第4話 少年は海を渡る

①「日差しが強いからな」


 修学旅行一日目の朝は早かった。


 寝ぼけまなこを擦りながら家を出て、学校最寄り駅のロータリーへ向かう。

 大勢の学生に埋め尽くされた駅前は、浮き足立った雰囲気でざわざわと騒がしい。


 早速その熱気にやられ、俺は少し離れたところで、自分のキャリーバックに腰掛けた。


「ふわぁ……ねむ」


 あくびのせいで目の前が霞み、非日常感もあいまって足元がふわふわしてくる。


 当然ながら、俺を含めた全員、普段の制服や学生カバンではなく、ラフな私服で色とりどりの旅行カバンを持っていた。


 修学旅行前の独特な空気で、身も心も少し硬くなる。

 が、今までとは違って、俺の気分はそこまで重くなかった。


 この手のイベントは嫌な思い出ばかりなのに。

 やっぱり、俺は変わったんだろうな。


「あ、楠葉くんだ! おはよー!」


「……ん」


 声のした方を見ると、紗矢野さやのが満面の笑みで手を振っていた。

 相変わらず、声がデカい。


「ちゃんと来たんだねー」


「そりゃ来るだろ」


「いやー、楠葉くんなら直前にめんどくさくなってそうだなって」


「……まあ、それはその通りだが」


 正直、昨日は今日と違って一日中憂鬱だった。

 嫌、というわけではなく、紗矢野の言う通り、面倒だったのだ。


 出かける前日というのは、なんであんなに面倒になるんだろうか。謎だ。


「行こっ! そろそろ点呼しなきゃだし」


「ん? あぁ……そうか」


 カバンを引いていく紗矢野について、俺は自分のクラスの塊の前方に移動した。


 修学旅行委員の仕事は基本的に、点呼と連絡だ。

 頼むから、遅刻とか行方不明とか、出てくれるなよ。


「人数確認できましたー!」


 点呼が終わり、紗矢野が担任に報告する。

 他のクラスも問題ないようで、生徒たちは次々とバスに乗り込んだ。


「よっ、廉」


「おう」


 バスの隣は恭弥だった。

 たぶん喧しいんだろうが、長時間知らないやつの横にいるよりはずっとマシだろう。


「持ってきたか? あれ」


 ニヤニヤとした悪い笑顔で、恭弥が聞いてくる。


 あれ、というのは十中八九、サングラスのことだ。

 べつに言ってしまっても問題ないだろうに。


「ああ」


「おぉー! ノリノリじゃん!」


「日差しが強いからな、向こうは」


「うんうん。日差しがな」


 そう、日差しだ。

 それに、眩しいとよく見えないからな、色々と。


 その後、浮かれた連中によって、バス内は案の定喧騒に包まれた。

 しょっぱなからこのテンションで、四泊五日持つのか、こいつらは。


 空港までは二時間。

 俺はさっさと持参したアイマスクを着けて、背もたれに身体を預けて目を閉じた。






「うぉーーー‼︎ 飛ぶぞ、廉!」


 飛行機の窓から外を眺めて、恭弥が子供のように叫ぶ。

 ほかのやつらも同じように、わーわーと盛り上がっていた。


「そりゃ飛ぶだろ。っていうか、飛んでくれなきゃ困る」


 とは言ったものの、本当に飛ぶのか、これが……。

 飛行機初体験の俺に言わせると、にわかに信じがたい。


 いや、もちろん飛ぶんだろうが、そういう理屈とは離れたところで、どうしても拭えない不安がある。

 まあ、いくら尻込みしてももう、身を任せるしかないんだが……。


 それからしばらくして、飛行機が離陸態勢に入った。

 機内アナウンスにおとなしく従って、俺も覚悟を決める。


 ところで鬱陶しいことに、横にいる恭弥は余裕の表情で、ずっと楽しそうにしていた。


「……うおっ!」


 一気に加速して、飛行機がふわりと浮き上がる。

 椅子に縛り付けられるような圧力と、独特な浮遊感が俺を襲う。

 揺れが収まるまでの間、俺は一言も喋れず、ただ黙って耐えていた。


 やっぱり普通に怖い……が、まあ、こんなもんか。

 慣れると案外平気だな。

 いや、そりゃそうなんだけども。


 だがそう思う一方で、俺はふと、とあることに思い至った。


 ……理華のやつは大丈夫だろうか。


「……」


 俺の脳裏に、青ざめた顔で気絶しそうになっている理華の姿が浮かぶ。


 あいつ、怖いもの多いしな……雷とかホラーとか、ゴキブリとか。


 ま、まあ、事前にはなにも言ってなかったし、さすがに平気なんだろう、うん、たぶん……。

 それにもしダメでも、近くに雛田たちがいるだろうし……。


 ……心配だな。


 俺のそんな不安にも構わず、飛行機は進む。

 グアムまでは約三時間だ。


 窓のフチに肘を突いて、俺は恐る恐る外を眺めた。


 いつの間にかすっかり遠のいた日本列島と、眼下に広がる海。

 緑と青の見事な対比に、俺は不覚にも、多少感動していた。

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