エピローグ 美少女が距離を詰める

①「……こっちに座らないんですか?」


 あれから、また数日が経った。残っていた課題も済ませ、夏休みも残すところもう、あと二週間ほど。


 そして今日は、夜に理華が実家から帰ってくる日だった。


「……うーん」


 夕飯のパスタに使った皿を洗いながら、俺は考える。


 今のところ理華から連絡はない。

 が、そろそろ家に着く頃だろう。

 思えばもう、十日は会えていない。


 正直、少し顔を見ておきたいという気持ちもある。

 が……まあ、さすがに今日は疲れてるだろうな。

 それにしばらく家を空けてたわけだから、やることもあるだろうし。


「ふぅ……」


 とりあえず、今日のところは我慢するか。

 また明日以降、都合のいい日を聞いて、一緒にゆっくりメシでも食おう。


 そう決めて、俺は濡れた手をタオルで拭い、粉末のミルクティーをアイスで淹れた。

 グラスを持って部屋に戻り、適当にテレビをつける。

 ちょうどよさげなミステリードラマが始まったので、それをのんびり見ることにした。


 もしかすると、こんなに理華に会わないのは、知り合ってから考えても、初めてのことかもしれないな……。


“ブブッ”


「お」


 そんなことを考えていると、スマホが震えた。

 予想通りメッセージ。送り主は理華だ。


『今帰宅しました』


 飾り気のない、理華らしい文面。

 はたから見るとそっけないのかもしれないが、もう慣れたもんだ。

 それに、俺も似たようなものだし。


『おかえり。お疲れ』


『もう夕飯は食べましたか』


『おう』


『そうですか』


『そっちは?』


『今からです』


『そうか』


 それに既読がついてからは、もう返信は来なかった。

 ちょっと名残惜しいが、あんまり相手をさせても悪いので、潔くスマホを仕舞うことにする。


 その後はまたドラマに意識を移して、紅茶を飲みながら適当に犯人を推理していた。


 そして、ドラマの中で二度目の殺人が起き、事件が複雑化してきた頃。


『今はなにをしてるんですか』


 みかんのアイコンの理華が、再びメッセージを送ってきた。

 単純なことに、ちょっとだけ嬉しい気持ちになってしまう。


 悟られるといけないので、あくまで冷静な返信を心がけよう。


『ドラマ見てる』


『私も、おそらく同じのを見ています』


『わかったか、犯人』


『いえ、まだ』


『そうか』


 そこで、また返信が途切れた。

 なんてこともない雑談だし、まあそんなもんだろう。


 なんとなくトーク画面を見返しながら、ミルクティーをまたひと口飲む。


 そういえば、画面の背景を写真に変えたりもできるんだったか。


 ……いや、さすがにそれはやめとこう。

 誰かに見られたらアレだし……。


「……ん?」


 そのとき、ピロンと音が鳴り、画面にまた一行、新しいメッセージが表示された。


『そちらにお邪魔してもいいですか』


「……」


 思ってもみなかったその内容に、一瞬固まってしまう。

 だが、すぐに気を取り直して返事をした。


『どうかしたのか?』


 理華がうちに来るのは、大抵は夕食を作ってくれるときくらいなので、気になって聞いてみる。


 顔を見られるのは嬉しいが、もう時間も遅い。

 大した用じゃないなら、電話かメッセージで済ませてもよさそうなんだけどな。


『なんでもないのですが』


 なんでもないらしい。


 しかし、なんだか煮え切らない雰囲気だ。

 いつもはっきりしてる理華にしては、珍しい。


 さて、なんと返信したもんか。


「うーん」


 と、あれこれ文面を考えているうちに、数分が経ってしまった。

 既読をつけた手前、少し申し訳ない気持ちになる。


 だがそこで、ついに理華の方から、またメッセージが来た。


『ただ、会いたくなってしまって』


「……」


 少しだった申し訳なさが、一気に膨らむのがわかった。






 ノックに応じてドアを開けると、身体の前で手を組んで、理華が立っていた。


 理華はパジャマに近い形の楽そうな部屋着姿で、ペコリと小さく頭を下げた。

 薄い黄色の上下で、初めて見る服だ。

 もしかすると、実家から持ってきたのかもしれない。


「……こんばんは」


「お、おう」


 軽く挨拶を交わして、理華を部屋に上げる。

 脱いだ靴を行儀良く揃えてから、理華がこちらを向いた。


「お久しぶりですね」


「そうだな」


「……」


 なぜだか、理華はしばらく俺の顔を見つめていた。

 こころなしか、目が潤んでいるように見える。

 それから、頬もほんのりと、赤い。


「……どうした?」


「あっ……い、いえ、べつに」


 妙な反応だな……。


 だが本人に話す気がないなら、詮索するのもよくないだろう。

 それに、玄関で問答するのも変な話だ。


 ひとまず気にしないことにして、俺は理華をリビングへ促した。


「紅茶淹れたら行くよ、理華のぶん。粉多めだよな?」


「はい、できれば」


 案の定、理華はコクリと首肯した。


 こういうところまで、理華の好みは俺とそっくりだ。

 おかげで、覚えることが少なくて済む。


「……」


「……」


「……理華?」


「は、はい」


「……なんで待ってるんだよ。先に行って、座ってていいぞ」


「あっ……でも」


 理華はそこで言葉を切って、ちらちらと上目遣いで俺を見ていた。


 ますますおかしなやつだな……。


「ほら、ドラマ見といてくれ。大事なシーン見逃すかもだから」


「……わかりました」


 やけに名残惜しそうに言って、理華はリビングへ入っていった。


 疑問に思いつつ、俺もささっと紅茶を作って、グラスを持って追いかける。


「ほい」


「ありがとうございます」


 理華はベッドにもたれる位置に座って、テーブルを挟んでテレビを見ていた。

 ただ、そこは俺のいつもの定位置で、理華も知っているはずなんだが……まあいいか。


 理華の斜め前に腰を下ろして、俺もテレビを見る。

 幸い、大した出来事は起こっていないらしかった。

 とはいえ、そこまで興味があるわけでもないんだけども。


「……」


「……」


 理華はおとなしかった。

 普段から口数の多いタイプではないにしても、今日は特に静かだ。

 ただテレビとクーラーの音のせいで、静寂というほどでもない。


「……あの」


「……なんだ?」


 理華の声はずいぶん、控えめだった。

 思わず、俺の返事も慎重になってしまう。


「……すみません。なんだか、無理にお邪魔してしまって……」


「あ、ああ。いや、無理じゃないぞ。その、なんだ……俺も、顔見たかったし、ちょっとぶりに」


 言ってから、自分の顔がほんのり、熱くなるのを感じた。


 思えば俺たちは、お互いに「会いたい」と口にしたことが、ほとんどないような気がする。


 覚えているのは、グアムでプレゼントを渡すために、理華を部屋に呼んだときのメッセージくらいだ。

 けれどあれだって、理由を言うのが気恥ずかしかったというだけ。


 そもそも俺たちは今まで、なにか特定の目的があって、それを一緒にやる、というのがほとんどだった。


 メシを食ったり、買い出しに行ったり、なにかを見たり。


 ひとりでも楽しめることを、ふたりで。

 そんな考え方の俺たちにとっては、たしかにそれが普通だったのだろうと思う。


 だから今日、理華が「ドラマを一緒に」ではなく、「会いたい」という理由でここへ来たがったことに、俺は少なからず驚いていた。


 そしてもしかすると、理華のこの態度も、そんな気まずさから来ているのかもしれない。


 ただ……。


「……あの、廉さん」


「ん?」


「……こっちに座らないんですか?」


 ただ、どうやらそれだけでは、ないような気もする。


「えっ……」

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