第113話 さらば、弱き者たちよ

 君が好きだ、と打ち明けたはずのつばさの表情は、なぜか愁いを帯びて見える。

 人に告白した経験などないが、愛の告白をするときというのは、もっと幸せに満ちた表情をするようなイメージがあった。

 それなのに、隣に腰かけた翼は、許されない罪を懺悔する咎人のようにこちらを見上げている。息をするのも躊躇われるほどの緊張感に、しゅうの喉が上下した。

(何か言わないと)

 こういう場面で無視をするのは最悪手、という点は間違いない。必死に頭を巡らせ、翼の浮かない顔の理由を探る。


「職場恋愛禁止とか、そういうこと?」

「違うよ。寧ろ、『常識の範囲内でなら恋愛しても構わない』と小隊長は仰った」


 だったら、そんなに塞ぎ込む理由などなさそうなものだ。

 好き、と告げられて困るような間柄ではない。とりあえず、こちらは生まれてこの方、フリーだ。綾乃あやのからも好意を仄めかされているが、付き合って、と直球で言われたわけでもない。

(というか、翼にも「付き合って」って言われたわけじゃないんだけど)

 どう答えようか言葉を探していると、翼が続きを話しだした。


「ただそれは、『人を好きになることで頑張れる』場合だ。私のように、他が目に入らなくなるような場合は別、と釘を刺された」

「え?」

「――恋は盲目・・・・、まさに言葉の通りだろう」


(確かに……あれだけ余所見してたら、戦えるのが不思議なくらいだけど)

 返答に困った柊は、そっと頷くだけに留めておいた。

 ヘッドギアを抱えたまま、翼はポツポツと呟くように話す。

 あんな気もそぞろな状態が続く限り、指揮官へ戻すことは絶対にない。それどころか、班長でさえ、後輩たちが育ってくれば譲らざるを得なくなる。

 役職の問題だけではない。

 ただでさえ、翼は防御力や治癒力が他の隊員の半分以下なのだ。その上、一人の隊員柊のことばかり気にしているようでは、一年以内に翼自身が命を落とすことになるだろう――榊がそう予言したらしい。


「榊小隊長が、そんなこと言ったの!?」

「私のことは良いんだ。自分の体質を榊明彦氏研究所所長に聞いたときから、この国のために命を捧げる覚悟はできている」

「でも、そんな――」

「私だけが特別なわけじゃないさ。隊員は皆、死ぬ覚悟で戦場へ臨む。多くの隊員が遺書を用意しているのも、その表れだろう」


 柊も、自分なりに覚悟をもって戦っているつもりだった。

 しかしそれは、「傷つく覚悟」や「手足や感覚器官を喪失ロストする覚悟」であって、「死ぬ覚悟」ではなかった、と改めて思い知らされる。

 無意識のうちに、くちびるを軽く噛んでいた。

 そんな柊を、翼はどこか遠くを眺めるような目で見つめている。


「だけど、今の私は、簡単に死ぬわけにはいかなくなった」

「今じゃなくたって死んじゃダメだよ」

「……君にそう言われると、胸が痛いくらい嬉しいね」


 一拍おいて、翼は白い天井を見上げた。


「柊は、月読命ツクヨミノミコトのダブルギアだ。私達、天照大神アマテラスオオミカミのダブルギアと違って、様々な恩恵がある代わり、年齢制限という名の定年もない」

「らしいね。たぶん、俺が死ぬまで戦い続けるんだろうな」

「人類が、君に頼らざるを得ないのは事実だ。だけどその状況は、地上時代ならば『戦地送り』と呼ばれる、かなり重い刑罰に近い。私達は君なしに生きることもできないのに、その君は、誰より苦しく険しい道を永遠に歩まされる」


 正直、目の前の戦いに精一杯で、その実感は湧いていない。

 というより、残酷な現実から目を逸らしているのだろう。その自覚はあった。

 美咲みさきのように、他の隊員は二十歳で退役できるのと違い、柊は戦い続けなければならない。二十歳を超え、他の隊員の倍の年齢を超え――やがて体力の限界がきて【D】に敗北する、その日まで。

 翼は、そのことを案じているようだった。

 仲間ができても、やがて柊以外は隊を去る。新しい仲間ができても、いずれ皆、死ぬか退役していく。そうするうちに、自分だけ年を取って中年になれば、今より更に厚い壁ができていくだろう。

 改めて突きつけられた自分の命運に、握りしめていた拳が震える。

 その手に、黒革の手袋グローブを嵌めた長い指が重ねられた。視線を向けると、隣に座る翼が微笑む。


「二十歳の退役を迎えたあとも、私は後方支援職員となって、君を支えたい」

「翼……」

「肩を並べて戦える時間は、限られている。けれども、その後も君の心を支える一人の仲間として、一生、君の傍にいたいんだ」


 頬や耳が熱くなるのを感じる。

 こんなにも自分自身を必要とされたのは、生まれて初めてだ。

 是非、お願いします――そう答える寸前、翼の長いまつ毛が頬に影を落とす。


「だから柊、私を振ってほしい・・・・・・・・

「…………は?」


 思わず、眉間にしわが寄るのを感じる。

 自分の耳が壊れたか、それとも頭がおかしくなったのか?

 好きだけでなく、一生傍にいたい、とまで言われて翼を拒絶する理由などない。

 咄嗟に、空いている手で翼の手首を掴む。だが、翼は目を開けようとしない。


「君にきっぱり拒絶されない限り、私は心の奥底で、いつまでも君を異性として慕い続けるだろう」

「ちょっと待って」

「四ヶ月前、【D】に襲われた君が、咄嗟にシェルターと逆の道を選んで走り出した。その後ろ姿を見たときから、私は、君に惹かれていた」

「待って、翼」

「私の想いが成就することなどあり得ない・・・・・のだから・・・・、君の負担になる前に諦めようとしたんだ。何度も、何度も」

「何、言ってるの?」


 ぐいっと引き寄せようとした翼の手首に、力がこもる。

 抵抗した翼は、ゆっくりと瞼を開いた。その瞳には、強い意志が灯っている。決意の滲む、くらい光が。


「私は、君の支えとなる人間になりたい。だからこそ、退役前に死ぬわけにはいかなくなった」

「俺が、絶対死なせない。それじゃダメなの?」

「あの映像を観て、それでも君は大丈夫と言うのか?」


 理解の及ばない会話に、柊は嫌々をするように首を振る。

 明彦あきひこのアドバイスが脳裏に蘇る。

(確かに、相手に寄り添って共感してれば、大概は上手くいくのかも。そういう奴がモテるのも見てきたし、女子に好かれるのも当然かもしれない……)

 だからといって、ここで翼の要求に寄り添うのが本当に正しいのか?

 彼女の求めるがまま、「翼とは一生付き合うことはないから諦めて」と告げることが、寄り添うことなのか?

(んなワケないでしょ、どう考えたって)

 再び、華奢な手首を引く。翼も強く抵抗する。押して、引いて、また引いて――無言で引っ張り合ううち、段々と腹が立ってきた。

(っていうか、ここで俺が一方的に翼の考えに寄り添う必要ってあるの?)

 引っ張るのをやめて、手首から手を放す。

 ほっとしたような、でもどこか寂しそうな吐息が、翼のくちびるから漏れた。対照的に、柊は苛立ちを隠し切れない様子で息を吐き捨てる。


「あのさ。俺、翼に言いたいことがあるんだけど」

「なんだろう」


 自然を装ったふりで、翼はそっと背筋を伸ばした。

 彼女が望む拒絶の言葉を、柊が言うのを待っているのだろう。そのことが、より一層、柊の心をささくれ立たせた。


「俺、たった今、翼に告白されたばかりだよね? 前にキスはしたけど、お互い何も言わなかったし……俺もそういうの疎いから、よく分からないけどさ。でも、別に嫌とは言ってなかったでしょ」


 早口に捲し立てる柊を、翼は困惑した表情で見つめている。

 想定しなかった返答に緊張したのか、翼の肩に力が入るのが分かる。


「なんで、俺が翼に全然興味ないことになってるの?」

「何故って……」


 ぼそぼそとした低い声で紡がれる、反論らしきもの。

 国営放送で顔を晒した以上、翼は退役後も世間的には男性として生きていくことになる。姉の榊と同じように、恐らく生涯、男装が義務付けられるだろう。

 他の隊員のように、退役後は普通の女の子に戻って、髪を伸ばしたりスカートを履いたりすることもできない。他の隊員なら、柊が男であることを国民に印象付けるため、退役後ならデートだって堂々とできるだろう。だが、翼にはできない。

 第一、翼は日本中に素顔を晒したのに、性別を疑う声は今のところ届いていなかった。つまり、彼女の容姿は「女性らしさ」から、ほど遠いものなのだろう。女とバレないための男装だから、それで正しいのだが――。

 そこまで語ると、翼は自嘲の笑みを口もとに貼りつけた。


「……こんないびつな私を、今さら異性として見てもらえるとは思っていないさ」


 長い前髪から覗く大きな瞳には、涙が溜まっている。震える細いおとがい

 愁いを帯びた横顔へ、柊の普段よりも低い声がぶつけられた。


「俺がいつ、髪が長いほうが好きって言ったの? スカート履いてないと嫌だとか、地下街をデートしたいとか、そんな話、したことないでしょ」

「けれど、一般的にはそういう女性が――」

「俺は、そういうのどうでもいいんだよ!」


 視線を彷徨わせたのは、今度は翼の番だ。

 得体のしれない人影を前にしたように、軽く身構え、こちらを不安そうに見つめている。けれども柊は、喋るのをやめなかった。


「俺は、自警団だと背も低いほうだし、筋肉なんて、他の奴らの半分しかなかった。そんな筋肉まみれの環境で何年も暮らしてきたら、ショートヘアで戦闘服を着たくらいで女子に見えないとか、あり得ないんだよ」

「……え?」

「俺に言わせれば、どうやっても絶対に女子に見えない人なんて、榊小隊長くらいだよ。他の人は、何ヶ月も同じ基地で暮らしてたら、どこかしら女子っぽさが見えてくるものだし」


 不安に染まる瞳を、正面から見つめる。

 心臓が口から飛び出しそうな勢いで、がなりたてている。そのリズムに煽られるように、柊は軽く身震いした。

 ほんの数ヶ月前の自分は、こんな踏み込んだ話などできなかった。

 相手に嫌われるくらいなら、口を閉ざせばいい。適当に合わせて、誤魔化して。その場しのぎで適当に流す。殴られても、必要以上にやり返さない。過度に刺激しないように、息を潜めて――。

(そうやって逃げてばかりだった自警団で、何が手に入った?)

 裏切られ、【D】の囮にされただけだ。自警団のリーダーからすれば、裏切りではなく、当然のことをしただけのつもりかもしれない。

 踏みにじられるだけの過去から、一歩前へ。

 踏み込んだ先で拒絶されたら、そのとき考えなおせばいい。そう自分へ言い聞かせ、震えるくちびるを開く。


「いつ死ぬか分からないなんて、この世界じゃ当たり前でしょ」

「それは、否定できないけれど」

「遠い未来の話なんて、今はどうでもいいよ」

「どうでもいい、って……」

「翼は今、俺をどう思ってるの?」


 小刻みに震える肩を掴む手に、力を籠める。

 翼は何度も首を振ったが、柊が手を放すことはなかった。何分も、いや、十数分以上、二人は黙って見つめ合った。

 言いたくない、というように首を振る翼と。

 放さない、というように首を振る柊と。

 無言の根競べに敗けたのは、翼だった。蛍光灯の明かりに照らされた微笑みは、強い覚悟を感じさせる。


「……好きだ。他に何も見えなくなるくらい、君のことが大好きだ」


 影が近づく予感に、翼は目を閉じた。

 そっとくちびるが触れるだけのキス。身体が離れると同時に、小さくも深い吐息が洩れる。互いの視線の意味を探り合うような間合いのあと、柊は瞬きを繰り返しながら、もう一度、淡い桜色のくちびるへ自分のそれを押し当てた。

 静かな部屋のなか、破裂しそうな鼓動の音が、外まで伝わってしまいそうな錯覚さえしてくる。

 身体を離した柊を見上げ、翼が呟く。


「幸せすぎて、死んでしまいそうだ」


 儚い笑みに、柊の目が見開かれる。

 縁起でもない、と軽く笑い飛ばせない何かを、柊も予感していた。



 ――光輪こうりんのダブルギア・第二部 了――

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【第二部完結】光輪のダブルギア 千 楓 @Kaede_Asahina

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