第111話 夏の終わり

「長かった夏も、もう終わりだけどね……どうしても、このワンピースを着て退役式をしたかったのよ」


 そう話す美咲みさきは、ペパーミントグリーンのワンピースの裾をそっと摘まんで持ち上げた。

 光沢のある厚みのある布地。悩まし気なS字カーブに添って絞られるデザインは、ファッションに疎い柊でも特注品と分かる。勿論、白革のヒールも新品だ。

 一尉相当戦闘員の給料でも、半年分をつぎ込んで足りるかどうか、という一世一代の贅沢だ。新人ベテラン関係なく、大勢の隊員が美咲を囲んで褒めそやしている。


「美咲さーん、そのドレス素敵ですぅ」

「相当前から準備してたな、これ」

「色白だから淡いグリーンがよく似合いますね!」

「うふふ、ありがとう」


 美咲も、満面の笑みで隊員たちへ応えている。

 小倉こくら戦から十日が経った。今日は美咲の二十歳の誕生日――つまり、ダブルギア戦闘員を退役する日だ。

 基地の食堂は、祝いの席らしく飾り立てられている。テーブルは中央に集められ、ちょっとした立食パーティー会場になっている。

 会場には、調理場スタッフや事務職員の姿も数多く見られた。彼女たちは皆、美咲を知る元先輩たちだ。殆どの職員が、身体のどこかしらに傷を負っている。

 現役の隊員は、礼服代わりの戦闘服の着用がルールだ。

 黒尽くめの戦闘服や紺色の職員の制服が溢れるなか、美咲だけは、ペパーミントグリーンのワンピースに身を包んでいる。

 背の高い伊織いおりが、一抱えもある大きな花束を手に、前へ出てきた。食堂を見渡し、そろそろだな、とタイミングを計る。


「美咲さん。二十歳の退役、おめでとうございます」

「おめでとう!」

「おめでとうございます」

「おめでとうございます~」

「おめでとさん」

「おめでとう!!」


 会場に響く拍手と祝福の言葉。

 感極まった様子で、美咲は両手を胸元へ当てた。堪えきれずに零れた涙を、そっと指で拭い、はにかんでみせる。


「……泣かないつもりだったのに。やっぱりダメね」

「今日からは、“男として戦う戦闘員”じゃなくなるんだ。好きなだけ泣けばいいさ」

「ありがとう、伊織ちゃん」


 受け取った白百合カサブランカの花束へ、美咲は頬を埋めた。

 再び、大きな拍手が沸き起こる。柊も、周りの人々と同じように手を叩いた。

 他の隊員より装飾の多い戦闘服に身を包む榊が、美咲の隣へやってきた。榊はいつもの涼し気な微笑ではなく、白い歯を覗かせている。白手袋を嵌めた手を、美咲の肩へ置いた。


「本日付で、生駒いこまは巨大生物対策本部・第一小隊を退役し、明日より、巨大生物対策本部付の職員となる」


 美咲が基地へ残ると聞いて、何人かの隊員が嬉しそうに拍手する。他の隊員たちも、予想通りといった様子で頷いた。


「二十歳の退役者は、実に一年二ヶ月ぶりだ。最近入ったばかりの佐東さとう西村にしむらはともかく、無傷で退役を迎えることが如何に難しいか――君たちならば、身に染みて実感していることだろう」


 眼帯をしている者、片腕がない者、顔に大きな傷痕のある者、車椅子の者――美咲を祝うために集まった職員たちの身体に残る傷が、榊の言葉を裏付けている。

 そして、伊織が管理人を務める“温室”のプレートも。


「生駒は、現場指揮官のまま退役した。これは小隊史上、三人目の快挙だ」

「いえ……そんな」

「これまでに、生駒とわだかまりがあった者もいるだろう。だが、今日だけは彼女の門出を、共に祝ってやってほしい。生駒の退役は、戦力面では大きな損失だが、同時に、君たち後輩にとって大きな希望となるだろう」


 盛大な拍手が送られ、美咲は満面の笑みを浮かべてみせた。

 榊が軽く肩を抱き寄せると、美咲は堪えきれない様子で胸へ飛び込む。麗しい美青年の胸元へ顔を埋める妙齢の美女――映画のワンシーンのような光景に、列席者たちも目を輝かせている。

 祝いの席ということで、華やいでいるのは隊員たちの表情ばかりではない。茶色い醤油味だけでなく、カナッペや一口大のフルーツケーキ等、いかにも若い女性が好みそうなメニューが並ぶ。あちこちに飾られた装花は、伊織が育てたものだろう。

 柊も結衣ゆいにお勧めメニューを聞きながら、会場をぶらついてみる。


「これこれ。ボクのお勧め、『経理の鈴木さんが作るフルーツサンド』。マジでサイコーだから、絶対食べて!」

「何それ、他の人だとダメなの?」

「鈴木さんのは、生クリームの甘さが絶妙なの! 早い者勝ちだから、とっととお皿に乗せて!」


(隣にあったカツサンドのほうが好きなんだけど……)

 半信半疑で肩を竦め、口に放り込む。

 柔らかな食パンと、仄かに甘みのある生クリーム。その間から飛び出すメロン果汁が、舌と口蓋を縦横無尽に侵略していく。


「これ、やばくない?」

「でっしょ? マジ、ヤバイの!」

「やばいやばい。語彙力が小学生以下になる美味さだ」


 生クリームやメロンなど、基地へ来るまで一度も食べたことのなかった食品だ。

 戦闘員だからといって、贅沢が許されているわけではない。だが、こういった嗜好品が提供されるのは、彼女たちが国の命運を背負っていることの証でもある。

 やがて、宴もたけなわとなった頃。本日の主役である美咲が、再び皆の前へ戻り、マイクを手にした。皆、歓談をやめて注意を向ける。

 美咲は食堂全体を見渡し、ローズピンクの口紅を塗ったくちびるを開いた。


「退役パーティー恒例、最後の一言をするように、と小隊長から仰せつかりました。それじゃ、先日の小倉シェルターの班から順番に行くわね」


 柊がちらりと視線を送ると、近くにいた伊織が小声で説明してくれた。

 後に残していく隊員、一人一人へ、退役者がメッセージを伝えていくものらしい。

(なんていうか、女子らしいセレモニーだな)

 日頃、男として生活させられている反動なのか、会場装飾も立食メニューも美咲の服装も、ここぞとばかりに乙女チックな雰囲気だ。ピンクやオレンジのハニカムボールが天井から吊るされいるも、地上時代の『オサレカフェ』を模しているらしい。

 予備科中学卒業後も男社会で生きてきた柊には、だいぶ暑苦しくもあるが、却ってお祭り感がある。チューリップ型に加工された骨付き唐揚げを食べながら、壇上の美咲へ視線を戻した。

 主役の美咲が話している相手は、臨時二班班長の藤波ふじなみだ。


「藤波さん。あなたは、バランス感覚がある模範的な優等生よ」

「お褒めいただき、光栄ですわ」

「ただ、中村なかむらさんと信頼関係があるのは結構だけど、彼女に頼りすぎてるきらいがあるわ。これからは自分を信じ、自分の責任で決断してちょうだい」

「……ご指摘いただいたこと、肝に銘じますわ」


(うーん。美咲さんの言い方的に、やっぱり次の指揮官は翼じゃないのか……)

 臨時五班だった自分の番が来るまでに、まだ少しある。今のうちに、と柊は壁際にあるドリンクコーナーへ移動した。

 いつもの麦茶と緑茶の他、冷えた牛乳や数種類のジュースまである。どれにしようか悩んでいると、隣に人が立つ気配がした。

 振り返った視線の先で、翼が目を細めて微笑む。


「やあ、パーティーは楽しんでいるかい?」

「ほどほどかな。あ、結衣に教えてもらって、『経理の鈴木さんが作ったフルーツサンド』は食べたよ」

「それなら、『田中さん渾身の一口パンケーキ』もコンプリートしないと」

「了解」


 軽口を叩きつつ、翼はコップへ冷えた牛乳を注ぐ。どちらともなく、二人は壁際へ移動すると、並んで美咲とその取り巻きたちを眺めた。

 冷えた牛乳を一口飲んでから、つばさが低い声で囁きかける。


「柊、後で少し、話したいことがあるんだ」


 その言葉で、出動前に翼と口論になったことを思い出した。

 翼のためを思って言ったつもりだったが、結果として、翼を傷つけただけだった。挨拶などは普通に交わしていたが、まともな会話を求められたのは、口論して以来、これが初めてだ。


「いいよ。どこで話す?」

「君の部屋か、私の部屋で会えないか」


 ということは、他人に聞かれたくない内容なのだろう。

 自分の部屋の壁だけは防音処理がしてあることを思い出し、柊は軽く頷いた。


「パーティーが終わったら自分の部屋にいるから、翼が暇なときに来てよ」

「ありがとう」


 そうするうちに、美咲からの言葉は、いよいよ臨時五班のメンバーに移った。

 美咲は、壁際に立つ柊へ軽く手を振ってくれた。マイク越しに、柔らかな声が届けられる。


「佐東さん。あなたに一つ、お願いがあるの」

「えっ あ、はい、なんでしょう」


 マイクを握り直す美咲は、晴れ晴れとした表情で微笑んでいる。


「前衛と後衛をスイッチできる、小隊のエースとなってちょうだい」


 “スイッチ”や“小隊のエース”という単語に、列席者の視線が柊へ集まった。

 単に、前後衛どちらもできればいい、というものではない。小隊の主軸となってもらいたい。攻撃の要となってほしい。引いては、次の指揮官の支えとなってもらいたい――様々な意味を含んでいるはずだ。

 少し考え、柊は静かに頷いた。


「できる限り努力します」

「ありがとう。あなたが小隊に来てくれたこと、心から感謝してるわ」


 直球の感謝の言葉に、少しむず痒い気分になる。隣に並ぶ翼が、良かったね、と囁くのに頷くのがやっとだ。

 次に指名されたのは、柳沢やなぎさわだった。柳沢は、若手の隊員に囲まれて腕組みをしている。


「あなたはとても優秀な子だと、わたしは常々思ってるわ」

「班長にしろ、って何度言っても、あんたは一度も認めなかっただろ」

「そうね。優秀だからこそ、焦って背伸びして潰れてほしくなかったの。あなたは、見た目より責任感が強くて、本当は真面目な子だから」

「けっ カウンセラー気取りかよ」


 やれやれ、といった調子で美咲は肩を竦めてみせた。

 その次の指名は、柳沢の傍に立つ綾乃あやのだった。榊の言う、美咲とわだかまりのある隊員の一人は、間違いなく彼女だろう。


「長野戦で、あなたの通信を無視したことは、わたしの判断ミスだったわ」

「え……」

「あなたが講義室で指摘した通り、わたしは佐東さんに確認すべきだった。それを怠ったのは、紛れもなくわたしの怠慢と驕りよ」

「指揮官はん……」

「それなのに、自分のミスを認められなかったのは、どうしても現場指揮官として最後の戦いへ臨みたかったから。本当に、ごめんなさい」


 静かに頭を下げた美咲の姿に、綾乃は目を見張る。

 やがて、綾乃は艶やかな黒髪をさらりと指で払い、優美に微笑んだ。


「信頼されへんかったのは、うちの自業自得どす。謝らへんどぉくれやす」

「ありがとう、西村さん」


 それをきっかけに、ようやく二人は目を合わせて微笑みあった。

 拍手がちらほらと上がるなか、柊は翼を横目で見ていた。恐らく次は、翼の番だ。かつての二人がどういう関係だったか、柊は知らない。だが、現状の二人の関係が良好と考える隊員は、一人もいないだろう。

 会場の空気は再びピリついている。美咲の表情は、綾乃に対して謝罪したときより更に曇ってみえた。


「……翼ちゃん。あなたには、色々と厳しいことを要求し、突きつけてしまったわ。一度は譲った現場指揮官の座を、あなたから取り上げてしまった……それがどれだけ残酷でプライドを傷つける行為か、分かってたのに」


 翼は、返事をしないまま俯いた。

 そうして下を向いたまま、横目で隣に立つ柊を見た。胸いっぱいに空気を吸い、顔を上げる。


「私を本気で案じてくれていなければ、あんな言葉は出ません」

「翼ちゃん……」

「むしろ、最後の最後で美咲さんの期待を裏切ってしまった私こそ、謝罪しなければなりません」


 拳をぎゅっと握り、翼は胸を張る。


「小隊のため、そして、私のため――敢えて憎まれ役を買ってくださったこと、本当に感謝しております」


 両手で口もとを押さえ、美咲は何度も首を振った。

 翼の凛々しい笑みに見入っていたのは、柊だけではない。列席者は皆、翼の表情に釘付けになっていた。声にならない言葉が、二人のまなざしに滲む。


「長い間、陰になり日向になり、小隊を支えてくださりありがとうございました」


 二人はどちらともなく歩み寄った。

 ペパーミントグリーンのワンピース姿の麗しい乙女と、戦闘服に身を包んだ凛々しい美少年は、会場の中央で向き合うと両手でしっかりと握手を交わす。

 沸き起こる拍手。涙を拭う者や、ほっとした様子で頷く者もたくさんいる。

 一つの時代が、終わりを告げた瞬間だった。

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