第112話 視線のゆくえ

 いつでもどうぞ、と言っておいて、そわそわしているのは格好悪い。

 しゅうはため息を吐きながら、机の上に散らばるテキストを本棚へ戻した。

 食堂には二次会に参加する者だけが残り、あとは解散となった。会場に残ったのは、美咲みさきと親交の深い者だけ。柊はつばさとの約束があるので、早々に自室へ戻ってきたところだ。

(話ってなんだろう)

 乱暴なくらいの勢いでベッドへ腰を下ろす。服を着替えている最中に来られても困るので、戦闘服姿のままだ。

(というか、どういう顔をして会えばいいんですか!)

 致命的欠陥を克服しない限り、翼が現場指揮官に返り咲くことはない。そうさかきに宣告された翼の心を、見るも無残にへし折った張本人が柊なのだ。

 戦闘中は阿吽の呼吸で齧歯類型【D】をたおした二人だが、プライベートでは、最悪の状態だった。

 会いたくないような、早く来てほしいような――なんとも言い難い苛立ちに、貧乏ゆすりまで出てくる。

 と、軽やかなノック音と柔らかなアルトの声。


「柊、私だ。入ってもいいかな」

「あ……ちょっと待って」


 オートロックのドアを開けると、翼が立っていた。軍帽は、自分の部屋に置いてきたらしい。代わりに、なぜかヘッドギアを抱えている。

 廊下は、移動する職員や隊員たちで溢れかえっていた。近くを歩いていた宇佐うさが、親し気な笑みを浮かべ、手を振ってくれる。宇佐へ軽く手を挙げて応じると、柊は翼を招き入れた。


「お邪魔します」


 翼は、迷うことなく部屋の奥まで進んでいく。その後を追って、柊も六畳間へ。

 好きなところへどうぞ、と柊が言うと、翼は勉強机セットの椅子へ座った。それを見て、柊はベッドの縁に腰を下ろす。

 どちらともなく、他愛もない話をした。

 パーティーのこと、先日の戦闘について、広報官の仕事のあれこれ。あんな大喧嘩なんて初めからなかったような顔で、二人は雑談に花を咲かせた。けれどもふと、会話が途切れてしまう瞬間がある。

 仲が悪いわけではないのだけれど。

 いつまでも溶けない氷の塊が、喉奥に刺さっているような感覚。

 曖昧に誤魔化す笑顔、合わない視線、そっと押し殺すため息。

 こうなってしまった諸悪の根源から目を逸らしたまま、元通りになんてなれるはずがない。


「……昨日、小隊長に呼び出されたんだ」

「なんだって?」

「次の現場指揮は、藤波ふじなみに決めたそうだ」


 パーティーで藤波と美咲のやりとりを聞いたときから、薄々そんな気がしていた。

 だから、今さらそれを聞かされようと驚きはしない。どう寄り添えばいいか、言葉が見つからないだけで。


「その、なんて言ったらいいか、分からないけど」

「ははっ 随分、歯切れが悪くなったね」

「……あの、あれから俺も色々考えて……」


 謝ってしまえば楽になる。そうと分かっていても、言葉が出てこない。

 翼の心を傷つけたことは、悪かったと思っている――今も、あのときも、きっとこれからも。その一方で、やはりただ寄り添うだけでいいのだろうか、と葛藤する自分がいた。自分も間違っていない、そう思っているから。

――女性が相談したり、愚痴を吐いたりしたとき。それを聞かされた男には、二つの行動しか求められていない。

――“大変だね、頑張ってるね、つらかったね”という共感と、“大丈夫、俺は味方だよ”と言ってスキンシップをすることだけだ。

 明彦あきひこのアドバイスを思い出しながらも、柊は拳を握っていた。

 すっかり眉間にしわが寄ってしまった柊へ、翼が呆れた笑い声をあげる。


「そんな顔しないでくれよ」

「ど、どんな顔?」

「そうだな。プレゼントに貰った服のサイズが、明らかに自分のサイズより小さかったときのような……」

「分かりにくいよ、それ」


 肩を軽く揺らして笑ううち、段々と柊の心も落ち着いてきた。

 そうしてやっと、翼の顔を見ることができた。彼女の目元は、少し赤くなっていた。目の下に隈もできている。次の現場指揮官の話を聞いて、昨晩は眠れなかったのだろうか。

 柊の視線に気づいた翼が、そっと顔を背ける。


「……私の欠点だけど」

「体質のこととか、視野が狭いってことだっけ」

「それ以外に、もう一つあるらしい。昨日、私も初めて聞かされたんだけれど」

「え?」


 なんだろう、と首を捻る。

 すると、翼は机に置いていたヘッドギアを手に、椅子から立ち上がった。ベッドの縁に座る柊の前へ来ると、それを差し出す。かぶれ、と言いたいのか。

 断る理由もないので装着する。翼は屈みこむと、ヘッドギアの側面や後頭部に並ぶボタンを調節し始めた。


「視点認識カメラは知っているかな」

「何それ」

「どこを見ているか、視線をリアルタイムで解析する装置のことだよ。手足の動かない人がパソコンで文章を入力したり、五十音表で意思疎通するのにも使われている技術だ」

「へぇ、便利だね」


 翼があるボタンを押すと、フェイスを下ろした視界のなか、赤い点が現れた。ゆらゆら揺れる赤い点は、微笑む翼の目元や口もとの辺りを彷徨っている。どうやらこれが、現在進行形で柊が見ているものらしい。

(本棚のどの本を見ているか、とか細かいとこまで分かるんだ)

 そうやってわざと視線を逸らそうにも、ちらちらと翼のことばかり見てしまう。

 顔を見ている、という漠然としたものではなく、大きな瞳とか、柔らかそうなくちびるだとか、まっすぐ伸びた長い足だとか――自分が翼のどこを見ているか、嘘偽りなく暴かれてしまう。

(目は口ほどに物を言う、っていうけど。確かにこれは……何を考えてるか、まで推測できちゃいそうだな)

 ヘッドギアを外し、わざとらしく咳払いする。心なしか頬が熱い。


「なんでこんな機能があるの?」

「班長や指揮官候補の選定のためだよ」

「仲間の位置の把握をしてるか、だとか、戦況を把握できているか、とか?」

「さすが、元自警団だね」


 翼は笑みを強めると、ヘッドギアを受け取った。

 幾つもボタンを弄っている。どうやら、何かのデータを呼び出しているようだ。


「私は、戦況把握が上手くなくて。視野が狭いというか、意識してしまったものばかり見てしまうというか……過集中型なんだ」

「この前も聞いたけど、ちょっと意外だったかな。翼は、ちゃんと周りに気を遣って戦ってる風に見えてたから」

「負傷者が出たり、新人がいたりすると、そこばかり見てしまうんだ」


 過集中型で視野が狭い、というのは、確かに問題かもしれない。けれども、それは努力次第で改善できる部分だし、注意散漫型よりはずっとマシなはずだ。

(それより翼の課題は、「防御力と治癒力が低い」ってことだと思うけど……)

 わざわざ、ヘッドギアまで貸りてきて説明する内容だろうか。

 柊の横へ腰を下ろすと、翼はヘッドギアを抱きかかえた。ベッドが僅かに軋む。


「君が来るまでは、新人と負傷者ばかり見ていた。それについて、小隊長から何度も叱られたし、自分でも意識的に全体をみる癖をつけようとしていた」

「多少は仕方ないよ。自分より弱そうな子がいれば、俺だって気になるし」

「そうだね。だから、それは今後の課題ということにして、一度は現場指揮官に指名されたんだ」


 頷きかけた柊の眉がしかめられる。

 だとすれば、榊や上層部は、翼の体質を・・・・・致命的と・・・・捉えてない・・・・・ことになる。

 むしろ、その「致命的欠陥」は、つい最近明らかになったような言い方だ。

(そうなんだよ……視野の狭さは努力で改善できる。体質はアレだけど、翼が最前線に特攻しなければ良いだけの話だし。マイナス評価はあるけど、致命的、って言うには弱すぎる気がしてたんだよな)


「じゃあ何が『致命的』なの?」

「……柊。もう一度、ヘッドギアを被ってくれないか」


 硬さを帯びた声色に、柊も背筋を正す。ヘッドギアを受け取り、被る。

 すると、見覚えのある映像がフェイス部分に表示された。広い駅前広場と、高架式線路――新青森駅で行われた八咫烏ヤタガラス戦の映像だ。

 話し声からして、翼のヘッドギアの録画データらしい。

 視線を表す赤い点が、ふらふらと駅前広場全体を移動する。榊や美咲の声が聞こえてきた。出撃前に最後の打ち合わせをしている場面だろう。

 やがて、他の隊員より体格に恵まれた隊員が画面いっぱいに映し出された。背の低い隊員に手伝ってもらって、電子強弓でんしごうきゅうに弦を張っている。視線を表す赤い点は、背の高い隊員の全身をせわしなく彷徨っている。


「これ、俺!?」

「そうだよ」

「うわ、俺、こんな風に見えてるのか……うわ、うわぁ……うわぁああああ」

「どうしたの、柊」


 いたたまれず、柊はフェイス部分を上げて顔を覗かせた。

 頬どころか、耳まで赤くなっている。


「ちょっと、あの、これ見るのツライんだけど。俺、こんななの?」

「こんな?」

「いやあの、思っていた以上に、男ってこと隠しきれてない気がするんですが!」

「隠せてないね、まったく」

「肩幅とか、歩き方とか。声だって、明らかに声変わりしてるしさ……なんで皆、騙されてくれてるの? 刷り込みとかそんなレベルじゃ済まないでしょ!」

「そんなの今更だよ。悪いけど、頑張ってもう少し映像を観てほしい」


 ため息を吐いて、柊はフェイス部分を下げた。

 人類が羞恥心で死ねるなら、即死できる状況だ。

 映像は編集されているらしく、高架式プラットホームへ向かうシーンになった。壁の上段と跳躍地点を、赤い点は何度も往復する。少し籠った感じの翼の声が、跳躍を指示した。

 くるりと振り返った視界のなか、隊員たちが走ってくる。目を引くのは、一番背の高い伊織いおりだ。しかし赤い点は、その二つ後ろを走る、ひょろりとした隊員にまとわりついていた。

(あー、これが俺かぁ)

 自分の走り方を、他人の視点で見るのは初めての経験だ。

(少し前のめり気味だな。きっと、緊張してたせいだな)

 羞恥心で死なないように、無理やり別のことを考えながら映像を眺める。

 次々と跳んでいく隊員たち、それを見上げる翼の視界。

 だが、赤い点は視界の隅に映る一人の隊員に注がれている。勿論、柊だ。


「うん、見過ぎ」

「面目ない」

「幾ら俺が新人で、他の人と違う月読命ツクヨミノミコトのダブルギアだから信用できないかも、とか色々あったとしても、これは見過ぎです」

「とにかく、続きを観てくれ」


 ダイジェストになった映像は続く。

 八咫烏ヤタガラスとの闘いの間、翼は常に前線に立っていた。八咫烏の黒い巨体を撫でるように走る赤い点。かと思うと、ちらりと視界の隅へ赤い点が飛ぶ。背の高いひょろりとした隊員を見ると、再び八咫烏へ。

 傷ついた隊員を確認したあと、ちらりと視界の隅に映るひょろりとした隊員へ。

 光の粒子となって消えていく【D】を確認し、それを報告している最中、赤い点は着地を失敗してプラットホームに転がるひょろりとした隊員へ。

(見過ぎ、ってレベルじゃないぞ、これ)

 どれだけ信用がなかったんだ、と乾いた笑いを洩らしながら、次の映像へ意識を集中させる。

 弦と矢を挟む左手と、雛鳥を狙う横顔。

 俺が囮になる、と告げたときのヘッドギア越しの顔。

 廊下を走りながら、一度だけ振り返る視界。青森自警団を前に立つ後ろ姿。

(これは、確かに問題視されるだろうな……)

 映像は、次の八岐大蛇ヤマタノオロチ戦へ移る。岡崎公園での戦闘光景だ。赤く燃える空、黒光りする鱗に覆われた恐ろしい八つ首の大蛇、突撃する隊員。視線を表す赤い点は、せわしなくその間を動き回り、怪我をした隊員や若手の隊員へ注意を払っているのが分かる。

 と、何の脈略もなく、空の一点が映し出された。

 負傷した隊員に肩を貸し、戦場の端へ――その合間に映る空。

 弾かれて砂地を転がる――ちらりと映る空。

 インカムで指示を出しながら、戦場全体を見渡す――ふと振り返り、見上げる空。


「この空は何?」

「……岡崎公園から南西の方角だ」

「南西? 小隊長のジープがある方角とか?」

「あのとき、柊が向かった宇治橋の方角だ」


 そして、綾乃あやのの初陣、肉食哺乳類型・大熊タイプ【D】との戦い。

 映像は、八岐大蛇ヤマタノオロチのときと同系統だ。ビルに挟まれた小さな公園で、十数名の隊員が戦っている。

 六メートルを超える巨大なヒグマ、負傷者、現場指揮官の美咲――それらを見る合間に、アパートと雑居ビルの間の小道が何度も映り込む。

 もう、説明は要らなかった。

 その方角に、柊と綾乃がいたのだろう。

 最後に流れたのは、先日の特殊型【D】との戦いの映像だった。

 全員前衛装備での乱戦で、翼の視線を表す赤い点は、足元に群がる鼠の群れと、壁の近くで戦う背の高い隊員――それが誰か、聞くまでもない――の間を行ったり来たりしている。

 視界は柳沢やなぎさわと思われる隊員を映している。だが、赤い点は正直だ。柳沢へ指示を出す合間も、視界の外にいる「誰か」を探している。 

 決定的だったのは、綾乃と柊が天井付近の配管を伝って移動している場面だった。

 一番の新人である綾乃ではなく、その前を歩く柊へ赤い点がまとわりつく。


「翼、これって……」


 柊が外したヘッドギアを受け取ると、翼はそれを強く抱きかかえた。

 俯き加減の横顔に、長めの前髪がはらりとかかる。

 高い鼻梁から続く白い頬へ、まつ毛の陰が重なる。憂いを帯びた瞳は、見せられた映像と違って、こちらを見ようとしない。


「小隊長に指摘されて自覚した。私も、流石に言い逃れができなかった」

「な、何が」


 顔を上げ、大きく息を吸う。

 こちらを向いた翼の瞳は、涙に濡れていた。


「私は、君のことが好きなんだ。他のことが何も目に入らなくなるくらいに」

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