第44話 出動

佐東さとうつばさ、少し話がある」


 京都到着まで残り十五分を切った頃、さかきに呼ばれ、二人は別の車両へ移った。

 壁一面にパネルや機器が並び、ひっきりなしに無線の音声が流れている。話し声と電子音が溢れる車両を進み、隅に位置するボックス席へ。角に榊が座り、その正面に翼、隣にしゅうが座る。

 榊はやや前のめりの姿勢をとり、軽く開いた膝に肘を乗せる。周囲の職員の位置を確認すると、囁くような声で話し始めた。


「これから全体へ通達するが、【D】の出現数が確定した」


 一体だけなら、わざわざ呼び出す必要はない。柊と翼の表情に緊張が走る。

 壁に背を預ける榊の表情は、軍帽に隠れてよく見えない。


「目標は大蛇型・・・。現在、二体・・の【D】は、直線距離で約十四キロメートル離れたまま、別行動をしている」


 大蛇型が二体――無意識に、安堵のため息が洩れる。神獣型でもなく、レアケースの大量増殖タイプでもない。


「それなら、いつも通りですよね?」


 敢えて明るく尋ねた柊へ、榊は首を振った。


「出現から、既に三十八時間近く経過している。【D】は、時間経過とともに個体成熟が進み、加速度的に脅威が増す」

「……パワーアップしてる、ってことですか?」

「通常型が神獣型になるわけではないが、危険なことに変わりはない」


 とはいえ、それだけなら現場指揮官である翼に通達し、彼女がみんなへ話せばいいだけだ。そのことに気づいた翼の頬が、緊張で強張る。


「それで、私と一緒に柊を呼んだ理由は」


 榊は膝に肘を置いたまま、顔の前で指を組む。軍帽と指の隙間から、柊を覗き見るように視線を向けた。


「佐東。おまえが入隊前に経験した山犬型のようなケースでは、どう戦うべきだ?」


 翼が柊を単独で追走したのは、“現場指揮官として最低の判断”、“自殺行為”と言われるほどの掟破りだったらしい。

 つまり定石セオリーは、複数出現した【D】の個体と個体の距離が離れている場合、一体ずつ撃破を狙うのだろう。

 答える柊に、翼も頷く。しかし、榊の視線は依然として鋭いままだ。


「そうだ。しかし今回は、佐東が単独で一体の【D】を担当し、残る二十三名で、もう片方と戦闘を行うことが決まった」


 何を言われたのか、理解できない。

 一拍おいて、翼は柊と榊の間で視線を往復させながら尋ねた。


「柊は、臨界速ダブルギアを使用するのですか」

「そうだ。佐東一人なら、他の隊員の目を気にする必要はない。それに、佐東は前回、二体目の【D】を単独で倒している」

「確かに柊は、身体能力も優れていますし、現状では臨界速ダブルギアを使える唯一の隊員です――ですが!」


 翼の膝に置かれた拳が、白く握りしめられる。


「彼は、これが二度目の出動です。不測の事態が起きた場合、彼をフォローする隊員がいないなんて……柊を殺すおつもりですか!」

「私も、そう進言した」


 返す榊は、心なしか俯き気味に見える。


「佐東の個人戦闘能力の高さは、それを有効活用できる現場指揮官がいて初めて輝くものだ。第一、あまりにも経験がなさすぎる」

「このような無謀で危険極まりない作戦を提案したのは、一体、誰ですか!」


 くちびるを噛んだ後、榊はそっと軍帽の鍔を引いた。


「提案ではない。長谷部司令からの命令・・だ」


 榊は二佐、昔の表現でいう中佐だ。対する長谷部は、中将。階級に疎くても、榊では長谷部の命令を撤回できないことは明白だ。


「この命令を撤回できるのは、内閣総理大臣だけだ」

「では、総理に撤回を求めましょう」

「現在の内閣総理大臣は、エネルギー問題や食糧事情改善のための技術革新に心血を注がれている。【D】災害は、全て長谷部司令に任せる、とのことだ」

「そんな馬鹿な!!」


 いつの間にか、翼は席から立ち上がっていた。

 絶望的な命令を言い渡された柊は、茫然と床を眺めている。すると榊は、翼から柊へ顔を戻した。


「確かに、佐東の経験不足は事実だ。しかし、そこにさえ目をつぶれば、今回の命令もまったく意味のないものではない」


 反論しようとする翼をそっと手で制止し、榊は冷静に語り掛ける。


「今回は、敵の発見まで一日半も要してしまった。恐らく、【D】の成熟は極めて危険な域にまで進んでいる」


 床の汚れを眺めている柊の頭を、榊の説明が右から左へ流れていく。

 定石通り、一体ずつ撃破を目指したとする。しかし、その状態で成熟の進んだ二体の【D】が合流した場合、小隊が壊滅しかねない。

 それを防ぐため、臨界速ダブルギアを使った柊が一方の【D】を抑えている間に、残りの隊員でもう一体を倒す――理に適っているようには聞こえる。


「長谷部司令の二面作戦を、私は、二体の【D】が合流しないよう行動妨害ブロッキングしろ、という意味で受け取った。佐東が一人で倒す必要はない。仲間たちがもう一体を倒すまで、時間稼ぎをしてもらいたい」

「それなら、まあ、何とかなるかもしれませんけど」


 どこか虚ろな声で呟く柊の背を支えるように、翼の手が当てられる。だが、その表情は険しい。


「小隊長、やはり私は反対です」

「おまえの気持ちは、私とて痛いほど分かる。だが――」

「一番の新人を、たった一人で戦わせるなんて!」


 その言葉に、柊が顔を上げた。

 三年前、ダブルギアの戦闘員たちは、一番の新人である翼に全てを託した。それ以来、重い十字架を背負ってきたからこそ、翼は柊を独りで行かせる作戦を飲めないのだろう。

 隣に立つ翼を見上げる柊。その瞳に、先ほどまでの迷いはない。


「俺は行くよ、翼」

「柊っ」

「俺は、戦術なんて全然分からないけど、どう考えたって、二体が合流するのは避けないと」

「ダメだ。君を独りになんて、絶対させない!」


(なんで、翼が泣きそうになってるんだ)

 大きな瞳も、長いまつげも潤んでいる。ほんの少し俯いたら、大粒の涙が零れ落ちてきそうだ。

 心配されているのが嬉しくもある。だがそれは、翼にとって柊も“守るべき仲間”でしかないことを意味していた。

 だからこそ、柊は精一杯の笑顔を作ってみせた。


「俺を信じてよ、翼」

「え?」

「約束する。絶対に無理しない。長谷部司令が何か言ってきても『俺にはこれが限界です』とかなんとか言って、時間稼ぎを続けるから」


 大きな瞳をいっそう丸くする翼へ、大きく一つ頷く。


「俺は翼の指揮を信じてる。だから翼も、俺が行動妨害ブロッキングをやり遂げる、って信じてよ」

「柊……」

「約束するから」


 そっと目を伏せた翼が、小さく頷く。


「約束だ。すぐに戦闘を終わらせて、そちらへ合流する」

「了解」


 二人の納得するのを見届けると、榊は小さく息を吐いた。


「もうすぐ到着だ。翼は、佐東が別行動することを、隊員たちへ伝えてきなさい」

「単独行動の理由は」

「二体同時ではなく、増殖したことにしろ。佐東は、増殖個体の行動妨害ブロッキングに向かう。佐東の後方支援には、航空自衛隊の協力を取りつけた、と説明しなさい」


(また柳沢が騒ぎそうな作戦だ……)

 戦闘前に絡まれたら面倒だ、と思いながら柊が肩を竦める。

 しかし榊は、柊の仕草を違う意味にとったらしい。


「いや、自衛隊の協力は事実だ。無人航空機ドローンによる撹乱程度だろうが、何もないよりは、まし・・だろう」

「そうなんですね」

「了解しました。みんなに伝えてきます」


 翼が隣の車両へ移動するのを、二人は見送った。

 ドアが閉まるのを待って、榊はゆっくりと前傾姿勢へ戻した。つられて柊も、軽く前のめりになる。掻き消えそうなほど低い囁きが聴こえた。


「……忠告だ。長谷部司令の言動に注意しろ」


 はっとして、視線を上げる。

 軍帽の鍔から覗くまなざしは、いつになく鋭い。


「長谷部司令は、おまえが一人で【D】を撃破した、という功績を、もう一度あげさせたいのだろう。恐らくは、私と通信できない状況を作り、“【D】を倒せ”と強要すると予想される」


 なるほど、長谷部の考えそうなことだ。

 しかし、柊はこれが二戦目ということを、長谷部は度外視しているのだろうか。あるいは、それほどまでに月読命のダブルギアの可能性を信じているのか。

 考え込みそうになる柊の肩を、榊の白手袋を嵌めた大きな手が掴む。


「絶対に、無理をするな。翼たちが合流するのを待て」

「分かってます」

「嘘を吐くのと、黙っているのは違う。おまえは目標撃破のための最適行動として、慎重に攻撃のタイミングを計るだけだ」


 そう言って、榊は僅かに表情を緩めた。


「それと、私個人の頼みだが――翼を信じてやってほしい」

「長谷部司令に何を言われても、俺は翼を信じて待ちます」

「……あの子のとして感謝する」


(こんなときも、自分は男だ、って態度なんだな)

 榊の態度は一貫してぶれない。それが妙に頼もしかった。

 柊の肩から手を離した榊は、口もとに微笑を浮かべてみせる。


「そろそろ停車準備に入る。佐東も、自分の席へ戻れ」

「はい」


 元の車両へ戻ると、隊員たちの視線が一斉に向けられた。

 既に、翼から説明が済んでいるのだろう。柊を心配する者、上層部の判断を訝しむ者、どうしてまたあいつばかり、と不信感と憤りを露にする柳沢グループ――反応は様々だ。

 着席すると、結衣が話しかけてきた。


「あの長谷部おっさん、ムチャぶりもいいとこだよ! ここにあいつがいたら、ボクが、ぼっこぼこにしてやるのにさ!」


 ぼっこぼこだよ、ぼっこぼこ。結衣はそう言いながら、ふにゃふにゃなシャドーボクシングを披露してみせる。

(格闘の成績は、悪そうだ)

 彼女の隣に座る伊織が、結衣の脇腹を肘でつつく。


「ヘッドギアなしで殴りかかったら、ぼこられるのはおまえさんだぞ」

「ボクだって、現役の隊員だよ?」


 シュッシュッ、と風を切る音を口で言いながら、結衣はシャドーボクシングを続けている。哀れな独り相撲を放置して、伊織は腕を組んだ。


「長谷部は、自衛隊からの出向だ。あの世代なら、幹部候補生として若い頃は相当厳しい訓練を受けたはずさ」

「……むぐぐ。じゃー、ボクの代わりに伊織がぼこぼこにしといてよ」

「生憎、あたしは自分のこと以外に興味がないもんでね」


 鼻で笑った後、伊織は前のめりの姿勢を取った。同じ姿勢になれよ、というように、ちょいちょい、と柊を指で誘う。


「翼のことは、あたしに任せろ。」

「伊織も無理しないで」


 口もとに笑みを浮かべる伊織から、通路に立つ翼へ視線を向ける。

 班長たちと地図を手に作戦を確認している彼女の背中は、とても頼もしい。それはきっと、翼が“守るべき仲間”たちに囲まれているからなのだろう。

 そう思うと、柊は翼の華奢な後ろ姿に、言い知れない不安を感じずにはいられなかった。

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