第103話 五班班長として命じる
太刀を握る腕が、ずしりと重たく感じられる。
ここで戦えば、ダブルギア戦闘員としての義務と使命は果たせる。しかし、誰かが探しに行かなければ、
『
救援信号も出せない状態で、無数の鼠に身体を食い荒らされながら、助けが来るのを何時間も、或いは、何日も待たなければならない――想像するだけで気が狂いそうだ。
(西村さんは逃げてない。そう言いきれるのは、俺だけだ)
着任して日が浅い西村の性格を、ほんの少しでも理解しているのは、自分と
(俺が諦めたら、西村さんは絶対に助からない)
『西村さん、応答して! 声を発するだけでいい、何か反応して!!』
だが、応答を求める電子音が鳴るだけで、柔らかなハイトーンは聞こえない。
わざと無視しているのか。それとも、応答することさえできない状況にあるのか。こちらからそれを確かめる術はない。
柊の悲痛な叫び声に、多くの隊員が俯いていた。先ほど冷徹な指示を出した
西村へ呼びかける声が掠れてきたた頃、翼が通信越しに全体へ語りかけた。
『こちら、五班班長。現場指揮官、応答を願います』
『どうしたの』
翼は一瞬黙った後、目の前の一体を袈裟斬りにした。
『
『――翼ちゃん!?』
柊が言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
ドクン、と心臓が強く拍動する。考える間もなく、そちらへ顔を向けていた。広場にいる全ての隊員の視線を集め、翼は太刀を振るう。
『班長として、新人の西村を見捨てることはできません』
『……指揮官や班長が感情でものを考えれば、その下に続く隊員が死ぬのよ。自分の言葉の重みを考えて発言してちょうだい』
『ですから、
赤く光る鼠たちの瞳の数は、増えたり減ったりを繰り返している。
どうにか少し減らしても、息を整える頃には、通気口やダクトから新たな個体が飛び出してくる。堂々巡りだ。
『
咎める美咲へ反論したのは、柊だった。
『西村さんは、
『そんな根拠のないことを……』
『授業で、西村さんが美咲さんに反論したことを思い出してください』
複数出現した敵影を見失ったとき、シェルターを防衛するか、それとも索敵を優先するか。小隊長の榊が講師を務めた授業で、西村は言った。
――うちは、一番の新人や。経験もあらへんし、化け
――なんもなければ、現場指揮官はんの言う通りにしますえ。
『西村さんは、何かヒントに気づいたんだと思います。だから、西村さんを探すことは、
『それは、安全な基地で冷静に考えたときの話でしょ。第一、それだけ冷静なら、報告くらいできるはずよ』
『冷静じゃないから、報告するを忘れてるのかもしれない。それとも腕を
『……そんな不確定な可能性のために、二人も離脱させるわけにはいかないわ』
増援がないためか、柊がいる辺りは時折床の色が見えている。一方、最終防衛シャッター付近は、重なり合った鼠が膝の高さまで積み上がっている。
美咲は、その中心で奮闘していた。
彼女は後衛なので、前衛は得意ではないはずだ。何なら、現場指揮官の立場を使って安全な場所にいても、誰も文句は言わないだろう――彼女は、今回が最後の戦いなのだから。
腕に噛みつかれ、それを振りほどこうとしながら美咲が低い声で伝える。
『
いつもと違う声色に気づいた隊員たちが、次々と口を噤んでいく。
隊員たちが黙っても、無数の足音と鼠の甲高い鳴き声が津波のようにうねり、重なり合っている。
『この戦況を見て、それでも離脱者を優先するというなら、榊一尉は
『……っ!』
『それでも行くというのなら、今すぐ柳沢さんに班長の座を譲り、
できるわけがない――誰もがそう、分かっていた。
翼がこれまで何のために努力してきたかを考えれば、指揮官候補を辞退できるはずがなかった。これまでの人生を、全て投げ棄てるようなものだから。
だが、翼はヘッドギアのフェイス部分を開けると、シャッター付近で戦う柳沢へ向かって叫んだ。
「柳沢! 聞こえるか!!」
「なんだよ!」
細く息を吸うと、翼は広場に響くほどに声を張った。
「……ただ今をもって、五班班長の役を柳沢三尉へ委譲する」
『なっ』
『翼ちゃん、何を言ってるの!?』
『駄目よ、榊さん』
『おい、正気か?』
すると柳沢は、翼の宣言へ応じるように、勢いよく鼠の背へ太刀を突き立てた。
血飛沫は宙を舞う途中で光の粒子へと変わり、彼女の頬を赤く濡らすのは一瞬だけだ。
「たった今から、アタシが正式な五班班長だな」
「ああ、そうだ」
「それじゃ、五班班長として命じる。“二人で
『柳沢さん! 何を勝手なことを――』
制止の声をあげる美咲のほうへ、くるりと柳沢が振り返る。
柳沢の戦闘服は、既に背中全体が汗で色を濃くしている。肩は上下し、息もあがっていた。それには構わず、柳沢は広場の隅々まで響く大声で叫ぶ。
『榊と佐東の戦力分くらい、アタシが肩代わりしてやる。だから
『後衛の佐東さんの分だけならともかく、翼ちゃんの分まで背負うなんて、柳沢さんにできるはずがないわ』
『だったら、もう一人いればいい』
シャッターへ体当たりしようと飛びかかった個体を、一刀のもとに切り捨てたのは
そこから続けざまに回し蹴りを放ち、四体の雑魚を一瞬で葬り去る。
『翼の分は、あたしが請け負う』
『伊織……』
『走れ! 西村と一緒に戻ってこい!』
大きく頷くと、翼は振り返った。視線の先には柊がいる。恐怖に強張っていた肩や手は、もう震えていない。柳沢と伊織が、命を懸けて作ってくれたチャンスだ。一秒だって無駄にはできない。
翼が先に配管を潜り、並んで走り出す。
全ての地下施設の構造を記憶している翼なら、この先がどこへ続くか知っているはずだ。
まだ広場の喧騒が聞こえるうちから、配管内は暗闇に閉ざされてしまった。
ヘッドライトを点け、二人は走り続ける。
トンネルのように巨大な配管のなか、無数の足音と鳴き声がこだましていた。
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