第95話 振りかざす凶器

「今から話すことは……他の人には、内緒にしてくれないか」

「いいけど。伊織いおりとか結衣ゆいとか……西村にしむらさんにも?」


 小さく頷くと、つばさは部屋の灯りを操作するパネルへ近寄っていく。

 しゅうも、自分が借りてきたヘッドギアを抱えて翼の背を追う。

 翼は部屋全体を見渡し、忘れ物がないか、確認している。そうしてパネルのある壁のほうを向いたまま、囁くような声で呟いた。


「……私が指揮官になるには、致命的な欠点が複数ある。そう、小隊長から指摘されたんだ」

「欠点って?」


 問いかけに、翼は明確な返答をしなかった。


「それらを克服しなければ、私が指揮役へ戻ることはない――そう断言された。実質、次の現場指揮官は藤波ふじなみに決まったようなものだ」


 灯りのパネル脇へ手を突くと、翼は深いため息を吐く。

 大きく息を吸ったものの、やりきれない様子で首を振っている。まるで、諦めろ、と自分へ言い聞かせているかのように。

 翼が「現場指揮官」という役に強い思い入れがあることは、美咲みさきと交代が告げられたときにも聞いている。

(……こういうとき、何を言えばいいんだろう)

 毎度のように悩んでしまう。

 基地へ来てから、前よりは人と話すときに緊張しなくなったのは事実だ。だが、こういった難しい盤面で、何を求められ、何をすればいいか――そういう器用なことができないのだ。

 ふと、翼が西村へ話した言葉が思い出される。

 ――したいことをするのが神で、できることをするのが人間だ。

(俺がしたいことは……翼に元気を出してほしい。でも、現場指揮官ってのは、翼にとってめちゃくちゃ重い問題だ。適当に慰めて、それでどうにかなるレベルの話じゃないと思うんだよな……)

 だったら、今の自分にできることは?

 あれこれ考えても、選べるカードは多くない。どうしたって、コミュニケーションが苦手、という自分の性格はすぐに変わらないのだから。

(上層部のことは分からないし、人間関係も深くは知らない。さかき小隊長や榊先生と、翼の関係だって……だったら、俺が分かる範囲で話すしかない)

 何を言うか決めたところで、一瞬、言葉が出てこなかった。

(……ホントに、これでいいのかな)

 かなりキツイ言葉になるような気がする。絶望の淵へ追い詰めるどころか、奈落の底へ突き落すような言葉かもしれない。

 妹がまだ頭のなかにいた頃、幾度も繰り返し、忠告されたことがある。


 ――正論は、凶器だよ。どんなに正しくても、それを振りかざした瞬間、柊ちゃんのほうが悪役になっちゃうの。

 ――ここぞってとき以外、正論は胸のなかにしまっておかなきゃダメよ。


(でもたぶん、今はその「ここぞ」ってときじゃないの?)

 翼の願いが崇高だからこそ。

 その志が高いからこそ。

 そして、彼女の想いが本物だからこそ……凶器だろうとなんだろうと、誰かが突きつけなければならないはずだ。たとえ、それで翼と喧嘩することになっても。

 一つ頷き、柊は翼の背中へ、言葉の凶器を振りかざした。


「諦めなよ」

「…………えっ?」


 それは、翼が全く予想していなかったセリフだったのだろう。

 思わず振り返り、こちらを見上げてくる。丸く見開いた大きな瞳で。


「今の翼のままでは無理だ、って言われたんだ。指摘された部分が変わるまで、現場指揮官は諦めるしかないでしょ」

「そ、それは」


 珍しく狼狽うろたえる翼へ、一歩近づく。

 小脇にヘッドギアを抱えたまま、腰に手を当てて柊は続けた。


「その道の先にどんな使命があるとしても、今その道が歩けないのなら諦めろ」

「――っ!!」

「自警団予備科の頃、俺の担当教官だった人の口癖だよ」


 翼の瞳は、大きく見開かれている。

 細い眉はしかめられ、華奢な顎先が震えている。頬は紅潮し、きゅっとくちびるを噛み締めるのが見えた。言い返したいのを、必死に堪えているのだろう。

(たぶん翼が一番言われたくないことを、俺は口にしてるんだろうな)

 怒られるだろう。なじられたり、嫌われたりするかもしれない。

 けれども、自分にできることはこれしかない――自分が学んできたことを、彼女へ伝えるだけだ。


「例えば次の戦いで、弓が全然効かない【D】が出たとするでしょ。なのに、“俺は弓が得意だから”とか言って、矢を引いてもダメなんだよ。俺が、前衛は経験不足だなんて、【D】にはどうでもいいことなんだから」

「それは、戦闘の話だ」

「戦闘だけじゃない。一事が万事、って言うでしょ」

「だ、だとしても……」

「翼も、ホントは分かってるはずだよ。目標が高ければ高いほど、それを達成できる人は殆どいない、って」

「私は――!」


 堪えていた言葉が口から溢れかけて、それを必死に飲み込もうとする。その代わりのように、翼の瞳から一筋、透明な涙が零れ落ちていった。

 それを見た瞬間、胸が締め付けられるような痛みを感じる。けれども、一度口にした言葉は元へ戻らない。


「私は、そのために生まれたんだ。ダブルギアに覚醒して、指揮官として皆を率いて戦い、退役後は小隊長の片腕として――」


 正論は、どんな嘘より深く心を傷つける。

 柊も子どもの頃から、指導という名の正論凶器で、何百回と心臓を抉られてきた。

 親が面会に一度も来ないのは、愛されてないからだ。親からすれば、柊が妹を死なせたように思ってるから憎いのだろう。幽霊の声が聴こえるなんて、気味が悪い。口下手で笑顔の固い子どもなんて、誰も会いたいとは思わない――大人たちがこぞって正論の刃を突き立てた心の柔らかな部分は、今でも傷が塞がる様子をみせない。

 だからこそきっと、自分の正論凶器は一生、翼を苦しめるだろう。

 それでも伝えなければならない。翼が本気で現場指揮官になりたい、と願っているのに、彼女がその資格やアプローチ方法を持っていないというのなら。

 翼が本気なら、痛みの先にある真実に気づいてくれるはず。

 そう信じて、更に深く踏み込む。翼の心の一番柔らかな、きっと誰にも触れられたくない部分へと。


「翼のそういうまっすぐなところ、俺は、すごく好きだよ」

「だったら、何故そんなことを言うんだ」

「俺は翼のことを、凄くストイックな人、だと思ってる。けど、そのことは指揮官の条件とは無関係だ。現場指揮官が、忠誠心だけでなれるものじゃない限り」

「柊……」


 それがどれだけ翼の胸の傷を抉ろうと、耳に痛かろうと。

 ときどき思い出しては、一生、翼を苦しめようとも。

(翼が目標としてる高みへ登るためには、翼は一度、拘りを捨てるしかない)

 正論という名の凶器を突きつけることで、彼女が自分を嫌いになったとしても、柊は翼に夢を叶えて貰いたかった。報われてほしかったのだ、純粋に。

 これだけ強く願い、努力し続ける人を、他に知らなかったから。


「諦めろ、翼。今の翼じゃ無理だ、って言われたなら、その夢を一度捨てろ」

「私の生まれてきた意味全てを否定する、というのか!」

「違う。翼の生まれてきた意味は、そこにはない、ってだけだ」

「分からない……柊、君の言ってる言葉が、私には理解できないよ……」


 思わず耳を塞ごうとする翼の細い手首を、咄嗟に掴む。

 想像以上に華奢な手にも、もう柊の心は揺れなかった。


「今の翼は、目的地だけ描かれた地図を持って、道を見失ってるんだ」

「……遭難してる? 私が?」

「この基地でも、自警団でも教えてることだけど。確かに、市街戦で一番大切なことは、目的地を見失わないことだよね。じゃあ、二番目に大切なことって言える?」


 柊と目を合わせたまま、翼は軽く首を傾げた。


「……遭難したことに気づいたら、その場で引き返せ」

「そう。シェルターの外、特に山岳部の索敵では、それが鉄則でしょ」


 返事はないが、翼は代わりに目を伏せた。

 大まかな意味は伝わっているのだろう。


「今のやり方じゃ指揮官になれないなら、今はその夢を捨てて、引き返すしかないんだ。間違ってなかった地点へ帰れるまで、どこまでも戻るしかないんだ」

「……引き返す時間なんて、私にはない」

「そんなことない。退役まで、まだ四年以上あるでしょ」

「ないんだ、私にそんな猶予は……」


 ゆるゆると首を振る翼を、柊は信じられない想いで見つめていた。

 翼の手首は、驚くほど華奢だった。男である自分より細いのは分かっていたが、常に最前線で戦い続ける彼女なのだから、女子としてはそれなりに太い筋が感じられるだろう、と思っていた。

 けれども彼女の腕は、前衛の隊員の中でも細いほうなのではないか。そう不安を覚えるほど、異様に細かった。

(……神の加護で能力が上昇バフされる分野や度合いは、個人差が大きい、って聞いたけど。翼は、腕力がものすごく上昇バフされたのかな)

 何か、引っかかる。

 けれどもその違和感の正体に気づくより早く、翼が動いた。

 彼女の手首を掴む柊の手を掴むと、やや乱暴な仕草でそれを振りほどいたのだ。驚いて目をしばたたかせる柊を、ちらりと見て視線を逸らす。


「……君の言葉は、正しい」

「翼、俺は――」

「君の忠告が正しいことは、頭では理解できる。そして、きっと未来の私は、今日の君へ心から感謝するだろう。そのことさえ予測できる」


 真っ白に血の気の失せた頬に、涙の筋が伝う。


「だが、今日の私はそれを受け止めることができない」

「急には難しいとは思うけどさ。でも翼なら……」


 食い入るように見つめても、もう、翼と視線は合わなかった。

 心臓がドクドクと嫌なリズムで拍動する。それに合わせ、もう治ったはずの左足の切断面が、ズキズキ脈打つような感覚がした。

 ふらりとその場を離れる背を負うことは、どうしてもできなかった。廊下へ続く扉を開けながら、小さな声が聴こえてくる。


「不甲斐ない私を、笑うなら笑ってくれ」

「そんなわけな――」


 ピシャリ、と音を立てて閉まるドアを前に、最後まで足は動かなかった。

 小さな足音が走り去るのを聞きながら、身体から力が抜けていくのを感じる。ふらふらと壁へ寄りかかると、灯りのパネルに触れてしまったのだろう。自主練室は、暗闇に閉ざされてしまった。


「…………なんで」


 床へ落としてしまったヘッドギアが、固い音を立てる。それすらどうでもいい。

 両手で頭を抱え、誰もいない虚空へ叫ぶ。


「なんで分からないんだよ! 俺だって、あんなヒドイこと、言いたくて言ってるわけないじゃないか!!」


 誰もいないことなどお構いなしに、苛立ちと焦りを言葉にしていく。


「可哀想だとか、酷いね、って俺が言えば、翼は指揮官になれるのかよ。美咲さんだけじゃなくて、榊小隊長にまで言われたんだから、その欠点ってのはホントに致命的な欠点なんだろ。だったら、それを克服するしか夢は叶わないに決まってるじゃないか――」


 廊下の灯りが隙間から漏れてくるせいで、朧気ながら物の輪郭は分かる。くるりと身体を反転させ、壁のほうを向いた。

 左足を振り上げ、大きく息を吸う。それでも抑えきれないもどかしさを籠めて、思いっきり壁を蹴りつけた。


「翼に夢を叶えてほしくなかったら、俺だって言いたくなかったよ。あんなこと!」


 じんじんと痛みを訴える左足を無視して、柊はその場に座り込んでしまった。

 空調の低い音が聞こえてくる。空調が入っていても、九月の気温では、座っているだけで汗が額に滲む。ぽたり、と床へ雫が落ちるまで、柊はそこでうずくまっていた。

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