④「こっちへ来てください」


「予定ないんだし、一緒にプール行こうよー」


「いや……さっき行ったとこだから、もういいよ」


「えぇー」


 紗矢野さんは口を尖らせて、それでも嬉しそうな笑顔で、廉さんの肩を揺すっています。


 普段通り気怠げな廉さんと、そんな彼にじゃれる紗矢野さん。


 ただそれだけの光景なのに、私はそちらの様子が気になって気になって、仕方なくなっていました


「なに? あの子、楠葉とプール行きたがってるの? 物好きね」


「おぉー。橘さんにライバル出現か」


「……違います」


「イケてそうな子なのに、なんで楠葉?」


「だけど楠葉くん、最近はちょっと雰囲気変わったでしょう? それで、惹かれる子が出てきちゃったのかも」


 言いながら、千歳はなぜだか申し訳なさそうな目で、ちらりと私の方を見ました。

 ですが今の私には、その表情に疑問を持つ余裕もないようでした。


「っていうかあれ、もう話し合い終わってるんじゃないの? 私たちがいるのも気づいてなさそうだし、連れてくる?」


「うーん。でも、今割り込むのは気が引けるな」


「そうね。だけど理華が……」


「……なんですか」


 言葉にわかりやすく不機嫌さが混じってしまい、私は恥ずかしくて顔をそらしました。


 こんなのでは、まるで私が気にしているみたいです。

 いえ、気になってはいるのですが……でも。


 ああ、ダメです。

 頭がうまく働いていません。


「とりあえず、もうちょっと待ってみるか、話しながら」


「うん。まさかついてったりしないでしょ、楠葉も」


 夏目さんの提案に冴月も賛成のようで、私もつい頷いてしまいます。

 ですが、そうするしかないような気がしました。


「でもそっか。もうプール見たんだ。綺麗だった?」


「まあ、広かったな。ほとんど流れるプールにいたけど、俺」


「あははっ。楠葉くんっぽーい」


「おい、どういう意味だよ」


「なんか、流されてそうだし?」


「悪口だろそれ」


「違うもーん、あははっ」


 モヤモヤが。


 頭と胸の中に、どんどんと悪いモヤモヤが広がります。

 息がしづらくなって、自然と顔が下を向くのがわかりました。


 廉さんにお友達ができるのは、いいことです。間違いなく。


 あの人は決して、自分で思っているほど、嫌な人間ではありません。

 それどころか、とっても優しくて、誰よりも人の痛みがわかる人です。


 そういういいところが、性分や言動のせいで、ちょっと見えにくくなってしまっているだけなのです。


「じゃあ買い物は? そうだ、一緒にお土産選ぼ!」


「えぇ……」


「いいじゃーん。買うでしょ? 家族とかにお土産」


「な、なんでわざわざ俺と……」


「ほら、お互い異性の意見もあった方がいいでしょ? 協力しよっ。ね?」


 だから彼には、もっとみんなに好かれてほしい。

 たくさんのいいお友達に、恵まれてほしい。


 お付き合いする前、私が言ったことです。

 その気持ちはもちろん、今も変わっていません。


 だから、こうして廉さんが人と関わることに、以前よりも前向きになれたのは。


 それは、絶対にいいことなのです。


 ……なのに。


「……もっと他に誘うやついるだろ、お前なら」


「それはさー、ほら……。もうっ、いいじゃん! そんなに嫌がらないでよー」


 ムカムカします。


 そわそわして、意識がそちらから離せません。


 なにも、そんなに急にお友達を作らなくたって、いいんじゃないでしょうか。


 それに、女の子なんて。


 趣味や好みが合うわけでもないのに。


 ちょっと委員会が一緒だからって。


 私とは、仲よくなるまでにあんなに時間がかかったくせに。


「……」


 ……いや、なにを言ってるんでしょうか、私は。


 こんなのは、よくないです。


 私のときと比べて、廉さんがいい方向に変わっている。

 そういうことです。


 とっても、いいことです。


 ……でも。


「んー。じゃあお昼一緒に食べよ? まだでしょ?」


「……まあ」


「やった! なにがいい? やっぱりお肉?」


 ……というか、そもそもあの方はなんなんでしょうか。


 べつに、ご飯くらい他のお友達と食べればいいんです。


 買い物だって、廉さん以外にも誘う人がいるでしょう。


 もし廉さんと友達になりたいと思っていたなら、これまでだってずっとチャンスはあったじゃないですか。


 彼が少し変わったらふらふら寄ってくるなんて、そんなの……。


 そうです、同じクラスだったくせに。


 ずっと、興味なかったくせに。


 そんなの、今さらです。ずるいです。


 私はずっと……もっと前から、ずっと……。


「理華?」


「……えっ?」


 突然の呼びかけに、私は反射的に顔を上げました。


 いけません、いつのまにか、ぼーっとしてしまっていたようです……。


「どこか日帰り旅行に行くのはどう? って、話してたんだけど」


「あ、ああ……すみません。ちょっと、考え事を……って、どうして笑ってるんですか……!」


 気づけば冴月と夏目さんが、ニヤニヤと私を見ていました。

 なんとなく、ムッとしてしまうような表情です。


「いやぁ、青春だなぁ、と思って」


「うんうん。可愛いわよ、理華」


「な、なんですかそれはっ! べつに、青春ではありません! 可愛くもないですっ!」


 私の反論も意に介さず、ふたりは私をニヤニヤ眺めます。

 ただ千歳だけは、少し心配そうな表情をしている気がしました。


 いずれにせよ、不本意です……。


 しかし、それもこれも、私の心が未熟だからです。

 もっと大人になって、冷静に、心に余裕を持たなければなりません。


 ……しかし。


「待て、まだ行くって決めたわけじゃないぞ……」


「えぇー……。なに? ふたりだと恥ずかしいの? 誰も見てないってー」


「そういうことじゃなくてな……」


「ならいいじゃんっ。楠葉くんの食べたいものでいいから。ねっ」


「……あ、あのな、紗矢野。俺、実は……」


「もーう! とりあえず行こっ。プチデートしよっ」


「こ、こらっ! 引っ張るなよ……」


 そのとき、ガタン、と音がしました。




「廉さん、こっちへ来てください」




 気がつくと、私はいつのまにか廉さんと紗矢野さんの、すぐ横に立っていました。


 さっきの音はどうやら、私がソファから勢いよく、立ち上がったときのもののようでした。


「り……橘? ど、どうした……?」


「みんなで、帰ってからの予定について話しています。ちゃんとあなたも参加してください」


「お、おう……いたのか」


「ね、楠葉くん! じゃあ後で待ち合わせね? 時間決めよっ」


「あ、いや……紗矢野」


「ダメです」


「……なんで? 終わってからなんだし、べつによくない?」


 自分がなぜこんなことをして、こんなことを言っているのか。


 私にはもう、なにがなんだかわからなくなっていました。


 ただ、胸の中になにかいやな熱さが渦を作って、私の心も身体も、まとめてそれに支配されているかのようでした。


「ダメなものはダメです。廉さん、早く行きますよ」


「ちょっと。なんで橘さんが決めるの? おかしくない?」


「おかしくありません」


「だからさ、なんでよ」


「そ、それは…………だって!」


「はいはーい。理華、ちょっとこっちに来ましょうか」


 突然後ろから肩を掴まれて、私はグイっと引っ張られました。

 抵抗することもできず、引きずられるように連れ去られます。


「ごめんなさいね、紗矢野さん」


 千歳でした。


 彼女の笑顔を見た私は、やっと少しだけ、落ち着きを取り戻せたような気がしていました。


 大きな声を出さなくて済んだのは、間違いなく彼女のおかげでした。


「悪いんだけど、今日は楠葉くん、返してもらうわね」


「……あぁ、そういう、ことね」


「ええ。本当に、ごめんなさい」


 私たちは当然ながら、すっかり周囲の注目を集めてしまっていました。


 いや、これは完全に、私のせいでした。


 困惑した様子の廉さんを連れて、私たちは逃げるようにラウンジを出ました。


 謝らないと。廉さんにも、紗矢野さんにも。

 そう思ったのに、できませんでした。


 おかしいです。

 こんなのは、私ではありません。


 けれどもちろん、そんなことはなくて。


「まあ、いい勉強かもね。理華にも、楠葉にも」


 冴月にそう言われた後も、私はずっと、千歳に頭を撫でられていることしかできず。


「でも、楠葉はちゃんと私がシメとくわ」


 冗談でもなさそうなそんな言葉も、今の私の耳には入ってこないのでした。

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