第92話 三つの柱
「ほら、
「あ、うん……」
奇妙な胸騒ぎを覚えつつも、
西村は得意げな顔で練習用ヘッドギアをかぶると、左こめかみに設置された二つの
副作用の眩暈や吐き気を堪える様子もなく、西村は辺りを歩き回る。やがてそれにも慣れてくると、トタトタ、頼りない足取りで走り始めた。
それを見た柊は、思わず膝を浮かせた。
「えっ もう副作用ないの!?」
「せやで。ヘッドギアの訓練を始めて、一週間で克服したんよ」
声を弾ませ、西村は速度を上げる。
心なしか、走行フォームまで、さっきよりマシに見えてきた。助走をつけて軽く跳躍――着地のときに大きく姿勢を崩したが、苦しそうな様子はない。
西村が
「息苦しさとかは感じないの?」
「平気やで。これだけ本気で走っても息切れせぇへんし、身体がえらい軽いんよ」
「そっか」
ここへ来た当初、柊もヘッドギアの副作用には散々、悩まされた。
だからこそ、この短期間でそれを克服した西村が、見えないところでとてつもない努力をしたのだと分かる。彼女は生きるため、自分の足で立ち上がったのだ。
笑顔を作りながらも、柊はそっと唾を飲み込んだ。
(西村さんみたいな特異体質の人って、回復能力以外は何も
せっかく希望を見出したところなのに、西村の目の前に広がる現実は、残酷なまでに厳しい。
他の隊員は、常に
だがまともに訓練を受けたことのない西村は、前者一択で逃げ続けるしかない。しかもその速度は、他の隊員が何のギアも使っていない状態よりマシな程度なのだ。
(戦場に紛れ込んだ“本物の一般人”って西村さんの自己評価は、的確だ)
現実を知れば知るほど、教育係としての責任が重く圧しかかってくる。
すると、俯きかけていた柊へ、柔らかな声がかけられた。
「なあ、もっと褒めてええんやで。鞭だけやなくて、飴も必要やん」
「……うん、副作用を一週間で克服するのは、トップレベルに早いらしいよ」
「ふふふっ うちかて、やるときはやるんやで」
嬉しそうに息を弾ませる西村を見ると、胸が苦しくなる。
せっかく、頑張る気になってくれたのに。
運動が苦手な西村は、他の隊員よりも【D】のターゲットになりやすい、という現実は変わらない。しかもこれ以上、足が速くなる見込みもない。
(ダメだ、ここで俺が諦めるわけにはいかない。西村さんの頑張りを、絶対無駄にはしない)
ぎゅっと拳を握りしめる。自分を勇気づけるために一つ、大きく深呼吸。
はしゃぐ西村を軽くたしなめると、柊は翼へ話しかけた。
「西村さんがヘッドギアの訓練をしてる、って聞いてたからさ。西村さんをどうやって教育していこうか、俺なりに考えてたんだけど」
「私にも聞かせてもらえるかな」
「うん。変なところとか抜けてる視点があったら、すぐ教えて」
そうして、今度は西村本人のほうへ顔を戻す。
話を聞くため、ヘッドギアを外した西村は、開放感に目を細めている。
「教育方針は、三本柱でいこうと思います」
「ふむふむ、どないな感じなん?」
腕組みをして聞いている西村へ、人差し指を立ててみせる。
「一つ。移動手段として、『パルクール』というものを習得してもらいます」
「移動術やな」
「二つ、教育係の俺は後衛だけど、西村さんには前衛を習得してもらいます」
「刀なんて誰が教えるん? 班長はんか?」
そうなるね、と翼が頷く。
それを待って、柊は三本目の指を立ててみせた。
「三つ、【D】の習性は知ってて絶対に損はないので、座学を頑張ってください。今日から全体講義に参加してね」
「……全体講義、行かなあかんの? 勉強なら、個室ででもちゃんとやるで」
不安そうに視線を床へ落とす西村へ、優しく諭す。
「
「……あのサイコパス女、ヘッドギアもせんと、うちん手の甲へ箸を突き刺したんやで。あんたに、あの馬鹿力のキチガイが止められるん?」
「約束する。俺が必ず、黒木さんから西村さんを守る」
西村は、不安そうに柊を見上げた。そして、無言のまま翼を見る。
二人が頷くのを見て、ようやく西村は納得したようだった。
「せやったら、うちはええで。佐東の案で」
「よかった。翼はどう?」
「良いと思うよ。私が考えていた方向と、ほぼ同じだ」
「じゃあ、決まりだ」
パシッと掌へ拳を軽く叩きつけ、柊は笑顔を作ってみせた。
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