第11話 不穏な警告音

 風を切る小さな音の後、パスッ、と紙を破る小さな音に、道場で矢筋を確認していた結衣ゆいがガッツポーズをした。


「――っしゃ!」


 的へ向かって左側で待機している隊員が、その場でずらりと並んだ的のうち、結衣のものを確認する。的を片手で掲げ、的中を知らせる声を上げた。


「あたぁーりぃー……」


 結衣の後ろに並ぶ小柄な隊員が、眉をしかめながら弓を引く。細い腕に見合う負荷の小さな弓のはずだが、まだ入って半年の彼女にはそれでも厳しいらしい。引き絞りながらも、狙いをつけるはずの左腕がぷるぷる震えている。

 弦を引く右手が離れた途端、道場からすぐ目の前の矢道やみちと呼ばれる砂地へ矢が突き刺さった。


「きゃっ」

「何をしている、渡辺わたなべ!」

「す、すみませんっ」


 教官の声に、渡辺と呼ばれた隊員は身を竦ませた。

 その声に気づいたのだろう。道場とは扉一枚隔てた”控え”にいたさかきが、ひらりと軽い身のこなしで道場へ入ってきた。


「渡辺、昨日も『弓手ゆんでを固定できなければ怪我人が出る』と言っただろう」

「すみませんっ」

「それと、きゃっ、ではない。日頃から、言葉遣いにも気をつけなさい」

「すみません、すみませんっ 気をつけます!」


(服装だけでなく、口調まで男のふりをするのか。徹底しているなぁ……)


 しかし、厳しく男装が規則化されているせいで、不器用な者は切り替えが上手くいかず、非番のときでも男のような振る舞いになってしまうらしい。つまり、しゅうが何かやらかしても「男のふりが抜けない」ということにしやすそうだった。

 隊員たちに与えられた個室には、トイレやシャワールームもある。着替えだけでなく、トイレや風呂も個室でやり過ごせるなら、性別がバレる可能性は格段に下がるだろう。


「次、準備しなさい」

「はい」


 教官に言われ、柊も頷く。五名の隊員たちは、弓矢を手に道場へ入った。

 服装は点呼の時とほぼ同じだが、ブーツは脱いで靴下の状態だ。男装ということで、黒い胸当ては上着の下につけている。全員で一礼すると、各人、割り当てられた場所へ歩みを進める。


 弓道は、五人一組で行うことが多い。柊がいるのは、一番後ろだ。ここからだと、他の四名の動きがよく分かる。

 持ってきた四本の矢のうち、二本を自分の身体と平行になるように床へ置く。肩幅程度に足を開く“足踏み”、体幹を固定する“胴造どうづくり”という工程だ。

 胴造りを終えると、矢の一本は右手の小指と薬指で矢の尖ったほう矢じりを握り、最後の一本を弦へ引っ掛ける。今日は通常練習なので、立ったまま待機する。

 射る順番は先頭からなので、柊は五番目だ。


 先頭にいる翼が、ゆっくりと弓を持ち上げる。“打起うちおこし”という動作だ。弓を握る左手を少し前へ出すと、両腕が平行になるように引き分けていく。

 やがて軽やかな音と共に矢が射出され、一拍おいて的に当たる音がした。


 ヒュッ――――――タァンッ

「あたぁーりぃー……」


 的中したのは、直径三十六センチの的の二時方向、かなり外枠に近い位置だ。当たったとはいえ、納得がいかないのだろう。翼は軽く頭を振り、小指に挟んでいた次の矢を弦へつがえた。自分の順番が廻ってくるまで、左手に弓を握ったまま待機する。


 翼が準備をしている間に、次の隊員が矢を放った。

 筋力が低いのか、翼のときよりも更に風を切る音が小さい。矢は的から大きく外れ、安土あづちという的を支えている盛り土へ、サクッ、という小さな音と共に突き刺さった。

 矢の回収係は、手にしていた的をくるりと翻して裏を見せる。“外れ”の印だ。当然、「あたり」の声もない。道場の隅に座る記録係が、その結果をタブレットへ入力する。

 そうして順々に引いていき、柊の番が来た。自然と、ギャラリーの視線も熱くなる。道場の外で覗いている隊員たちのひそひそ喋る声が重なる。


「新人の佐東さとうさん、後衛なんでしょ? ってことは、弓が得意なのか」

「自警団の中でもトップエリートしか入れない偵察班出身だろ、あいつ」

「当てててて当前、ってところだな」


 きゃいきゃい騒いでいる隊員たちへ、結衣がにやにや笑い返す。


「ふふん、お手並み拝見、ってとこだね」

「結衣ったら、ずいぶんと余裕じゃない」

「まーね。100m先の遠的も入れたら、美咲みさきさんが的中率No.1だけどさ。近的だけなら、このボクが的中率・現役トップだもん」

「近的だけじゃ実戦に役立たない、って小隊長に怒られてたじゃない」


 控えや道場の周りは、囁き声に溢れかえっている。

 入隊していきなりエース班に所属するなんて、どれほどの実力があるというのか。ある者は妬み、ある者は疑い、そしてある者は憬れのまなざしで語り合う。


 そんなことには気づかないほど、柊は集中していた。

 弓を打起うちおこし、丁寧に引き分けていく。ここへ来る前も、自警団に入る前も、予備科時代からずっと毎日、弓を引かされてきた。それと、何も変わらない。

 キチキチと弦を鳴らし、左右へ引き絞り――離す。


 重いものを振り回したような空気を割く音。

 直後、コンクリートに叩きつけるような大きな音と共に、矢が的へ突き刺さった。


 バスッ ダァアアンッ

「…………今の、何の音?」


 控えで弦の手入れをしていた隊員のつぶやきに、他の隊員たちは誰も反応できずにいた。それは、道場内も同じことで、柊以外の四名の隊員は、思わず振り返ってしまっている。

 視線の先の柊は、お手本のように美しい射形だった。

 両手は自然に左右へ引き延ばされ、“残身ざんしん”の姿勢をとっている。弓は掌の中でくるりと回転し、腕の甲へ弦が返る“弓返ゆがえり”をしていた。

 聞いたことのないほど重い射出音に、翼だけでなく、教官までもが言葉を失っている。そんななか、唯一、榊だけは不敵な笑みを浮かべていた。


 柊は何でもない様子で両腕を戻すと、次の矢を番えようとした。そこで、自分の的中が確認されていないことに気づく。

 その途端、彼の顔が目に見えて青くなった。

(まさか、初日から的中表拒否イジメ――?)


「あ、あの、矢取り係さん……的中確認を、お願い、したいんですが……」


 ちらちらと榊のほうを見ながら、安土の脇に立つ隊員へ声を掛ける。その声をきっかけに、教官や隊員たちは我に返った。

 矢道に添って見学をしていた教官が、慌てて声を張り上げる。


「あ、ああ……矢取り係、早く確認しなさい!」


 教官に叱られた隊員は、しどろもどろになりながら何度も頷いた。


「は、あ、はいっ! え、えっとあの、あ、当たりです」

「ちゃんと的を掲げながらだ」

「は、はい、あ、あたぁーりーぃ……」


 道場の隅に正座する記録係がタブレットへ入力するのを見届けると、柊はやっと一息ついた。


 道場の奥にある控えに座り、次の番を待っていた伊織いおりが、笑い声をかみ殺すように肩を揺らしている。隣に座る美咲は、そんな伊織へちらりと視線を流した。美咲は、弦をつがえるための弓掛ゆがけを右手に着けながら、声を潜めて話しかけた。


「何を笑っているの? 成田なりたさん」

「なに、とんでもない新人が来やがった、って思ってな」


 弓掛ゆがけとは、弦を引っかける細工が親指の付け根に施されたものだ。剣道の小手こてより小さく、右手にのみ使用する。


「今の矢が風を切る音と、的を破る音――戦場でヘッドギアでも使わなければ、私達に出せる威力ではないわね」

「ちなみに今のあいつ、ヘッドギアを被ってないぜ」

「……ええ、分かっているわ」


 次の順番が廻ってきた翼が放った矢は、僅かに逸れて安土へ刺さる。次の隊員も、明らかに引き分ける途中から弓が震えていた。当然、矢は的中せず安土へ。


「おいおい、壊滅状態じゃねぇか」

「弓は、精神状態がダイレクトに出やすいから。みんな、佐東さんの一射に心を乱されてしまっているんでしょう」

「へぇ……ところで美咲さん。弓掛ゆがけのカケ紐、それでいいのか?」


 伊織の指摘に、美咲がまばたきをする。

 彼女の右手につけた弓掛ゆがけを固定する紐は、適当に折りたたまれたままだ。これでは準備が終わっていないと見做され、道場へは入れない。

 非番の日と違って化粧をしていない美咲は、細く息を吐いた。


「…………わたしも、他人ひとのことは言えないようね」


 再び道場内に、風を切る重い音が鳴り響く。それが消えないうちに、まるでトタンを雨だれが打ちつけたような強い音が、的の中心から聞こえてきた。


「すげぇな。矢速が速すぎるせいで、射出音と的に刺さる音の間隔が、ほとんど開いてないぞ」

「佐東さんの腕力を始めとする各部位の筋力は、他の隊員とは比べものにならないレベルで高いようね」

「男並み、ってことか?」

「男性以上、でしょうね……」


 二人の会話を遮るように、ようやく矢取り係の声が聞こえてくる。


「……あ、あたぁーりぃー」


 と、そのとき、異常を知らせる警告音が館内に鳴り響いた。

 まさか、【D】が出没したのか?

 その疑念は、すぐにかき消される。【D】が二十八日周期で現れることは、誰でも知っていることだ。


 広がっていくざわめきの中、最初に動いたのは小隊長の榊だった。長い足を生かしたストロークで道場を走り出て、弓道場エリアの扉へ向かう。それを見た途端、翼は打起うちおこそうとしていた弓を壁際へ置き、榊の後を追った。更に教官たちも、一人を残して後の全員が出ていく。


「何が起きたのでしょうか」


 美咲が、一人だけ残った教官へ問いかける。

 教官は、頬を緊張で強張らせつつ答えた。


「この警告音からすると、許可を得ずにエリアゲートを突破した者がいるようだ」

「テロリストですか」

「分からない。今、榊小隊長が調べに向かっている」


 自然と、隊員たちは道場へ集まっていた。柊も、つがえていた矢を外し、弓置き場へ道具を戻す。不安そうな顔でひそひそと話し合う隊員たちの中、柊は一人、拳を握っていることしかできなかった。

 と、ざわめきの中、榊のよく通る声がエリアを分けるドア付近から響いてきた。


「止まれ! ――ここは、レベルE以上の許可が必要な区域だぞ」


 嫌な予感がする。

 柊は弓道場専用の共用サンダルを履くや否や、ドアのほうへ走った。


 七名の屈強な男たちが、榊たち教官と口論をしている。男たちの服装には、見覚えがあった。恐らく、陸上自衛隊のものだろう。

 翼も言い争いの輪に参加しているが、どうやらダブルギア側のほうが、やや分が悪いらしい。


 すらりと背の高い榊は、いつものように戦闘服に軍帽を被っている。高い鼻梁、透き通るように白い肌、どこから見ても美青年にしか見えない、まさに男装の麗人だ。

 しかし、普段は知性を湛えた穏やかな色の瞳が、激しい怒りに燃えている。


「何の権限があって、不法侵入した。この基地は、第一級機密エリアに指定された区画だ。内閣総理大臣の許可を得た者でなければ、何人なんぴとたりとも足を踏み入れることは許されない、禁域と心得よ」


 翼や、教官たちもそれに続く。


「仮に、あなた方の上役が許可を得ていたとしても、本人以外、いかなる理由があろうとも入ることはできない――そう、決定されています!」

「このような狼藉、相応の覚悟があってのことであろうな」


 教官たちの表情や声音は、鬼気迫るものがあった。さすが、常日頃から男性として暮らしているだけのことはある。教官らは全員、化粧もせず、ベリーショートに軍帽を被っている。誰の目にも、やや小柄な男性と映るだろう。

 柊が近づいてきたそのとき、自衛官たちはモーゼの海を割るがごとく、左右へ下がった。その奥から、一人の白髪交じりの中年の男が現れる。


「この私が視察することに、何か不利益でもあるのか? 榊二佐」

「許可を得ていない不法侵入者を取り締まるのも、私の仕事ですので――」


 隊員たちのいる弓道場エリアへ続く扉を前に、榊と中年の男が睨みあった。

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