第26話 榊明彦と佐東柊

 明後日の全国放送へ向けて、基地内は騒然としていた。

 十七年に及ぶダブルギアの歴史において、戦闘員が人前に出る、ということだけでも大ごとなのだ。しかもその代表として選ばれたのが、現場指揮官のつばさと、新入りのしゅうとなれば、なおのことだ。

 戸惑い、混乱、不安、怯え、興奮、歓喜、怒り――二人を除く隊員たちを見ても、その反応は様々だった。

 おまけに放送用の原稿作りや戦闘服の新調など、やらなければならないことが山積みなのに対し、人員が足らなすぎる。そのため、とりあえず戦闘員は二日間とも非番とし、治療に専念することが通達された。


 会議室では、小隊長のさかきを中心として、生放送用の原稿を作成していた。

 榊の隣に座る秘書が、職員たちと榊の会話をタブレットへ記録していく。会話を文章化する速度は、同時通訳並みだ。と、通信が入ったことで秘書の手が止まる。


「小隊長。榊一尉と佐東さとう三尉が、仮眠から目覚めたそうです」


 榊は壁の時計を確認した後、職員たちを見渡した。


「私は、翼の様子を見てくる。それまで議論を詰めておいてくれ」

「分かりました」

「了解です」


 榊は、会議用の椅子から立ち上がろうとして、ぐらつきそうになった。長テーブルに突いた手で、咄嗟に持ちこたえる。背後から囁く秘書の声。


「……小隊長も、少しお休みになってください。原稿は、わたくしが」

「構うな。今の翼を支えてやれるのは、私だけなのだ」

「小隊長も、戦闘員の出動に同行したのですよ。精神面は気力でどうにかなっても、肉体的な疲弊は――」


 心配そうに見上げる秘書の視線を避けるように、榊は軍帽の鍔を引いた。


「全国放送が終われば、幾らでも休む。それより、職員たちに休憩を取らせておけ。半分寝てる奴が、そこら中にいるぞ」

「おっしゃることが矛盾してますわよ」


 面倒くさそうに目を閉じると、榊は低い声で呟く。


「小隊の存在自体、矛盾そのものだ」

「そうですけれども」

「翼のところへ行ってくる。佐東の報告は?」

「先ほど、『巨大生物研究所』の職員から、カウンセラーを派遣した、と報告がありましたが」


 それを聞いた榊の眉間に、しわが寄る。


「確かに佐東は、あの自信のなさの滲み出る言動にこそ、問題があるのだが……」


 カウンセリングのような長期的な対応が、今必要か?

 榊の疑問は、殺人的スケジュールによって、記憶の片隅へと押し流されていった。


――――――――――


 ダブルギアの基地、地下十三階。

 カウンセリングルーム、という札が入口に下げられた部屋に、柊はいた。

 ふかふかの布カバーが掛けられたソファや、優しい色合いの風景画といった調度品が目につく。機能性を追求した他の区画とは、明らかに違う目的で作られた場所だ。ただ、普段は使われていないのか、整頓されているわりに空気が埃っぽい。

 部屋で待っていたのは、この時代では珍しい、三つ揃えスーツを着た中年の男だ。スーツの上から白衣を重ね、ネクタイの代わりにループタイをしている。

 長谷部と同世代――五十前後、といったところだろうか。眼鏡を掛けたループタイの男は、愛想のいい笑顔で出迎えてくれた。


「やあ、君が百年ぶりに覚醒したという、ツクヨミ君だって?」

「は、はい」

「そんな畏まらなくていいよ。奥へ入って、ソファにでも座って。紅茶と珈琲、どっちがお好みかな?」


【D】に対する不安や物資不足で、常に人間関係がギスギスしている地下都市では、これほど愛想のいい人間は滅多にいない。柊は別の意味で緊張しながら、素直に部屋の奥へ進んだ。

 勧められるがまま、二人掛けソファの真ん中へ腰を下ろす。スプリングの弾性が、心地よい。無意識のうちに、身体を揺らして遊んでいた。

(すごい弾むなぁ。こんな椅子で寝たら、気持ちよさそう……)

 戦闘と、長谷部に叱責を受けた疲れのせいか。柊はぼんやりした顔で、しばらくソファのスプリングを楽しんだ。その様子を、白衣の男はじっと見つめている。口もとは柔らかな笑みを浮かべているが、鋭いまなざしは、分析官そのものだ。

 しばらくして、柊は、はっと我に返った。


「あの、すみません……つい」

「構わないさ。何なら、次に会うときは、一緒にバランスボールでも楽しみながら、っていうのも面白そうじゃないか」


 それで、何を飲む? と、再度尋ねる。

 柊は少し考え、同じものでいいです、と答えた。すると、男は棚からキャニスター缶を取り出し、フィルターへ黒い粉末を入れ始めた。


「佐東くん、だっけ。少しは眠れたかい?」

「はい。あの、あなたは……」

「僕は隣の『巨大生物研究所』から派遣された、カウンセラーの榊明彦あきひこだ」


 どこかで聞いた名前だ、と柊は首を捻る。だが、寝不足と疲れのせいで、どうにも思い出せない。それより、「榊」という苗字が気になった。


「じゃあ、翼や小隊長の親戚ですか?」

「一応、生物学上の父親だよ。地上時代から仕事漬けの生活をしてるから、彼女たちが僕を父親と思ってくれているかどうか、自信はないけどね」


 フィルターへ湯を注ぎながら、明彦は笑った。

 嗅ぎなれない香りが部屋中に広がる。珈琲というものの存在は知っていたが、柊が口にするのは、これが初めてだ。今のご時世、輸入品の伝手など、残されてはいない。十七年前の珈琲の賞味期限が切れているとしても、幻の高級品であることには違いなかった。

 普段、贅沢に興味のない柊でさえ、思わず身を乗り出すほど、芳醇な香りだ。


「珈琲は、初体験しょたいけんかな?」

「しょ……あ、はい」

「じゃあ、特別に砂糖も入れてあげよう。珈琲処女コーヒーバージンにブラックは、ちょっと刺激が過ぎる」


 女子ばかりの食堂では聞かない軽口に、柊は適当な作り笑いをした。

(こういうの、久しぶりだ。自警団のロッカールームのほうが、ずっと過激だけど)

 明彦から、黒い液体の入ったマグカップを受け取る。熱いから気をつけて、と言いながら、彼もマグカップを手に、対面のソファへ座った。

 黒い液体を、一口啜る。

 熱い。しかも苦い。苦みの奥には、酸味と微かな甘みまで隠れている。鼻腔をくすぐる香りと未体験の味に、舌が混乱している。しかし、どうにも癖になる飲み物だ。

 半分ほど飲んだところで、明彦の視線に気づく。目が合った瞬間、明彦はにっこりと微笑んでみせた。


「美味しいかい?」

「……あ」


 ソファに続き、珈琲に夢中になっていたことに気づき、慌ててマグカップを膝の上へ置く。


「貴重なものを、ありがとうございます」

「いやいや。僕のものじゃないから、これ」

「えっ?」

榊小隊長うちの娘の私物らしいよ」


(それは、本気でまずいのでは)

 冷や汗が、ぶわっと噴き出してくる。目を白黒させている柊を、明彦は興味深そうな目つきで観察していた。


「ところで、何で俺……じゃなくて、わたくしはここへ呼ばれたんですか?」


 顔色を窺うように、柊は上目づかいで明彦を見た。二人の身長は、さほど変わらなく見えるが、わずかに明彦のほうが高い。


「俺、で構わないよ。そんな風に身構えてたら、肩が凝るでしょう」

「でも」

「僕は、厳密にいえば外部の人間だからね。基地での階級や年齢なんて、気にしなくていいんだよ」


 その言い方は、基地へ来たときに翼が語ったものと似ていた。

 明彦は、年齢にしては腹も出ていないし、がっしりとした筋肉質な肉体をしている。すらりとした印象の榊や翼とは、あまり似ていない。だが、上下関係なんて気にしなくていい、という言葉が、彼と翼が親子なのだと感じさせた。

 ありがとうございます、と答える柊の声は、幾らか緊張が和らいでいた。


「ここへ来てもらった理由だけど」


 明彦は珈琲を一口啜ると、テーブルへマグカップを置いた。


「君、全国放送に出演する、って承諾したこと、後悔してるでしょ」


 柊の膝に置かれた手が、ぎゅっと握られる。

 何も答えることができなかった。そんなことありません、という一言が頭に浮かんだはずなのに、喉から出てこなかった。

 明彦はそれを責めるでもなく、柔和な笑みを浮かべたままいる。


「聞いたよ。ヘッドギアを自警団員の前で脱いでしまった、って。今回の生放送は、その懲罰なんでしょう?」

「……はい」

「自分なりに頑張ったのに、褒められるどころか、懲罰を受けろ、なんて言われたわけだ。僕なら、頭の中で百回くらい殺してやらないと気が済まないよ」


 おどけてみせる明彦を前に、柊は視線を彷徨わせた。

 反論はない。しかし、肯定のサインも出さない――そんな柊を、じっと観察している。


「懲罰だから、なんて理由で人生の大きな決断をさせられるのは、君も不本意だろう」

「まあ」

「だから、君の不安や疑問を、少しでも解消する手伝いがしたいんだ」


 明彦の言葉に、柊は膝の上に置いた自分の手から、そっと視線を上げた。


「質問をしていい、ってことですか?」

「僕が知ることなら、何でも答えるよ。そうやって、少しでも不安を減らして、できれば君自身の意志で会見へ臨んでほしい」


 テーブルに置いていたマグカップを、両手で掴む。

 しばらく考えた後、柊は尋ねた。


「……俺が、月読命ツクヨミノミコトのダブルギアが、臨界速ダブルギアを使っても発狂しないという話は、ちゃんと根拠の・・・あること・・・・なんですか?」

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