でサングラス、意味不明だしっ」


 そんな捨て台詞のあと、遠ざかっていく足音が聞こえなくなったあたりで、恭弥が戻ってきた。

 そのまま、またベッドにばたっと仰向けになる。


「ふぅ。なんとか危機は去ったな」


「……よかったのか?」


「まあ、アイスくらい安いもんだ」


「いや……そうじゃなく」


「なんだ? 冴月にビンタされたかったのか?」


「違う……。ただ、まあ、なんだ……」


 俺が言い淀んでいると、恭弥は「ははっ」と軽い声で笑った。


「そもそも、男と男の話だからな、これは。女の子はいらないの」


「……そうか」


 わかるような、わからないような。

 だが今日のところは、素直に感謝しておくことにしよう。


「ふたりとも悪いだろ、今回は」


「えっ……」


「廉も、橘さんも。だって、付き合ってるのを隠してなければ、こうはならなかったかもしれないんだし」


「……だな」


 そう、恭弥の言う通りだ。いろいろ要素はあるとはいえ、結局この問題は、そこに端を発しているのだと思う。

 そしてそれを決めたのは、他でもなく俺と、理華自身なのだ。


「……正直、戸惑ってるよ」


「ほお」


「俺が、恋愛に慣れてなさすぎるってのはあると思うけどさ……」


「うん」


「なんか……理華みたいな子が、俺に……その、妬いたりするとか……思わなかった」


「……まあ、だろうなー」


 かけらも意外じゃなさそうな口調で、恭弥が言った。


 なんでもお見通し、らしいな。


「……それから、紗矢野に……」


「好かれてるとも思わなかったって?」


「ぐふっ……。いや……好かれてるのかどうかは、わかんないけどさ……。少なくとも、悪くは思ってないのかも、しれないというか……」


「いや、好きだろ、たぶん」


「うぐっ」


 くそっ……。こっちが慎重に言葉を選んでるっていうのに、こいつは……。


「……そうなのかな」


「まあ、話を聞いた限りではな。あと、見た感じ?」


「見た感じ……ねぇ」


 まったく、理解できない判断基準だ。

 だがこいつが言うなら、それはもう、そうなんだろうな……。

 俺と理華のときだって、そうだったわけだし。


「俺はそう思うよ。それに、みんなそう言うと思う。でも、そんなのは本人に聞かないと、結局わからないさ」


「……だよな」


「ああ。だけどわからないからって、そうじゃないって前提で行動するのは悪手だろ。人間関係なんて、そうやって予想して、うまく動くしかないしな」


「……ごもっともで」


 ぐうの音も出ない正論だ。

 だが、口で言うほど俺には簡単じゃない。

 まあ、恭弥もそれをわかった上で、あえて言ってるんだろうけれど。


「冴月も言ってたけど、勉強だよ、これも。俺だって、失敗してばっかりなんだから」


「そ、そうなのか……」


「当たり前」


 クククと不気味に笑ってから、恭弥は続ける。


「紗矢野さんには、それとなくダメサイン出すか、なんかの話題のついでに、橘さんのことを伝えられたらよかったのかもな」


「だ、ダメサイン……」


 また難しいことを……。


「まあ、それでもアプローチしてきたかもしれないけどな、紗矢野さんは」


「……」


 『アプローチ』という恭弥の言葉に、俺はなんとも言えない気恥ずかしさと、むず痒さを感じた。


 最初は、妙に懐かれている、という感じだった。

 だが昨日の夜、バーベキューの輪の外で話したときの紗矢野は、なんというか……。


 あのときの、橘に告白したときの俺に、似ていたような気がする。

 もちろん、自分がそのときどんな顔をしてたかなんて、俺にはわからない。

 けれど、そう思う。


「いいじゃん、もう。腹括って、付き合ってるってバラしちゃえ。で、橘さんとはしっかり仲直りして、それで終わり。だろ?」


「……そうだな」


 恭弥は、なんでもないというような調子で言った。


 だがきっと、それが正しいのだと俺も思う。

 嫌なことを後回しにしていた、そのツケが回ってきたというだけの話だ。

 なら、ちゃんと清算して、次は同じことが起こらないように気をつける。


 言葉にしてみれば、なんともシンプルなことだった。


「まあ、もっと言えばさ」


「ん?」


「俺も、ダメだったんだよなぁ」


 恭弥の声は、まるで独り言みたいだった。


「もっと、助けてやれると思ってた。紗矢野さんみたいな子が現れても、ちゃんと気づいて、問題が起こる前に助けてやれるんだろうなって、そう思ってたよ」


「……」


「反省した。廉は俺が思ってるより、モテるんだ」


「そっ……そうか?」


「うん。それから、今回みたいに偶然が重なると、俺でも矢印を見逃すことがあるんだ。自分を過信してたよ。今回はホント、反省点ばっかりだ」


 恭弥は最後に乾いた笑い声を漏らした。

 だが、ちらりと見えた横顔は、決して笑ってはいなかった。


「……いや、お前は悪くないだろ。そもそもは、俺の問題なんだから」


「そうかもだけどさー。でも、嫌なんだよ、俺」


「なにが」


 恭弥はガバッと身体を起こして、こっちを見た。

 釣られて、俺も同じように、ベッドに座る。


「せっかく、廉が楽しそうにしてるんだからさ」


「……」


「できるだけ守ってやりたいだろ、つらいことから」


 恭弥は、今度は満面の笑みを浮かべていた。

 人懐っこくて、でもやたらとカッコいい、こいつらしい笑顔だった。


「……なんだ、そりゃ」


 変に顔が熱くなって、俺はそれがバレないように、また横になった

 恭弥に背を向けて、揺れる壁を見つめる。いや、壁が揺れるわけ、ないのだが。


「廉よ」


「……ん」


「もっと、恋バナしようぜ」


「……」


「あいつ俺のこと好きかも、どうしよう、とか。どうすれば彼女と仲よくなれるかな、とかさ」


「……」


「もっと、普通に相談してくれよ。そしたら、今より助けてやれるだろ?」


 返事ができなかった。

 ただ壁に向かって、コクリと頷くことしか、できなかった。


「それに、その方が俺も楽しいしさ。ニヤニヤできるし」


「……アホ」


「もちろん、俺だって相談するぞ。おもに、冴月と喧嘩したときとか」


「……ああ」


「夢だったんだよ、俺。廉とそんなふうに、恋バナするの。はっはっは」


「……ダブルデートじゃなかったのか」


「それもな、それも。夢は多い方がいいだろー」


 恭弥は笑った。


 俺は上手く笑えなかった。

 けれど、ちゃんと楽しかった。


「……ありがとよ」


「バカ。親友だぞ、俺は」


「……そうだな」


 やっぱりこいつには、俺はまだまだ敵わないらしい。

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