② 『私が許可するわ』


 その日は酷い雨だった。


 学校から帰る間にびしょ濡れになる程度には傘の意味もなく、俺は帰宅するなりシャワーを浴びた。

 その後は飯を食い、雨音を聞きながらいつも通りゴロゴロした。

 夜になるとついでに雷もゴロゴロ鳴り始め、窓から見える街並みはどんよりと重苦しかった。


 こんな夜は漫画でも読むに限る。

 スマホから購入したタイトルの一巻を読み終わる頃には、俺はすっかりその作品にハマってしまっていた。

 明日はちょうど土曜日だし、まとめ買いしてしまおうか。

 ちなみに、俺は電子書籍派だ。


 “ドゴォォォン!!”


 そんなことを考えていると、地響きとともに激しい雷鳴が轟いた。

 100パーセント、落ちただろう。

 しかもかなり、近そうだ。


 土砂降りの日に家にいられるってのは、なんだか得をした気分になるなぁ。


 俺は呑気にそんなことを思いながら、スマホの中の漫画のページをどんどんめくっていった。


「……」


 ……ん?


 なんか、重要なことを忘れてる気がする。

 いや、重要というか、なんというか……。


「……あっ」


 橘だ。


 この雷。 橘のやつは、間違いなく部屋で震えてるはず。


 前回は自分から助けを求めに来たが、今回はその気配もない。

 以前よりも関係は良好だから、来てもおかしくはないんだが……。


 ……いや、これだとまるで、橘が来るのを期待してるみたいじゃないか。

 便りがないのは元気な証拠。

 何もないということは、平気なんだろう。


 真面目な橘のことだ。

 ひょっとすると前回の反省を受けて、こっそり雷を克服したのかもしれない。

 そうだ、そうに違いない。


「……」


 あー、くそっ。


 俺は傘を持って、おずおずと部屋を出た。

 一応、確認しておいたほうがいい気がする。

 何もなければそれでいいが、もし腰でも抜かしていたら、わりとただ事じゃないからな。


 強風に煽られた雨が、斜めに叩きつけてくる。

 傘が重い。風呂で清めた身体が濡れるのも早々に諦めて、俺は橘の部屋があるB棟を目指した。


 部屋の前まで来ても、中からは物音一つしなかった。

 叫び声もしないとは、どういうわけだ?


 普通に考えれば、不在だろう。

 だが、時間が時間だ。妙に胸騒ぎがする。


 生憎、橘の連絡先は知らない。

 こんなことなら交換しておけば良かったが、そこは友達付き合い初心者の俺のなせる技、ご愛嬌だ。


 その代わり、なぜか半ば無理やり教えられた、須佐美の連絡先がある。

 まさかこんなところで役に立つとは。


『今、橘と一緒か?』


 それだけの内容を、メッセージアプリで送信する。

 不在だとすれば、きっと雛田か須佐美のところだろう。

 天気予報でも降水確率は90パーセントだったから、こんな時間まで一人で出かけているとは考えにくい。


 須佐美からの返事は早かった。


『違うけれど、どうかした?』


『雛田と一緒って可能性はあるか?』


『いないと思うわ。今日はまっすぐ帰ったはずだけれど』


 それにしては静か過ぎるぞ……。


『雷が鳴ってるのに悲鳴がしない』


 その文面に既読がついても、須佐美は返事を送ってこなかった。

 代わりにスマホが震え、画面には『着信』の文字。


「……もしもし」


『部屋の前にいるの?』


「あ、ああ。ちょっと、野暮用で」


 真っ先に言い訳が口をつく。

 が、須佐美はそれには反応せず、少し黙ってから言った。


『鍵は?』


「え?」


『開いてるの?』


「い、いや、さすがにそれは確認してないが」


『確認して』


「お、おう……」


 言われた通り、ドアノブに手をかける。

 すると、ノブはあっさりと回転した。


 なんで鍵が……。


 さすがに勝手に開けるわけにもいかず、ひとまず須佐美に報告を入れることにする。


「開いてるよ」


『入って。私が許可するわ』


「んな、勝手な」


『今朝から理華、体調悪かったのよ。もしかしたら……』


「マジかよ……」


 言われてみれば、少し学校で見かけた時、たしかに顔色が悪かった気がしないでもない。

 とはいえ、勝手に部屋に上がるなんて、大丈夫なのか?

 これがただの鍵のかけ忘れで、実はどこかへ出かけてるとかだったら……。


『その時は私が、事情を話して一緒に謝るわ。だからお願い、楠葉くん』


 須佐美は珍しく真剣そのものだった。

 語気からいつもの余裕が感じられない。


「……わかった。頼むぞ、ホントに」


『ええ、お願いね』


 そう言うと、須佐美は通話を切った。

 スマホをしまい、再びドアノブを回す。

 なんだか空き巣になった気分だが、そんなことは言ってられない。


「……っ!」


 ドアを開けると、すぐそこに橘が倒れていた。


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