第9話 閃光のように、苛烈な

 消灯時刻を過ぎた館内は、静まり返っている。それは、昼間に館内を歩いたときの整然とした静けさとは、少し違っていた。どこか不安を感じさせるような、沈黙にも似た雰囲気がある。

 しゅうは、ベッドに横たわったまま白い天井を見つめていた。消灯後の光源は、足元をほのかに照らす青白い常夜灯が一つだけ。ドアへ続くはずの天井は、蒼い薄闇へ溶けていく。


 人生で、一番目まぐるしい二日間だった。

 いつもと同じ時刻に起きて、自警団の先輩にくだらない因縁をつけられ、当たり前のように朝食を半分以上取られ、新人たちで武器のメンテナンスをした。いつもと変わらない仕事、いつもと変わらない顔ぶれ、いつもと変わらない扱い――その日常を切り裂いたのは、耳障りに響いたサイレン。


【D】が日本各地のどこへ出没するか、人類には予測できない。ただ、二十八日周期で、次の個体が日本のどこかに現れることだけは確定している。だから出現予定日になると、どこの地下シェルターも厳戒態勢を取る。

 厳戒態勢と言っても、柊も所属していた自警団を地上へ派遣し、【D】が近くにいないかどうか、索敵することしかできない。後は、強化シャッターで出入口を塞ぎ、「どうか今月はうちの都市ではありませんように」と、神に祈るだけだ。


 そして昨日、柊が生まれ育ったシェルターが襲撃された。

 柊は、同じ仲間だと思っていた自警団のリーダーに騙され、危うく【D】の餌にされるところだった。息の続く限り、逃げることしかできなかった。


(予備科にいた頃は、「俺がこのシェルターを守るんだ」、って思ってたはずなのに……何も、何一つできなかった)


 人類の兵器は、神降ろしダウンロードをした巨大生物に、傷一つ負わせることができない。そうなると、人類に残された手は人海戦術しかなかった。

 敵を傷つけることのできない無意味な武器を背負い、守ってくれない防具を身にまとい、命懸けで走るしかないのは、どこの国も同じだった。


 自警団は、エリートの下積み――将来、要人警護や自衛隊、警察等に割り振られた後、出世する最短ルート。柊もそう信じていた、今日までは。 

 けれども、それは体のいい誘い文句でしかなかった。

 自警団は、「肉の盾」なのだ。

 シェルターの損傷を最小限に抑え、ダブルギアたちが到着するまでの時間稼ぎでしかない――それが、現実だ。自警団出身者が軒並み出世するのは、殺されなかった強運と一定以上の体力があれば、どんな分野でも生きていける、というだけのことなのだろう。


 恐ろしい化け物に追いかけられている最中、誰かに助けを求め、何かに祈り、何者かを罵った。地を蹴り、心臓が口から飛び出してきそうなくらいになっても脚を止めず、瓦礫を飛び越え、走り続けた。


 幼い頃から、厳しい訓練に明け暮れてきた。生まれ持った素養とたゆまぬ努力の甲斐あって、身体能力で柊に敵う者はいなかった。

 それでも、親からは「幽霊と話す子」として疎まれた。教官からは「必死さが足らない」と嫌われ、同級生や先輩からは「調子にのってやがる」と距離を置かれ、あるいは数に物を言わせて暴力や暴言で虐げられてきた。


 だが、一度たりとも反抗しなかったし、言い返したこともなかった。それは、声だけの妹が、ケンカしないで、と言ったから……だけじゃない。

 真面目に仕事をして、努力して、人の役に立てるようになれば、いつか誰かが自分を受け入れてくれるのではないか、普通の家族や友達として接してくれるはず。そう願い、信じ、夢に見ていたから。


 しかし、現実は非情だ。

 被害を最小限にするため、誰もいないはずの市街地へ走り出した柊を、助けてくれるような人は、一人もいなかった。ヘルメット内蔵の通信で、心配してくれる声もなかった。

 誰からも必要とされていない自分は、足の速い「肉の盾」でしかなかった。


 それでも、立ち止まろうとは思えなかった。死にたくなかったから。

 だが、このまま頑張っても、ビルの屋上で目撃した野犬のように生きたまま身体を引き裂かれ、内臓を貪られる、と分かっていた。すぐ真後ろまで迫っていた化け物の鼻息に、叫びだしたくて仕方なかった。

 助けの手は、差し伸べられない。

 英雄ヒーローなんて、存在しない。


 殺される――そう直観したとき、は現れた。


 全身黒尽くめの戦闘服に身を包み、太刀を握りしめた少年。

 自分より何十倍も大きな巨大生物を前に、彼は一瞬の躊躇も見せず、果敢に切りかかった。それは、閃光のように苛烈な一撃だった。


 地を蹴る小さな足、柊よりもなお小柄で、筋力もなさそうな華奢な背中。

 一切の無駄のない動きで太刀を滑らせ、山犬に似た敵の首を一刀のもとに切り伏せる。

 血飛沫と共に光の洪水と化して消えていく【D】を背景に、彼は肩を荒いリズムで上下させていた。彼がたった独りで柊を救うために駆けつけてくれたのは、誰の目にも明らかだった。


 そして差し出された、黒革の手袋グローブを嵌めた小さな手。


――君、大丈夫か。


 声変わりをしていないボーイソプラノが響く。

 その瞬間、柊は気づかされたのだ。


 彼こそ、この世を救う英雄ヒーローなのだ、と。

 自分がなりたかったのは、使い捨ての肉の盾なんかではない。誰かのサンドバッグでもないし、周囲に忌み嫌われる存在でもない。

 自分も、彼のような「誰かのために戦う英雄ヒーロー」になりたかったのだ、と。


 要人でも何でもないただの民間人だった柊のために、翼はたった独りで助けに来てくれたのだ。姿を見られる危険を冒して。


 だから、彼女と再会して、柊はもう一度立ち上がることを決めた。

 使い捨ての肉の盾ではなく、ただ逃げるだけのか弱い存在でもなく。自分も、誰かのために戦う英雄ヒーローになりたい――。 

 そんなことを考えているうち、いつしか柊は眠りに落ちていた。

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