第14話 疑惑の芽
応接室のソファに身を沈めると、
だからこの応接室にいるのは長谷部と
榊の秘書がガラス製の灰皿を置く前から、長谷部は火を点けていた。
地下シェルターでは、調理室などの限られた場所以外、火気厳禁となっている。しかし、この男にはそんな常識など通用しないらしい。深く吸い込んだ煙を吐き出すと、長谷部はようやく満足したような表情を浮かべた。
「まったく……
出された茶を無言で啜る
「榊二佐も、君のように素直な心を持っていれば、もう少し出世できたかもしれないがね。ああいう血の気の多い無粋な輩を相手にすると、こちらが疲れてしまうよ。ははははっ」
「はあ……」
適当に愛想笑いをしながら、柊は翼が囁いた言葉を思い返していた。
――長谷部司令には気をつけて。
目の前の壮年の男が異質なのは、柊も分かっている。長谷部の礼服は、デザインも布地の色も、何もかもがダブルギアの戦闘服と違っていた。それは、この男がダブルギアとは別の部署から出向してきたことを意味している。
柊は慎重に話の継ぎ目を見計らい、長谷部へ話しかけた。
「あの、長谷部司令。俺に何か用がある、とのことでしたが」
長谷部は一瞬呆れたような顔をしたが、すぐに笑みを取り戻した。
「はははは、そうだな。ところで、こういう公の場では、俺ではなく
「……気をつけます」
本来なら、こういった小さなミスも激しく叱責されたはずだ。
榊や翼を前にしたときとはまるで違う長谷部の態度に、柊は不気味ささえ感じ始めていた。しかし、相手は柊の様子など気にも留めず、ぐいっと身を乗り出す。
「君は、
「男です」
「大いに結構」
長谷部は満足げに頷くと、テーブルに肘をついた手を組み合わせた。
「ところで君は、
「えっ」
柊が思わず顔を上げると、にんまり笑う長谷部と目が合った。
長谷部は勿体つけるように、トン、とガラス製の灰皿へ灰を落とした。
「天照大神のダブルギアどもは、二十歳を超えて戦うとヘッドギアの負荷に耐えきれずに死んでしまうことは、基地に来てから習ったか?」
「はい。平均で二十二歳くらいが限度なので、安全策として二十歳の誕生日で退役になる、と昨日、教わりました」
「ただ死ぬだけなら
使い捨て、という言葉に、茶碗を持った柊の指が白くなる。
長谷部はそれには気づかない様子で話を進めた。
「しかし、君たち月読命のダブルギアは違う。年齢にかかわらず戦うことができるし、かなり強い負荷をかけても発狂しないそうだ。覚醒条件が極めて難しいこと以外、特にデメリットもない」
「えっ」
長谷部が語った内容は、柊にとって初耳だった。
年齢制限がないことも、神の
驚いて振り返ると、榊の秘書は、困ったような顔で小さく頷いた。
「要するに、月読命のダブルギアは、天照大神のダブルギアの
「過去の月読命のダブルギアがそうだったとしても、自分が……いえ、
「いいや、君ならば【D】を単身討伐することも可能だそうだ」
そう言って、長谷部は片方の眉を上げ、笑みを作る。
しかし、柊は翼と初めて出会ったときのことを思い返していた。
あのとき、翼はたった一人で柊を助けるために【D】を追いかけ、山犬型【D】を倒した。『柊ならば一人で【D】を倒せる』、という長谷部の言葉が本当なら、逆説的に、翼はとんでもない危険を冒したことになる。
翼は、自分一人では返り討ちになるかもしれなかったのに、柊を助けるために走ってくれたのだ。文字通り、その命を賭して――そのことに、目の奥が熱くなる。
「いえ……自分、じゃなくて、
そんな謙虚な答えが返ってくるなど、想定していなかったのか。
長谷部は返事をせず、一拍置いて煙を吐いた。
「話を変えよう。ヘッドギアの左側頭部にある、二つの
柊は習ったことを思い出そうと、左こめかみに手をそっと当てた。今、ヘッドギアは被っていない。だが、昨日習ったばかりの情報だったので、指でなぞらないと間違いそうだった。
「金色が『
「では、その上に三段階目のギアがあることも、聞かされているな?」
こめかみから指を外し、頷く。
「赤と金、二つのボタンを同時に三連打で『
それまで和気あいあいとした雰囲気の隊員たちも、そのときばかりは鬼気迫る顔つきをみせた。幼い隊員は事情を知らない様子だったが、へらへら笑ってばかりの
しかし、長谷部の話は、柊の予想とは違うところへ飛び火した。
「小隊の“ダブルギア”という通称は、その三段階目の、いわば
「えっ
思わず前のめりになる。
そんな柊へ、長谷部は不敵な笑みを浮かべた。
「天照大神のダブルギアが使えば、数分後には、発狂して死んでしまう」
「
長谷部は、例えば十七年前の国会襲撃事件のことだが、と前置きした。
「当時、既に七十を超える高齢だった
化け物を一刀両断に倒した英雄が、戦闘直後に自決したことに人々は困惑した。
内閣総理大臣は、これはどういうことだ、と隊員たちへ訊ねた。すると、当時まだ小中学生だった隊員たちは、技の名を問われたと勘違いして『
それを耳にした政治家たちは、以後、黒尽くめの子どもたちを“ダブルギア”と呼ぶようになった――。
「
「あの化け物を、素手で」
「しかし、月読命のダブルギアは発狂に至らずに済む。体力が続く限り、理性を保ったまま、何時間でもその状態を維持できるのだよ」
柊は相槌を打つのも忘れ、長谷部をじっと観察していた。
どこかこちらを見下すような目つきではあるが、嘘を吐いているようには感じられない。多少の誇張はあっても、月読命のダブルギアが特別な存在、という点は事実なのだろう。
「なんで、月読命と天照大神とでそんなに性能が違うんですか?」
「それは神に選ばれる条件が、全く異なるからだ」
データを読んだだけだが、と長谷部は前置きした。
外国にも、人間に味方する神は存在する。しかし主神と呼ばれるクラスの神々は、人間の“魂の器”へ、神という“他人の魂”を注ぎ込める許容量が掴めず、せっかく選んだ戦士を狂い死にさせてしまっているらしい。
しかし、日本の天照大神は違った。天照大神は女性であるが故に、子を宿すことができる。そして胎児と同程度までの
数千年の長い歴史を経るうち、どうやら天照大神は『若く未熟な魂を持つ少女こそ、
「だが、これには大きな弊害があった。戦士の命を重んじた結果、天照大神でさえ、胎児の魂と同程度しか
「じゃあ、月読命の方が
「そうだ。
なんでそんなに許容量が多いんだ、と首を捻っている柊へ、長谷部は低い声で囁きかけた。
「……ところで、榊二佐は、これほどまでに重要な話を君へ黙っていたわけだ。君は榊二佐に対して、何も疑問を抱かないのかね?」
つぅ、と背筋を冷たいものが伝っていく。
思わず、返事をするのが遅れた。
「え?」
「なぜ、榊二佐は君にこの事実を打ち明けなかったか――それは、月読命よりも劣る天照大神のダブルギアであった榊二佐は、君の才能を
「まさか……」
「長谷部司令、あんまりですわ!」
口を挟もうとする榊の秘書を手で制し、長谷部は含み笑いを浮かべる。
「君は、生まれながらに彼女たちより優れているのだよ。彼女たちは、君の同僚ではない。君は彼女たちの上に立つべき、
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