仮面の英雄《マスクド・ヒーロー》の素顔

第11話 男装の女神

 ダブルギアの基地、地下9階にある戦闘員たちの居住スペース。24名の隊員たちは全員、このエリアに個室が与えられている。細長い造りの室内は、地下なので窓はない。その代わり、24時間体制で空調システムが稼働している。

 玄関スペースから続く廊下の先には、六畳一間。ベッドとデスク、椅子、壁付けの棚があるだけの簡素な造りだ。それでも、地下へ退避した後の人類にとって、個室を持つことはとても大きな価値があった。

 その六畳間の一番奥に置かれたベッド脇で、二人の人物が向かい合っている。


 直立不動で服装チェックを受けているしゅうと、彼の姿をあちこちから観察するつばさ。先日、翼の目を覆うように巻かれていた包帯は、既にない。柊の肩の傷と同じく、ダブルギア覚醒者は自己治癒能力が飛躍的に上がるせいだろう。

 壁掛けのコルクボードには、消灯時間や寮母の内線電話番号の他、先ほど翼が貼り付けた、服装チェックシートもある。


 今、二人が着ているのは出動時の「戦闘服」ではなく、訓練時に着用が義務付けられている「作業服」だ。戦闘服と同じように、上着、ズボン、中に着ているTシャツから靴下に至るまで、全て黒で統一されている。

 柊の襟もとを軽く指で整えてやりながら、翼は微笑んでみせた。


「うん、大丈夫。立派な男の子に見えるよ、柊」


 女子と密室に二人きり、という状況に、柊の喉が大きく上下する。


「……女子のふりをしろ、って言われてるんですが」

「違うよ、男装している・・・・・・女の子・・・のふり・・・をしているんだ」

「男のふり、をしている女、のふりをしている男……」


(俺は今、どういう演技を求められているんだっ)


 完全に混乱してしまったのだろう。柊は、眉をしかめて目を閉じている。

 それを見ると、翼は柊の襟もとから手を離した。


「私達は、少年として戦うことを求められている。君は、胸を張って男らしくしていればいいよ」

「男らしくしてたら、バレませんか」

「妬まれこそすれ、この基地で『男らしい』というのは、誉れ高いことでしかないよ」


 そう答えた翼は、堂々とした笑みを浮かべている。その表情は、凛々しい少年そのものだ。

 前合わせのシャツに、同じ素材・色のズボン。黒のショートブーツは、ファッションのためのものではなく、実用的なデザインをしている。

 同い年の少女だと実情を知らされても、ぴん、と伸びた姿勢の良さや、一つ一つの動作・仕草の機敏さが、利発な少年さを感じさせるのだろうか。


「服装が整ったら、次は鏡の前で『初代隊長・さかきこうのことば』の音読だ。毎朝、訓練場へ出る前に、必ず読み上げること」

「さっき、翼がコルクボードに貼ったやつ?」

「そうだよ。さ、私と一緒に読もう」


 壁へ向かって並ぶ二人、その身長差は十センチはある。


天照大神アマテラスオオミカミに選ばれし少女たちよ。その清らなる身体を、高潔なる魂を、そして何にも代えがたきおのが人生を捧げ、日ノ本ひのもとを守護せよ――」


 翼は、自分が生まれる前に亡くなった祖母の言葉を、噛み締めるように読み上げた。覚悟の表れか、その表情はある種の潔さを感じさせる。

 一呼吸おいて、翼は口もとに笑みを浮かべ、柊のほうへ振り返った。


「さ、これで朝の身支度は終わりだ。私達ダブルギア戦闘員は、個室を出る前に必ず男装を済ませることになっている。だから柊も、男装を――」

「あの、『男装する』っていうか……俺は男なんだから、普通に着替えるのではダメなんですか?」


 すると、翼は笑い声をあげた。


「ははっ 確かに、服を着るだけならそれでいいと思うよ」

「じゃあ何が違うの?」

「新人は、みんな同じことを言うんだよ。『戦うだけなら、男のふりなんてしなくていいはずだ』とか、『出動時はともかく、基地でも男のふりをするなんて』ってね」

「……違うの?」


 壁際の机の引き出しから、翼はテキストを出した。

 その序章には、基地に併設されている「特定巨大生物研究所」の所長が書いた手紙の一部分が抜粋されている。


――――――――――


(前略)

 黄泉の淵より戻った伊邪那岐イザナギが身を洗い清め生まれたのが、天照大神アマテラスオオミカミ月読命ツクヨミノミコト素戔嗚スサノオであり、これらを三貴神と称しました。

 時代が下り、天照大神が治めていた高天原たかまがはらへ、地上を追放された素戔嗚スサノオが現われたとき、天照大神は「乱暴者の素戔嗚スサノオが、高天原を奪いにきたに違いない」と考え、彼を迎え討つことにいたしました。

 記紀きき※1にれば、このとき天照大神は、髪を角髪みずらに結われ、太刀をき、千本も入る矢筒と強弓こわゆみを背負い、高天原の入口で弟の到着を待ち受けた、とされます。


(中略)


 単に武装するのであれば、鎧と武器だけで充分なはずでありましょう。或いは、その長い髪が弓弦に巻き込まれるのを嫌うのであれば、肩下で一つに結ぶはずです。

 しかし天照大神は、耳の脇で二つに結ぶ、成人男性の証である「角髪みずら」にいたしました。

 髪型は、古来より性別を示す大切な記号でして、それをわざわざ結い直すということは、極めて重大な意味を持つ行為であります。それが神同士の戦いに備える覚悟の現れなのか、或いは天照大神がそれによって大いなる力を得ようとしたのか、そこまでは神話から読み取ることはできません。

 しかしながら、出陣に際し、女神・・である・・・天照大神・・・・「男装した」・・・・・・という点は、注目すべき事案であります。

 それゆえ、天照大神の御力みちから神降ろしダウンロードされるべく選ばれし者は、ただ軍服を着用するのでなく、男性として・・・・・出陣・・すべき・・・である・・・、というのが私の見解であります。


註 記紀……『古事記』並びに『日本書紀』のこと、古代日本神話

――――――――――

 

 手紙の差出人は、FBI捜査官・榊明彦とあり、宛先は土御門泰道、とされている。

 説明の文章へ視線を走らせ終えると、柊はため息を漏らした。


「つまり、えっと…………すみません、説明してください」


 男装について聞かされた他の新人も、同じような反応なのだろう。特に驚いた様子もなく、翼は机と一緒に置かれている簡素な椅子へ腰かけた。翼に勧められて、柊も自分のベッドの隅へ腰かける。


「要するに、私達に力を貸してくださっている天照大神自身が、男装して戦場へ立った、と日本の歴史書に書かれているんだ」

「えっ!? 神様が、男装?」

「そう。鎧を着ただけじゃなくて、男性専用・・・・髪型に・・・結い直した・・・・・んだ。これは、古代から髪型で性別を区別していた日本人にとって、れっきとした・・・・・・男装・・なんだよ・・・・


 初めて聞かされた情報に、柊は繰り返し瞬きをしている。

 神様が、わざわざ男装して戦うなんて――小学校以来、ひたすら戦闘訓練以外してこなかった柊にとって、それは理解の範疇を超えていた。


「ははは、ビックリするだろう? でも、そうしなければならない切実な理由が、きっと天照大神にはあったんだよ」

「理由って?」

「それが分からないから、私達も男装して戦うんだ。神様でさえ、敢えて男装すべき理由があったのだから」

「まあ……男装しなかったから力が出ませんでした、じゃあ済まされないけど」


 柊へ頷くと、翼は祖母である榊孝の言葉のプリントを見上げた。

 身も心も人生そのものも、己の全てを国のために捧げよ――初代隊長は死ぬ間際、その言葉を、自分を取り囲んで涙ぐむ五人の隊員たちへ伝えたという。


 一呼吸おいて、翼は身軽な動きで椅子から立ち上がった。


「さ、そろそろ点呼の時間だ。それが終わったら朝食、そして午前の訓練だよ。身体検査も終わったことだし、今日からは本格的な訓練に参加するからね」

「了解」


 柊はゆっくりとベッドから立ち上がると、備え付けの姿見鏡へ、ちらりと視線を向けた。鏡越しに、自分と翼の全身が映っている。

 新しい場所で、新しい同僚たちと、新しい人生を歩むのだ――その困惑が、表情に滲んでいる気がする。一方、今日の訓練内容について説明してくれている翼の顔に、迷いの色はない。

 翼のほうが、柊よりもかなり小柄で華奢な身体つきだ。それでも、翼は凛々しい少年に見えた。


 点呼の時刻を知らせるメロディが、館内放送で流れ始めた。

 翼と共に、柊は個室を出た。廊下には、同じように幼さの残る華奢な少年たちが、続々と集まってきている。


 全員、非番のときと違い、研ぎ澄まされた表情をしている。

 特定巨大生物対策本部・第一小隊、通称、ダブルギア――彼らは少年だけ・・・・で構成された、人類の決戦兵器だった。

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