第104話 戦闘服に背負う責任
時は少し
西村は、既に限界が近かった。訓練用の作業着が
(……重い思うんは、うちだけなんやろな)
さっきから足を齧られているのだが、喰い千切られた直後に筋組織が再生するので、無限餌やり器状態だ。
(悲鳴あげるのもしんどいわぁ)
いい加減にしろ、と恨みを籠めて、背中へ圧し掛かる雑魚を壁へ押しつけた。敵の動きを封じると、肩で息をしながら太刀を突き刺す。壁に血飛沫の花を咲かせ、鼠は光の粒子となって消えた。
【D】が消えても壁の血痕は残っている。動きを抑え込むときに噛まれた、腕の傷から噴き出した西村の血だ。
(頑張る言うたけど、さすがに疲れてきたわ)
配管や
足首に齧りつく鼠を、反対の足で踏み潰す。ぐにゅり、という気色悪い感触に、思わず肩が震えた。
(この配管から鼠はんがおいでなさってたら、お手上げやったな)
何気なく呟く独り言に、ふと、西村の動きが止まる。
動かない彼女は、格好の的だ。すぐに鼠たちが群がる。齧られては治り、引き裂かれては切り殺し……後手後手ではあるが、驚異的な治癒力のおかげでどうにか死なずに済んでいる。
(この配管、うちらが来てから、まだいっぺんも増援があらへんのちゃう?)
よく思い返してみる。
天井付近から観察していた時点も含め、この配管からは、増援された記憶がない。そもそも柊がここを選んだのも、増援が極端に少ない、という理由だった。
(他のとこは、流しそうめんみたいに鼠はんが次々落ちてきてる)
囮も兼ねているのか、柊は派手な動きで太刀を振るっている。そのせいか、壁際の西村のところまで辿り着く雑魚は多くない。
今のところ、西村は脳内分泌物を上手くコントロールできているようだ。痛いことは痛いが、考え事ができる程度には落ち着いている。
(この配管、
新人は新人なりに、慣れてくるものだ。
脚を齧られる、踏み潰す。背中に飛びかかられる、壁に押し付けて突き殺す。腕を噛まれる、引っ掴んで床へ放り投げる。
一々、ダメージを負ってるのが残念だが、ちゃんと対処はできている。
(ネズミ捕りのチーズが、圧し潰すバネ役も兼任してるだけやけどな)
自嘲気味に低く笑いながらも、思考は更に深まっていく。
(親玉は、どこでお寛ぎになってはるんやろう)
最終防衛シャッターから数メートル離れた
現場指揮官の
(あの増援の群れを遡っていけば、親玉がおるんちゃうん?)
そう考えて、軽く嘆息する。新人の自分が思いつくことくらい、美咲はとっくの昔に検証しているだろう。
第一、そんな安直な答えなら、教本に書かれていてもおかしくない。
(研究所で話したとき、“
【D】とダブルギアは、後ろ盾となる神の思想が違うだけで、本質的な成り立ちはまったく同じだ。神々の力の一部を
(せやったら、おつむの具合も賢なってるんやろな。なんやったら、うちと同じくらいの化け
適当に考えたわりには、筋が通っている。
ふと西村は、何者かに導かれるように、背後の配管へ視線を滑らせた。
(うちやったら……どないする?)
自分が
(うちやったら、手下たちにわざと遠回りさせて辿れへんようにするなぁ)
ついでに、全く関係ないエリアへ通じる配管から、大量の雑魚を送り込むのはどうか。
犠牲を払って配管を遡っても、そこに
(せやったら、一匹も増援しーひん、この配管て……)
ぞくり、と背筋を悪寒が走る。
導き出した仮定が意味するところを理解するより早く、妙な勘が働いていた。
(うちが親玉なら、巣へ直結する道は使わせへん)
まさか、この配管の先に
何かの予感に、激しくがなりたてる心臓。抑えるように胸へ手を当てても、鎮まる気配はない。
吸い寄せられるように、ふらふらと暗い穴へ近寄っていく。
配管の入り口に手を置き、ひょいっと奥を覗き込む。まっくらで何も見えない。
(……ちょいとそこまで見てくるだけや。何にもいーひんこと確認したら、すぐ戻ってくればええ)
一番の新人が思いつくようなことだ。どうせ、当たるはずがない。
上へ進言したところで、馬鹿にされるだけ。
そう考えると、西村は誰にも告げず、暗い配管内を歩き始めた。
――――――――
不思議なことに、西村が配管へ踏み入れた途端、齧りついていた雑魚たちは背から一斉に飛び降りた。後を追う素振りもない。そのことが、西村の仮定を裏付けているように感じられる。
ヘッドライトの灯りを頼りに、いつしか西村は走っていた。
どこをどう曲がったのかも覚えてない。
自分の足音だけが響く状態から、次第に小さな無数の足音が配管を伝って聞こえるようになった。それでもなお、鼠と遭遇することはなかった。
やがて辿り着いたのは、空調設備が集められた大きな管理室だった。作業中だったのか、天井の灯りが付いている。眩しさに、目を細めた。
配管の出口には、暗灰色の鼠の川ができている。
こちらに気づいた雑魚たちは、赤い目を爛々と輝かせている。しかし、なぜかこの配管内へ入ろうとはしない。
(思うた通り……この配管は、わざと放置されとったんや)
ならば、この先に
道を戻って現場指揮官へ伝えよう、と踵を返しかけた西村の耳に、つんざくような悲鳴が届いた。
「待って、行かんで!!」
甲高い声に、全身の肌が粟立つ。
ダブルギアの隊員が、自分より先に来ていたのだろうか?
そう考えたが、聞き覚えがない上に、どうも声が幼すぎる。
額や背中へ汗が伝う。だが、ここまで来て、振り返らないわけにはいかない。
(人間様の言葉を喋る【D】やら、いーひんやろな……)
それならそれで、どれだけ賢いのか、想像するだけでも恐ろしい。
振り返り、配管の出口へ近づいていく。無数の鼠に威嚇されながら、外へ身体が出ないように辺りを見渡した。
「ここばい、ここしゃぃおる!」
声のしたほうへ顔を向ける。
天井と床の中間くらいの高さの位置に、小さな
蓋へ群がる鼠で見えにくいが、着衣らしき布が見えた。
(ベージュ色の制服……小学生や)
男女共用のベージュのワイシャツと半ズボン。全国のシェルターで支給されている、小学生用の制服だ。
(小学生なら、割り振られた仕事もあらへん。化け
天井の高さは、三メートルを超えている。
道を戻ろうにも、追ってきたネズミに食い殺されるのが関の山。かとって、このままでは蓋が破られるのも時間の問題だ。
キィキィ、キューキューと声をあげ、鼠たちは次々と蓋へ体当たりを試みている。少女は、悲鳴交じりに叫んだ。
「お兄しゃん、ダブルギアしゃんばいね。助けてくれん!」
「――――っ!!」
ぎゅーっと、胃の辺りが痛くなる。
数百匹はくだらない鼠の群れを越えて、あそこまで辿り着けるだろうか。
パルクールが得意な
(せやけど、うちはなんの取り柄もあらへん
引き返して、仲間を呼んでくるか。
いや、ただの民間人一人のために、人員を割く余裕はない。現場指揮官の美咲が合理的判断を優先させるタイプなのは、座学のやりとりではっきりしている。
通信機で仲間に知らせるのも、同じことだ。
柊が殺されかけている、と伝えたにもかかわらず、多くの隊員は、西村の言葉を信じてくれなかった。戦場を知らない新人がパニックを起こして大げさに騒いでるだけ、と放置した。
翼なら話を聞いてくれるかもしれないが、今の彼女は班長でしかない。残念ながら、大きな決定権は持っていないだろう。
(やったら、見捨てるしかあらへんの?)
泣きじゃくる幼い子が。
助けを求める小さな子が。
自分を、護国の戦士と信じて手を伸ばす子が。
無数の鼠に圧し掛かられ、華奢な骨を噛み砕かれ、皮膚を引き裂かれ、噴き出す熱い血を啜られ、柔らかな肉を貪り食われ――髪の毛さえ残さず、生きた痕跡を消されていくのを見殺しにするしかないのか。
理性と本能がせめぎ合い、頭がおかしくなりそうだ。
チカチカと目の前が明滅する感覚。脳内麻薬が大量に分泌されている。
(どうせ、証拠は残らへん)
分かってる。
今すぐ引き返すべきだ、と理性では分かっている。
喰い荒らされる痛みと恐怖がいかほどか、嫌というほど思い知らされている。
(それに、うちが女やとバレてもあかんのやで)
西村は女子としてもかなり小柄で、男と言い張るなら、小学生にしか見えない。しかも、かなり声が高い。変声期前としても、男子ではあり得ないソプラノだ。
(つまり、一言も声を発したらあかんちゅうことか?)
会話をするな、なら可能だろう。小学生を軽くいなすことくらい、朝飯前だ。
しかし、悲鳴一つあげるな、というのは――。
「お兄しゃんお願い、行かんで!」
後ずさりしかけた足が止まる。
「
五年前の記憶が、押し寄せる津波のように蘇った。
化学プラントの火災事故があったあの日、西村は、三百名の同級生たちと工場にいた。避難勧告が遅れたため、予備科の指導員が避難を呼びかけたときには、既に廊下は真っ黒な煙が充満していた。
悲鳴をあげて走る同級生。それが、バタバタと倒れていく。一酸化炭素中毒で、指導員もすぐに動かなくなった。喉を掻き毟り、白目を剥き、口から泡を吹いて重なり合う知り合い。
助けて、と呟いて倒れた友だちを、どうすることもできない。皆を置いていくことを心で詫びながら、逃げるしかなかった。
足が焦げ、ドアノブを掴んだ指が溶け、肺を焼かれ……呼吸も心臓も、数えきれないくらい止まった。
それでも諦めなかった理由は、一つだけ。
(おとんに会いたい……)
西村の手が、ヘッドギア後頭部へ回される。
バンテージを取り出し、噛みつかれて肌が露出した部位へ巻き付けていく。更に、胸や下腹部といった性別が判断できる場所は、隙間もなくギチギチに覆った。
自分へ言い聞かせるため、口の中で呟く。
「この戦闘服を着てる限り、うちも男や」
出動前に、翼が教えてくれた言葉だ。
腰から提げた脇差の束へ手を掛ける。その指は、これから我が身に襲い掛かる底なし沼のような恐怖を前に、ぶるぶると震えていた。
血が滲むほど強くくちびるを噛み締める。
「男やったら、助けを求める
そう呟くと、西村は脇差を抜いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます