第10話 地下シェルター
――地下に建設された東京シェルターの1つ、その小会議室にて。柊が基地へ移送された数日後の午前。
会議室には、二つの長テーブルが向かい合わせに置かれ、六脚のパイプ椅子があった。地下なので、窓はない。ところどころ錆の浮いた調度品の数々は、慢性的な物資不足の現れだった。
室内には、二人の男女がいた。
眼鏡を掛けた中年の男は、現代の日本では滅多に見なくなったスーツを着ている。しかし、ネクタイの代わりにループタイをしているところを見ると、政府高官ではないらしい。男は、長テーブルを挟んで座る妙齢の女性へ話しかけた。
「久しぶりの東京は、どうですか――
土御門、と呼ばれた女は、肩方の眉だけぴくりと動かすと、にこやかな作り笑いを浮かべた。
「東京は、徳川はんが造られはった新しい街どすさかい。そらもう、今風な感じやろうか、思て来たんどすえ。せやけど、庶民的な感じやし、若い人にはちょうどええのやあらしまへんか?」
「なるほど……せせこましくて敵わない、と」
「東京もんが、大勢して狭いところで遊ぶのが好きなんは、徳川はんの時代からの習わしですやろ。えらい賑やかで、よろしいこっとす」
京都訛りの美女は、そう言ってタイトスカートを履いた足を組み替えた。三十を超えているようだが、顔の造形は整っている。
と、土御門は軽く嘆息すると、疲れた様子で目を細めた。
「……世間話をしに来たのとちゃうやろ。本題へ入るで」
取り澄ました作り笑いが消えたのを受けて、中年の男は、ぐいっと身を乗り出し、長テーブルへ両手を置いた。
「それで、例の少年――
「彼は正真正銘、ほんまもんの『
「
「納得がいかへんようやなあ、
明彦、と呼ばれた中年の男は、大げさに両手を開いてみせた。
「おやおや……僕はただ、反証の仮説も立てずに推論を鵜呑みにする危険について、憂慮しただけですよ。一人の学者としてね」
「ほんま、アメリカ帰りのFBI崩れは、何でもややこしゅうするのが好きやな」
「仕事で行っただけですよ」
明彦を一睨みすると、土御門は鞄から取り出した空色の扇子を開いた。現代では高級品となった和紙に、銀箔で描かれた流水紋が目にも涼し気だ。空調は入っているものの、密室のシェルターは常に蒸し暑い。明彦も、額の汗をハンカチで拭いている。
「地下へ退避する以前、日本人は、オリンピックのマラソン競技で幾度も金メダルを獲得しています。佐東柊は、世が世ならば金メダリストになり得るほどの俊足だっただけ――という可能性は?」
「彼の脚が金メダル級、ちゅうのんは否定しいひんよ。さすが、自警団の出なだけはある」
けどな、と続けながら、土御門は扇いでいた手を止めた。
「現役のダブルギアかて、加速補助なしに【D】から七キロも逃げ続けるなんてできひんやろ。そないなのは、あんたら『特定巨大生物研究所』のほうが専門ちゃうん?」
「では、佐東柊がダブルギアに覚醒していることは間違いない、と」
「そやな。しかも、オリンピック級の身体の覚醒者なんて……
「ははは……世が世なら、征夷大将軍か誉れ高い武将並みというわけですか」
そう言って、明彦は質問を続ける。
「では、何らかの理由で性別を偽っている可能性は?
「ここ数日、身体検査や体力測定と称して頭のてっぺんから爪先まで観察したけど――間違いのう、男の子どしたで」
「妙齢の女性に隈なく身体検査されるなんて、思春期の少年には、なかなか刺激の強い経験だっただろうね」
どこか茶化すような明彦の口ぶりに、土御門は作った笑顔で応酬する。
「えらい恥ずかしがっとったけど、うちは医者や、言うたら信じてくれはってな」
「背中の痣は?」
「もちろん、確認したで」
「タトゥーという可能性は?」
「覚醒の痣なら、天照大神のダブルギアでなんべんも見てるわ」
「ははは……まさか、本当に彼が月読命に選ばれた護国の戦士だ、と?」
鼻で笑って肩を竦める明彦へ、土御門は冷たい視線を送った。
「えらい食い下がるなぁ。あんたは、
榊明彦――翼と榊小隊長の父である男は、声を出さずに口もとだけで笑った。
「神に愛されなかったのは、君も同じでしょう? 土御門家の
二人の視線が火花を散らしたそのとき、前触れもなく会議室のドアが空いた。
戸口に現れた、中年の男。その背後には、屈強な男たちが何人も控えている。男たちは皆、自衛隊の礼服を着ていた。
その中でも、先頭の男の胸元には幾つもの勲章が輝いており、男の地位が高いことを表している。
明彦と土御門は、居ずまいを正したり咳払いをしたりして、場を取り繕おうとした。
「
「狭くて敵わん。次は、大会議室くらい抑えておきたまえ」
長谷部と呼ばれた男は、そう言いながら空いていた一番奥の椅子へ向かった。
すると、我が物顔でその後に続こうとする男たちへ、土御門が追い払うような手つきで、シッシッ、と手を振る。
「あんたらは、この部屋に入られへんよ。早う出て行って」
「なんだ、貴様」
「このお方をどなたと
気色ばむ男たちを前に、小柄な女性であるはずの土御門は一歩も引けをとらない。椅子に座ったまま、抜身の刃のように鋭い視線で男たちを睨みつける。厳しい訓練を受けているはずの男たちが、思わずたじろぎそうになるほど、その眼光は厳しい。
ややあって、椅子に腰かけた長谷部が軽く手を挙げた。
「……いい。おまえたちは廊下で待っていろ」
「はっ 畏まりました!」
「失礼いたします!」
九十度の角度でテーブルの角を曲がると、屈強な男たちは再び廊下へ戻り、静かにドアを閉めた。会議室には、三名の男女だけになる。
勝手に上座へ座った長谷部は、恐らく明彦と同世代だろう。ポケットから煙草を取り出そうとしたところで、やんわりと明彦がそれを咎める。
「総司令、この区画は完全禁煙です。喫煙をお楽しみになられるのなら、地上でやんちゃな野犬と戯れながらのサファリコースがお勧めですが――」
「ふん……私のいる場では、私が法だ」
ふてぶてしく言い放つと、長谷部は堂々と煙草へ火をつけた。
調理室など、ごく一部の区画以外は火気厳禁となっている地下シェルターにおいて、喫煙できる場所も、人間も、非常に限られている。それだけ地下へ逃げ延びた人類にとって、火事は危険なものだった。
日頃、長谷部と会うことのない土御門は露骨に眉をしかめて見せたが、明彦はすっかり諦めた様子で肩を竦めるだけだ。
満足げに紫煙を吐き出すと、長谷部は指に挟んだ煙草で土御門を指さす。
「電話で話していた新人戦闘員の真贋の件は、どうだった」
「ちょうど今、その話をしとったところどす」
土御門は、今しがた明彦へ話したのと全く同じ内容を簡潔に報告し始めた。
しかし、長谷部は大して興味のなさそうな顔で言葉を遮る。
「月読命のダブルギアは使い物になるのかどうか、だけだ。些末な情報は要らん」
「……ほな、天照大神のダブルギアと比べた場合のメリットと、デメリットを」
土御門は、頭の中に入れてあるデータをもとに説明した。
月読命のダブルギア側の大きなメリットは、二点。
一つ、二十歳で退役となる天照大神のダブルギアと違い、明確な活動年齢の上限が存在しないこと。
一つ、天照大神のダブルギアにとって「禁じ手」とされている最終奥義を、制限付きで使用することができること。
「誰が聞き耳を立てているか分からん。端的に、新情報のみ伝えろ」
「ほな、両者の性能がちゃう理由は、置いときまひょか」
盗聴器を探すような視線を大げさに巡らせ、土御門は軽く頷いた。
「デメリットは、おっきなものは一つだけ」
「言ってみろ」
「ご存じの通り、月読命のダブルギアは、滅多に覚醒しまへん。百年に一人とも、天照大神のダブルギアの覚醒率の1/500とも言われとります」
土御門の言葉に、長谷部は軽く鼻を鳴らした。
「替えの効かない
その発言に、明彦がやんわりと口を挟む。
「総司令。天照大神のダブルギアも、替えが効く隊員は一人もおりません」
「替えならば、毎年、何人も見つかるではないか。天照大神のダブルギアは」
軽く言い放った長谷部へ、土御門は嫌悪感丸出しの目を向けている。しかし、長谷部はそんなこと全く意に介さない様子で煙草の煙を吐いた。
「だいたい、天照大神のダブルギアは兵として欠点が多すぎる」
懐から取り出した携帯用灰皿へ、トン、と灰を落とす。
「神の魂を人体へ降ろすために、『魂の器』に余白が多く、また心の柔軟な十代の内しかヘッドギアを使用できない――つまり、戦場に慣れる頃には退役だ。これでは、いつまで経っても採算が合わなかろう」
長谷部の言葉に、明彦は、どこか宥めるような薄笑いを浮かべた。
「ダブルギアは、『魂の器』の限界を超えて
「だが、月読命のダブルギアは違うのだろう」
「限界値が著しく高い、というだけで、基本理念は同じです。超長時間の活動、あるいは体力の消耗が激しい場合など、月読命のダブルギアにも発狂の危険はあります。無計画な出撃は、控えなければなりません」
口もとは笑みを象っているが、明彦の目は笑っていない。
すると、緊迫した空気を和らげるように、土御門が軽く笑い声をあげた。
「まあ、幾ら能力に恵まれとっても、指示に従えへんような性格やったり、そもそも指示が理解できひん
「IQと性格はどうだ」
「おつむのほうは、普通とちゃうんどすか。性格診断に関しても、問題あらしまへん。責任感は強うて、真面目。ただ、元のシェルターの自警団に提出さした資料に、若干、気になる部分も」
男たちの視線を集め、土御門は開いた扇子で口もとを隠した。
「自己評価が、ボロボロなんどす。自分のことを、生きてる価値のあらへん人間、と感じてるらしおっせ」
「……これだけ恵まれた条件で?」
「けったいな話ですやろ? 佐東柊は、世界中で最も神に愛された一人であると同時に、生きてる人間には、いっぺんも愛されたことのあらへん子どもなんよ」
それを聞いた明彦は、どこか遠い目で呟いた。
「……不当に自己評価の低い子どもは、心に大きな爆弾を抱えたようなものだ。適当にカウンセリングごっこをすれば、どうにかなるものではない。早急に手を打たなければ――」
「そこは、あんたのお仕事やで」
「すぐ、小隊長と対処を決めます」
そこまで聞くと、長谷部は煙草の火を消し、携帯灰皿へ投げ入れた。
「せっかく来たのだ。私は、その月読命のダブルギアの顔を見て帰るとしよう」
椅子から立ち上がり、ドアへ近づく。中の様子を窺っていたらしく、即座にドアが開かれ、屈強な男たちが長谷部を出迎えた。
大勢の警護の者を引き連れて長谷部が去ると、二人きりの会議室は、しん、と静まり返った。明彦と土御門は、目配せし合うと、黙って首を振る。長谷部の言動が鼻についたのは、どちらも同じらしい。
やがて土御門は、黒の肩掛けバッグを手に立ち上がった。
「ほな、うちはこれで」
「お疲れさまです」
椅子に座ったまま、ふと思いついたように、明彦は肩を竦めてみせる。
「せっかく東京まで来たんです。土御門さんも、天照大神のダブルギアの演習を見て行かれたらどうですか?」
ドアの手前で足を止めたものの、振り返る素振りもない。
「――仕事で来ただけどすえ」
明彦の発言にかぶせるような返事をすると、土御門はヒールの音を鳴らして部屋を出ていった。
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