第100話 本当の初陣
出動要請のサイレンが鳴り響いたのは、午前十一時前。標準的な時間だ。
プラットホームに待機していた“地下鉄”へ乗り込み、襲撃されたシェルターへ向かう。今回、救援依頼を出したのは、福岡シェルターの手前にある
本州最南端である山口県の
日本が地上の放棄を宣言した後、全国の地下鉄網と地下都市が急ピッチで整備された。
旧地下鉄網を利用した出動のための経路やシェルターの建設が間に合ったのは、都内とごく一部の地方都市だけだ。それ以外は、【D】の襲撃とどちらが先か、恐怖と戦いながらの建設だったらしい。
当然、ダブルギアの出動も徒歩での移動が多く、当時は今以上に戦闘員の負担が大きかったと聞く。
十七年経った現在では、門司駅より南へも“地下鉄”は地上へ出ることなく、救援要請を出したシェルターまで安全に向かうことができた。
“地下鉄”は、二十名の戦闘員と、彼女たちをサポートする数十名の職員たちを乗せて走っていた。
移動中の席は、班ごとに指定されている。窓側に座る柊の隣では、柳沢が腕組みをして仮眠をとっている。柊の正面に座る西村が、地図を眺める翼へ訊ねた。
「なあ。居住地区て、普通は県庁に近い駅が使われるんやろ?
「福岡県は、福岡市に居住シェルターが集中している。小倉駅は、北九州市だ」
「せやったら、襲撃されたんは、工業地区とか漁業地区なん?」
翼の表情が、目に見えて曇った。
地図を開く指に力が入ったのだろう。紙が、ペキッと音を立てる。
「小倉駅地下には、教育用シェルターがある」
「ほな、子どもに犠牲出たんか」
「シェルター内部に侵入された、という報告は聞いてないけれど。恐らくは」
「…………そぉか」
それっきり、会話は途絶えてしまった。
戦場がどこになるか、まだ分からないが、あちこちに子どもの遺体が散乱している可能性があった。そう考えるだけで、脳が拒否反応を起こしそうになる。
それは、どの班も同じらしい。隊員のなかには、まだ小学校へ通っているはずの年齢の者もいる。同世代の子どもが犠牲になった、という情報は、隊員たちの口を重くするのに充分だった。
普段以上に緊張した面構えの隊員たちを乗せ、“地下鉄”はノンストップで走る。
――――――――
プラットホームへ、かつて新幹線と呼ばれた車体が滑るように入ってくる。今では“地下鉄”と呼ばれる鉄の箱は、耳障りな金属音を吐きながら停止した。
ホームの安全が確認されると、小隊長の
『巨大生物対策本部・第一小隊、総員降車せよ』
榊の指示に従い、二十名の戦闘員がホームへ降りた。柊は、ちらりと後ろへ視線を流す。西村も、今回は素直について来ている。
普段なら、後衛の柊は
しかし今回は、戦闘に参加する全ての隊員が前衛装備をさせられた。太刀と脇差が、順番に支給されていく。それらをベルトの金具へ繋いだ後、柊は西村を手伝ってやる。
全員が再び整列するのを待って、現場指揮官である
最初に口を開いたのは、榊だった。
「福岡自警団と、航空自衛隊の無人航空機部隊から得た情報より、今回の目標は、“特殊型【D】”と判断した」
(神獣型でも、通常型でもなく?)
柊が首を捻るより早く、榊の隣に立つ美咲が説明に入る。
「神獣型ではないけど、通常型とは明らかに違う行動理念と強さを持つため、“特殊型”と分類されます。近年は出現回数が減っていたけど、元は年に一度くらい出現していたタイプの【D】よ」
「生物としては
(ネズミなら、歯がヤバイのかな。けど、ネズミが
そんなことを考えていた柊の視界の隅に、ふと、翼の背中が映った。
五班の先頭に立つ翼の肩は、ほんの僅かだが、震えていた。すーっと視線を下ろしていくと、強く握られた拳に目が留まった。
(翼が動揺してる。てことは、『特殊型』は何かヤバイんだ)
すると、折よく美咲の説明もそこへ差し掛かっていた。
「特殊型【D】は、昆虫や齧歯類などが分類されるわ。大きな特徴は、二つ。
唾を飲み込み、美咲はその先を口にした。
「
それを聞いた途端、あちこちから狼狽の声が上がる。柊も、視線を彷徨わせることしかできない。
「無尽蔵って……倒しても倒してもキリがない、ってことよね」
「じゃあ、いつもみたいに、二匹とか三匹とかじゃないわけ?」
「日の出と同時に出現したとして、もう八時間近く経ってるぞ。雑魚だけで、どんだけ増えてんだ!」
「持久戦なんて、圧倒的にこっちが不利じゃない」
烏合の衆と化した戦闘員たちへ、榊は軽く手を叩いた。
まだざわめきは残っているが、戦闘員たちの注目は榊へ集まる。
「君たちが予想する通り、敵は物量作戦を仕掛けている。既に教育シェルターの第三シャッターまで食い破られた、と報告があった」
(第三シャッターって……後は、最終防衛シャッターしか残ってないんじゃ)
勿論、柊が生まれたシェルターとは、構造が違う可能性もある。だが、大概のシェルターは、四枚の防御壁しか持っていない。慢性的な物資不足のなかでは、それが限界だった。
元自警団だったことで、生々しい想像が働いてしまう。
最後の壁の後ろへバリケードを組み、弓や斧といった【D】には効かない武器を構える自警団員たち。その後ろに続くドアに隠れる小学生や、もっと幼い子どもたち。
泣きじゃくり、ひきつけを起こす教え子を、強く抱きしめる女性教師。決死の覚悟で、モップや箒を握りしめる男性教師。
今この瞬間も、数千人の子どもたちと教育スタッフたちは、最後の壁が削られていく音に身を震わせているのだろう。
(すぐ助けにいかなきゃ――)
どの隊員も、同じ想いなのだろう。慣れない敵への不安より、急いで救援に行きたい、という声が次々あがる。
だが、榊の説明はまだ続いていた。
「特殊型との戦闘は、かなり異質だ。冷静に対処すれば、各個体は後衛の戦闘員でも倒せる。だが、対処を間違えば――」
「…………?」
「――
榊の言葉は、戦闘開始を求めるざわめきを消し去った。
美咲の説明によると、特殊型【D】の注意点は、次の五点だった。
一つ、
二つ、雑魚の強さは自然界の肉食動物程度なので、普通に戦えば負けない。
三つ、
四つ、シェルターを防御しながらどうやって
五つ、一番危険なのは、引きずり倒されたところを複数の敵に噛みつかれ、食い殺されること。齧歯類の食欲は、ダブルギアの自己治癒力を上回る。
「とにかく、絶対に独りにならないこと! 押し倒されそうになったら、必ず周りの隊員がフォローに入ってちょうだい。壁を背にして戦うのがベストだけど、乱戦が続くと位置取りまで気を配れなくなるわ」
「はいっ」
「は、はい」
返事をするのも忘れ、柊はからからに渇いた喉へ無理やり唾を飲み込んだ。
(もしかして……治癒力の低い翼にとって、天敵なんじゃないの?)
前に立つ美咲は、ヘッドギアの後頭部に収納されている、包帯のような
「今回は第三シャッター付近の戦闘となるから、逃げ遅れた民間人と遭遇する可能性があるわ。肌が露出しないよう、最新の注意を払うこと。特に、胸元に強い
美咲の説明に、違う意味で冷や汗が噴き出す。
肉体の傷は、神の加護によって、時間が経てば治る。だが、切り裂かれた衣服は戻らない。よってたかって噛みつかれたら、丸裸にされる可能性があった。
(これ、俺もヤバイんじゃ……胸と下と、どっちが見えてもアウトだぞ)
胸は発育不足、ということで押し切れるかもしれないが、下半身が露出した場合は、絶望的な展開しか思いつかない。
と、前に並ぶ柳沢が振り返り、黒い布のようなものを差し出した。
「佐東、ボケッと寝てんじゃねぇぞ」
「お、起きてるよ。ちょっと緊張してるだけ……」
「防具に
言葉遣いは荒いが、柳沢が心配してくれているのは伝わってきた。それだけで、心音の乱れが少し穏やかになった気がする。
「……たぶん、分かるよ。自警団予備科で習ったから」
「じゃあ自分でやんな。その間、アタシが西村に教えとく」
「あ、ありがとう、柳沢さん」
西村へ黒い
「痛ったぁ」
「副班のアタシだって西村の先輩なんだよ!」
「ちょっと、地味にメチャクチャ痛いんですが……」
「あったり前だろ。スネは“弁慶の泣き所”って急所だぜ。ネズ公にかじられる前に、とっとと
(これから戦場に出る仲間の急所攻撃をするのは、アリなんですか……?)
西村に
翼に声を掛けようとしたが、班長たちは美咲の傍へ集まっていて、話しかけられる雰囲気ではない。戦術とシェルター構内の確認を終えると、翼は柳沢の前に整列してしまった。
(自己治癒力が低い翼にとって、齧歯類は天敵だ。西村さんを援護しながら、翼のことも気にかけておかないと)
榊が軍帽の鍔に指を掛け、号令をかける。
「巨大生物対策本部・第一小隊、総員出動せよ!」
「はいっ」
「はい!」
現場指揮官である美咲が班長を務める一班から順に、階段を上がっていく。
翼が率いる五班は、しんがりだ。西村が取り残されないように、柊は、自分が最後を走ることを提案していた。
「行ける?」
「ええで。これがうちの、ほんまの初陣や」
そう言って、西村も走りだした。
(西村さんも、翼も――絶対に守ってみせる)
気合いを入れるため、大きく息を吸う。そうして呼吸を整えた後、十九名の隊員たちの背を見ながら、柊も階段を駆け上がり始めた。
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