④「……一緒に、いたいです」


「トンカツ定食と、サバの味噌煮定食です」


 年季の入った割烹着を着た、いかにもベテランという感じの女性の店員さんが、私たちの座る座敷に料理を運んできてくれました。

 向かいにいる廉さんと一緒に、ふたりでペコリと頭を下げます。


 トンカツの衣は色鮮やかで、見るからに美味しそうでした。

 私のサバの味噌煮も、見た目は大人しいのに、漂ってくる香りが大変食欲をそそります。


 今日は廉さんと一緒に、彼のお気に入りの定食屋さんに来ていました。

 お付き合いする前、映画の後に行った天丼屋さんで教えてもらったお店です。


 廉さんの言っていた通り店内は静かですが、お店の方々はテキパキと動いていて、とてもいい雰囲気です。


 平日のお昼ということもあってか、若いお客さんは私たちくらいしかいませんでした。


「お箸はそこに入ってますからね。調味料もご自由にどうぞ」


「ありがとうございます」


「はぁい、ごゆっくり」


 店員さんは私と、向かいにいる廉さんの顔を交互に見ました。

 それから、なぜだかニヤニヤしながら去っていきます。


 営業スマイル……というには、なんだか妙な笑顔でした。

 少し、恥ずかしい気持ちになります。


「理華、ほら」


「あ、ありがとうございます」


 廉さんがお箸を一膳、こちらへ渡してくれました。


 注文のときもそうでしたが、廉さんはやはり、このお店にはすっかり慣れている様子です。

 本当に常連さんなのでしょう。


 代わりに、私は減っていた彼のコップにお茶を注ぎました。


 「ありがとう」とぶっきらぼうに言う廉さんの声。

 そんな言葉でも嬉しくなってしまうあたり、私もずいぶん、やられているのかもしれません。


「じゃ、いただきます」


「いただきます」


 一緒に手を合わせてから、私たちは料理をつつきます。


 サバの味噌煮は濃すぎず薄すぎず、絶妙な味付けでした。


 これはわりと料理には自信のある私も、学ぶことが多そうです。

 廉さんは好き嫌いが激しいので、日々しっかり研究しなければなりません。


「おいしいですね」


「だろ。マジでうまい」


「それに、お値段も優しいですし」


「しかも、ほとんど混んでないんだ」


 たしかに、廉さんの好きな条件が全て揃っています。

 これでは彼が気にいるのも納得でした。


「ところで……理華」


「? なんですか?」


 私が返事をしても、廉さんはすぐには答えず、なんだか照れたような様子で頭を掻きました。


「まあ、なんだ……その、修学旅行でのことなんだけどさ」


「……はい?」


「……いや、自由時間がけっこうあるだろ。あと、マリンスポーツを回るときとか」


「ああ、そうですね。なにをやるか、そろそろ決めないと、と思っていました」


「おう……」


「……廉さん?」


「……」


 廉さんはそこで、またしばらく黙っていました。

 それから、とても言いにくそうに、そして恥ずかしそうに、口を開きました。


「……できれば、一緒に回りたいなと、思いまして」


「ほあっ」


 ……。


「……」


「……」


 廉さんの顔が、真っ赤になっています。


 ですがきっと、それは私も同じなのでした。


「も、もちろんずっとじゃなくて……お互い空いた時間があれば……。まあ、俺はずっと空いてるから……理華が、よければだけど……」


「……はい」


「……え」


「……一緒に、いたいです。私も……」


 そう答えると、廉さんは驚いたように目を見開いて、それから、ひどく安心した様子で、長く息を吐きました。


「じ、じゃあ……まあ、ちゃんと決めるか、マリンスポーツ」


「そ、そうですね。あと、自由時間も、会えそうなところは……今のうちに」


「……おう」


 そこまで言葉を交わしてから、私たちは同時に、コップのお茶を多めに飲みました。


 火照った顔が少しずつ冷めていって、後にはふわふわしたような、夢の中にいるような、心地いい感覚だけが残りました。


「……なんだか、変ですね。お付き合いしてるんですから、そうするのが普通のようにも思えるのに」


「……だな。でも俺たち……いや、少なくとも俺にとっては、こういうのイレギュラーだし……」


「わ、私もです……! それに、てっきり廉さんは、向こうではひっそり過ごしたいのかと」


「ま、まあ、せっかくだしな……うん」


「……そうですか。そういうことなら、是非」


 廉さんがコクッと頷いてくれたのを合図に、私たちはまた食事に戻りました。


 私は修学旅行というものが、あまり好きではありません。

 旅行自体は好きでも、大勢で、学校が決めたスケジュールに従って、というのが、自分の性に合わないと感じていたからです。


 ……しかし。


「……楽しみです、グアム」


「……そうか」


「はい。廉さんのおかげです」


「まあ……俺も理華のおかげで、楽しみだよ」


 こちらを見ずにそう言った廉さんは、まるで子供のような表情で、眠そうな目をぱちぱちと動かしていました。


 本当に……可愛いんですから。


「廉さんは、なにか気になるマリンスポーツはあるんですか?」


「ん? んー、正直、なんでもいいな」


 予想通りの答えでした。

 マリンスポーツと廉さん。想像するだけで、少しおかしくなってしまう組み合わせです。

 私も人のことは言えないのかもしれませんが。


「理華は?」


「私はシーウォーカーがやりたいんです。専用の器具を着けて、海の中を歩くんですよ。すごくおもしろそうですっ」


「あぁ、あったなぁそんなの」


「はい。冴月と千歳も申し込むそうなので、これは絶対に決定です」


「なら、それを軸にして他のを決めるか」


「そうですね。じっくり選びましょう」


 マリンスポーツは体力を消耗するので、あまり詰め込みすぎてもいけません。

 適度に休憩できるように、余裕のある予定を立てるのが無難でしょう。


「ですが、旅行のモチベーションが上がってよかったですね。これで委員会のお仕事も、やる気が出るんじゃないですか」


「前よりはな。それでも面倒だけど」


「ふふ。もうひとりの方と、ちゃんと協力してくださいね。任せっきりになってはいけませんよ」


「仕事なんだから、ちゃんとやるって。それに男女ひとりずつだし、任せられないことも多いだろ」


「……えっ」


 廉さんの言葉で、私は突然床が抜けてしまったような、頼りない浮遊感に襲われました。


 ……そういえば、そうでした。


 修学旅行委員には、男女ひとりずつという決まりがあります。

 私の図書委員などはそういう制限がないので、すっかり忘れていました。


 けれどそう納得すると同時に、私はどういうわけか、自分の身体が少しだけ強張るのを感じていました。


「あとはまあ、須佐美がいるせいでサボるにサボれないしな」


「……そうですね」


「ん、どうした?」


「あ、い、いえ……なんでもありません」


 私のおかしな反応に、廉さんは不思議そうに首を傾げていました。


 ……それは余計、そして、不要な心配です。

 ただの委員会、廉さんの言う通り、お仕事です。


 顔を出しそうになっていた悪いものを押し返すように、私は心の中でそう唱え、すっかりぬるくなってしまっていたお味噌汁を、一気に飲み干しました。

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