第96話 守るか、追うか
廊下を歩く足音に気がつく。我に返った
(
よろめきながら立ち上がり、部屋を出た。
食堂は、全体訓練に参加した隊員や治療中の隊員たちでひしめいている。戦闘から十日経ったことで、集中治療室は
和気あいあいとお喋りを楽しむ人波のなか、柊は独りで列へ並んだ。自分の番が来ると、カウンター越しに割烹着姿の職員が声を掛けてくる。
「
「あ、はい……おかげさまで」
「あんまり顔色良くないわよ。ちゃんと鉄分取って、無理しないようにね」
「ありがとうございます」
基地で働く職員の多くは、元戦闘員だ。その他には、巨大生物研究所で人工授精で生まれたものの、覚醒しなかった者も含まれる。
両者の見分け方は簡単で、身体のどこかに大きな傷があれば、除隊した元戦闘員。現役の戦闘員へ話しかけないのが、覚醒しなかった人だ。
柊へ話しかけた職員は、片腕がない。間違いなく、かつては戦闘員として活動していた
「あの、西村さんの分を届けるから、麻婆豆腐を二人分、お願いします」
「西村? ああ、最近入ってきたあの生意気な……」
西村の特異体質や柊の性別など、戦闘員に秘密にされていることは、職員たちにも知らされていない。となれば、戦闘を拒否し続けた西村の評判は、元戦闘員だった職員には芳しくないのも当然だった。
割烹着の職員は、あーだこーだ、と西村への文句を並べている。
「そうそう。西村さんの分なら、もう
「あ……そう、なんですか……」
翼の名前が出たことで、思わず頬が強張りかける。しかし、相手はそんなことお構いなしだ。
「佐東さんも、とんだ貧乏くじを引いちゃったわねぇ」
貧乏くじ、という言葉に、柊は軽く首を捻った。
三十代半ばに見える職員は、嗜めるような顔で噂話を続けている。喋りながらも、柊が注文した麻婆豆腐セットを片腕で盛り付けていく辺り、ベテランの職員なのだろう。
「小学生なら、怖くて戦えない、ってのも分かるんだけどねぇ。だいたい、五年も覚醒を隠してた癖に、今さら泣き言抜かしたって、誰も同情するわけないじゃないねぇ?」
西村の特殊体質のことは秘密なのだから、柊も下手に言い訳できない。
だからこそ、こうして勝手な悪口が独り歩きし続けるのだろう。西村が食堂へ行きたくない、と言うのも当然だ。
目の前の職員だけでなく、奥で調理する他の職員まで悪口に参加してきた。
「顔だけは良いから、何しても許されてきたのかもしれないけどさ。顔だけで何でもワガママが通ると思ってんなら、頭弱すぎよ!」
「男って、ああいう清楚風美人にはコロッと騙されるのよねぇ」
「顔だけよ、顔だけ!」
声を潜めようともしない悪口に、柊は面食らってしまった。こういうものは、もっとこそこそやるものではないのか。
慌てて、西村の弁解をしようとする。
「あ、いや、今はちゃんとやる気になってくれてますよ」
「はぁ……佐東さん。もっと怒っていいんだよ?」
「え?」
「あんた、あの子のせいで左足を
(ダメだ、これは)
実力主義なら、態度でしか見返すことはできないのだろう。仕方なく、苦笑いでカウンターを離れた。
すると、壁際に座る
柊は作り笑いを浮かべることもできず、軽く手を挙げて誰もいないテーブルへ腰を下ろした。麻婆豆腐の香りが、鼻腔をくすぐる。
しかし、腹は減っているはずなのに、握ったスプーンはやけに重たかった。
午後の座学は、いつものように講義室で行われた。西村との約束なので、彼女を挟んで、翼もすぐ近くに座る。だが、そこでも会話はなかった。
西村に対して誰かが悪口を言いださないか、と気を張っていたが、今日の講師は小隊長の
ちらっと隣を見たが、西村は真面目にノートを取っている。
と、柊の視線に気がついたのだろう。彼に見えるようなノートの隅へ、西村が落書きをした。
(こら! 授業に集中しろ~!!)
軽く肩を竦め、わざと西村側の左手で頬杖を突く。ホワイトボードの前で講義をする榊は、いつもと変わらず戦闘服に軍帽姿だ。
「――しかし、問題は【D】を見失った場合だ。この場合、シェルターの防衛と索敵・交戦、どちらを優先するかが問題となる」
実際にあった過去の戦闘をもとに、討論形式で授業は進む。
榊はランダムに数名の隊員を指名し、意見を言わせていくことが多い。
最初に指名されたのは、まだ幼い隊員だった。頭に包帯が巻かれていて、支給品の治療着を着ているので、次の戦闘には参加できないのだろう。
「は、はいっ わたしは……そのぉ……【D】がどこに行ったか分かんないと怖いので、探して倒したほうがいいと思います」
「なるほど。奇襲を警戒すべき、という意見が出た。では、次――
次に指名されたのは、伊織だ。西村と同い年の伊織は、古参組に当たる。当然、他の隊員より経験を積んでいるので、彼女の発言には注目が集まった。
「五つの班で防衛、もっとも機動力の高い一つの班で索敵。バラバラに行動させると、若手の隊員から個別撃破されていく。できるだけ、固まって行動すべきだ」
「ふむ。隊員の消耗を考慮する案が出た。では次、
当てられた
現場指揮官である彼女の意見は、当然、次の戦闘の戦術の指標にもなり得る。柊も、美咲へ視線を向けた。
「全隊員でシェルターを防衛すべきです」
「理由は」
「視覚・聴覚・嗅覚・放射熱の感知……敵の知覚手段がどれであっても、結局は隊員の多い所へ攻撃をしかけてきます。」
最年長でもある美咲の説明は、明快で理解しやすかった。
全ての【D】は、
街に火をつけた、という説明のくだりで、ノートを書いていた西村の手が止まる。
京都自警団の判断は、結果から言えば、大成功だった。
彼らの犠牲精神がなければ、間違いなく、居住シェルターが破壊されていただろう。
数万人の犠牲どころか、場合によっては、京都シェルターの放棄さえあり得たかもしれない。それほど、神獣型【D】の脅威は凄まじいものがある。しかも、総司令であるはずの
だが、自警団員たちの崇高なる犠牲精神によって、何も知らない数百名の製造部職員が火事に巻き込まれて死んだ。
西村も、巻き込まれた製造部職員の一人だった。過剰なまでの自己治癒力が地獄の業火から彼女を蘇らせてしまったせいで、西村がダブルギア覚醒者ということが露見し、そして基地へ送られ――。
西村は長いまつげを伏せ、静かに息を吐いた。気持ちを落ち着かせようとしているのだろうか。突然、トラウマを刺激されても取り乱さない辺り、西村はかなり脳波のコントロールが得意なタイプなのだろう。
美咲は、若手の隊員や西村へ言い聞かせるような口調で、持論の正しさを滔々と訴えている。
「戦闘員が一ヶ所に集まっていれば、【D】はすぐ戻ってくるはずです。一方、稀にあることですが、シェルター付近で倒れている一般人を【D】が襲う可能性もあります。その攻撃でシャッターが破壊され、建物内へ侵入されないように、隊員はシェルター付近で迎撃すべきです」
「【D】によるシャッター破壊を懸念し、全員での防衛案が出た。次は――」
周囲を見渡した榊は、柊のすぐ隣で目を止める。
「――西村、どうだ」
「うちどすか?」
「新人だからと言って、遠慮することはない」
他の隊員が指名されたときと同じように、西村は椅子から渋々立ち上がった。
軽く口を尖らせているものの、ちゃんと考える仕草はしている。柊だけでなく、全ての隊員の注目が、長い髪をさらりと伸ばした彼女へ注がれていた。
「他の人はどうするか分からへんけど、うちは探すかもしれまへん」
西村の発言に反応したのは、美咲だった。
「西村さん。そういう個人プレーが、全体の輪を乱す原因なのよ?」
「――生駒。今は、西村の発言中だ」
「榊小隊長……」
そのやりとりを受けて、講義室のあちこちから不満の声があがる。
眉をしかめてみせる美咲を無視して、榊は西村へ訊ねた。
「全体の戦術ではなく、個人の行動についてのみ言及した理由は、あるのか?」
「うちかて、輪を乱したいわけやあらしまへん。なんもなければ、現場指揮官はんの言う通りにしますえ……ただ」
そこで一つ区切る。険しい表情でこちらを見つめる美咲へ、涼しげな流し目。
「なんかに気づいても、見ーひんふりしてまで上の命令に従うのんは、責任転嫁ちゃうんか?」
「西村さんっ」
「ふむ。続けろ、西村」
榊に促された西村は、何度も考え込みながら、自説を言葉にしようとした。
「うちは、一番の新人や。経験もあらへんし、化け
「なるほど。では、そういう“気づき”がなければどうするつもりだ」
「そら、命令に従いますえ。うち、死にとうあらしまへんさかい」
たどたどしくはあったものの、西村は自説をはっきりと言い切った。
(西村さんは、ちゃんと自分の考えを話せる人なんだな。やっぱり、予備科を卒業して二年以上経ってるだけはある)
柊はそんなことを考えながら、隣に立つ西村を見上げていた。と、その西村は、最前列に座る美咲を見つめている。そして、おもむろに口を開いた。
「……あんたなぁ、マニュアル通りに仕事してれば、上司受けはええかもしれへんけど。イレギュラーなんてもん、いつ起きてもおかしないのやで」
「西村さんが心配しなくても、現場指揮官や班長は、常に非常事態を想定しているわよ」
「そうでっしゃろな。けど、そのロスタイムで死ぬんは、現場指揮官はんとちゃう。うちみたいな末端の新人てこと、覚えときや」
最年長で現場指揮官の美咲へ、正面から反論する新人がいるなんて――。
しかも、西村は現在、多くの隊員ともめている後ろ盾に乏しい状態なのに、だ。
当然のように、講義室はざわめき声に溢れた。呆れ顔、困惑したまなざし、それだけでなく、西村を軽蔑する声まで上がる。
柊は教育係として取りなそうとしたが、咄嗟に上手い言葉が見つからない。
(西村さんの考えは分かるけど……かといって、命令違反します、って言いきっちゃうとか、美咲さんに喧嘩売っちゃうのはマズいでしょ)
言葉にならないもどかしさで口をパクパクさせていると、西村の反対側に座っていた翼が、すっと立ち上がった。
西村の細い肩へ手を置くと、諭すように話しかける。
「西村、美咲さんに謝ろう」
「なんでや」
「これは討論形式の授業だから、自論がぶつかることは、問題ない。けれども、言い方が失礼だよ」
すると西村は、口を尖らせたまま重いため息を吐いた。
「そやな、大人げなかったわ。失礼な口きいて、申し訳あらしまへんどした」
「……いいえ、こちらこそごめんなさいね。指示に従うことの重要性を、西村さんに理解してもらえるよう、わたしのほうこそ努力しなければならなかったわ」
西村と美咲が和解を遂げたかに見えたそのとき、西村の隣に立つ翼が口を挟んだ。
「ただ、イレギュラーがいつ起きるか分からない、という西村の意見には、私も賛成です。【D】がその場を離れたのは、ただの気まぐれかもしれない。が、何か理由があるかもしれない。その理由なんて、人間に想像できるはずがない――」
「翼ちゃん?」
「神々の考えなど、人間には推しはかることさえできない。そのことを忘れれば、いつか取り返しのつかないことになる。私は、そう考えます」
折よく、授業終了のチャイムが鳴り響く。
壁の時計を見上げた榊は、教卓に置いていたテキストを閉じた。その小さな動作に、講義室は静まり返る。
「議論に熱が入ることは、大変結構だ。常にそれが最善手かどうか自問自答し、仲間と意見を交換しろ。個別に人類滅亡を試みる神々に対し、我々人類に勝機があるとすれば、複数での連携プレー以外、他にはない」
榊はそう言って、美咲と翼を順番に強い視線で見つめた。
「だが、遺恨は残すな。いいな」
「……勿論です」
「……分かりました」
「生駒と翼は、小隊長室に来なさい」
美咲と翼は、榊の後ろをついて廊下へ出て行った。
その途端、教室にざわめきが戻ってきた。西村は、ぐーっと背伸びをしてみせる。
「んー。しんどかったぁ」
「隣で聞いてるこっちが死にそうだったよ」
「なんかあったら、班長はんか、あんたが助けてくれる思うとったさかい」
ノートやペンケースを片付けていた西村の手が、ふと止まる。
同じようにテキストやノートをまとめていた柊へ、西村は視線を落とした。
「あんたと班長はん、なんかあったん?」
「えっ」
「お昼を持ってきてくれはったとき、目ぇ
何も言い返せずにいる柊の様子には気づかず、西村は軽口を叩いてみせる。
「あんな美形を泣かせるなんて、あんたも罪つくりどすなぁ」
「……違うよ」
「ん?」
「そんなんじゃない」
個室へ戻ろう、とだけ言うと、柊は椅子から立ち上がった。
慌てて追いかける西村と、その前を早足で歩いていく柊を、数名の隊員が不思議そうに見送っていた。
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