③ 「調子はいつも最悪だ」


「疲れたぁぁあ……」


「俺もだぁぁ……」


 三時間ほどみっちり須佐美に鍛えられたあたりで、ついに二人が音を上げた。

 ぐったりとテーブルに突っ伏し、精気を使い果たしたかのように燃え尽きている。


 しかし、思いのほか頑張ったな、二人とも。

 もっと早い段階で投げ出すかと。


「お疲れ様。よく頑張ったわね。夏目くんは三角関数の復習、やっといてね。冴月は教科書の数列の応用問題を解いて、今度私に見せて。答え合わせはせずにね」


「は、はい、先生……」


「わかりましたぁ……」


 力尽きてはいるが、素直に返事をする恭弥と雛田。

 最初は勉強を嫌がっていた二人も、この三時間で随分意識が変わったらしい。

 まあそれも、ひとえに須佐美のおかげだろう。


 なにせ、教え方が上手い。

 説明がわかりやすいのはもちろんのこと、相手がどこをどうして理解できていないのか、一瞬で把握する。

 それから、よく叱って、よく褒める。

 勉強自体の効率と、モチベーション管理が完璧だ。

 やる気を出させるつもりはない、なんて言っておきながら、二人が勉強を続けられたのは確実に、須佐美の気配りのおかげだろう。


 結局俺と橘はほとんど参加せず、二人でちょこちょこ話したり、各々の勉強に時間を費やすことになった。

 須佐美がここまでできる以上、どう考えても俺たち必要ないしな、正直。


 その後、俺たちは夕食としてそれぞれ好きなものを食べた。

 恭弥に奢ってもらうという話も、今回は無し。

 なにしろ、俺はまったく教えてないからな。


 食事中の話題は非常に不本意ながら、俺についてのことだった。


「楠葉って、ホント暗いわよね。理華も影響受けちゃダメよ?」


「うるせえな」


「受けませんよ。楠葉さんにそこまでの影響力はありませんから」


「おいこら」


「いやぁ、でも俺は嬉しいよ。あの廉が女の子、しかも橘さんと仲良くなれるなんてなぁ……」


 本気で涙目になる恭弥。

 喜ぶかバカにするかどっちかにしてほしいもんだ。


「冴月の話を聞いてたから、私はてっきり、楠葉くんはもっと歪んだ人なんだと思ってたわ。案外普通なのね」


「普通だぞー廉は。普通に暗い」


「やめい」


「理華を助けてくれたり、冴月を許してくれたり、いいとこあるじゃない?」


「そうですよ。楠葉さんはわりと、良い人です」


「わりと、ね。あんまり調子に乗らないでよね」


「乗らねぇよ。調子はいつも最悪だ」


 俺の卑屈な返答に、リア充四人が一斉に笑った。

 なんだか、妙な満足感がある。

 笑われてるような笑わせてるような微妙なラインだけど、悪くない気分だ。


「そう言えば、冴月と喧嘩したそうね、楠葉くん」


「ち、千歳! それはもう良いってば……」


 喧嘩?

 ああ、前に雛田に謝られた時の話か。


「べつに喧嘩じゃないが、似たようなことならあったよ」


「ちょっと! あんたは黙ってて!」


 焦ったように額に汗を浮かべる雛田。

 あの時のことを、まだそこそこ気にしているらしい。


「許してあげてね。冴月は理華のこと、大好きなのよ。理華に近づく男の子には、本人よりも敏感だから」


「わかってるよ。だから気にしてなかったし、もう許してる」


「そう、安心したわ。ありがとう」


 須佐美は心の底から俺に感謝しているような声音だった。

 こんな言葉を掛けられることは滅多にないので、なんとなくくすぐったい気持ちになってしまう。


「でも、冴月はもともと楠葉くんに当たりが強いわよね」


「犬猿の仲だからなぁ、廉と冴月は」


「どっちかといえば、俺がカエルで雛田がヘビだけどな」


 睨まれると怖いし。


「どうして嫌ってるの?」


「……べつに、本気で嫌ってるわけじゃないわよ」


 え、そうだったのか。

 この前は、わざわざ橘に伝言までさせてたのに。


「ただ、見てるとイライラするのよ」


「直球かよ……」


「全部諦めたようなこと言ってるくせに、ホントは何も諦めきれてないじゃない。もっと必死になればいいのに、それもしない。焦れったいのよ、あんたは」


 雛田はそう言ってから、照れくさそうに手元のパスタを口へ運ぶ。


 そんなことを思っていたことも、それを俺に直接言ってきたことも、俺にとっては少し意外だった。


「……そりゃあ私だって、ちゃんと事情を知ってるわけじゃないわよ。だから、実際はそんなに簡単じゃないのかもしれないけど……」


「……」


「それなのに、勝手にあんたにイラついてる自分のこともちょっと嫌で……。でもやっぱり焦れったいし……ああもうっ、とにかくこの話終わり!」


 叫ぶようにそう言って、雛田はまた食事に戻った。

 隣にいた須佐美が、ニコニコしながら頭を撫でる。


 ふと視線を感じて顔を向けると、橘が呆れたような、しかし嬉しそうな顔で肩を竦めていた。


 解散間際、フードコートを出たところで、恭弥が俺に声をかけてきた。


「俺は意外と、廉は冴月と気が合うと思うけどなぁ」


「テキトーなこと言うな」


「真面目なんだなぁ、これが。ところで、すっかり橘さんと仲良くなってるじゃん」


「……まあ、それなりには」


「くぅぅ~! いいなぁ!」


「お前は雛田と仲良くしてなさい」


「友達は何人いてもいいだろがー!」


 恭弥は愉快そうに笑うと、雛田に駆け寄って突然背中から抱きしめた。

 顔を真っ赤にした雛田にバシバシ叩かれながらも、二人は幸せそうだ。


 恥ずかしげもなく、よくもまああんなことをするもんだな。


 ……友達は何人いても、か。


 まあ、それはその通りかもしれない。

 ちゃんと自分を受け入れてくれる友達なら、もちろん多い方がいい。


 けれど、そんなにうまくはいかないんだ。

 少なくとも俺は、今までずっとそうだったんだから。


「楠葉さん」


「ん?」


 橘に呼ばれて、俺はふと伏せていた顔を上げた。


「何してるんですか、早く帰りましょう」


 まあ、しかし。


「……おう」


 橘とはもう、ちゃんと友達になれているのかもしれないな。


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