第47話 白く焼きつく視界

「……何も、いない?」


 ライトで橋の周囲を照らしたが、【D】がいるような気配はしない。それだけではない。無人航空機で支援するはずの自衛隊からも、ここへ来るまで連絡一つ入っていなかったことに気づく。


「どこかに隠れているのか?」


 伸び放題の草を掻き分けるようにして橋を進む。道幅も広くて立派な橋だったのだろうが、過去の【D】に破壊されたのか、川の途中で折れて渡れなくなっている。

 しゅうは弓を背中の金具で留めると、脇差しを片手で構え、もう一方の手で胸に下げていたライトを掲げた。水面に反射した光で目が眩みそうになる。慌てて顔を背けると、対岸から人間の声がした。


『止まりたまえ!』


 拡声器から聞こえて来たのは、成人した男の声だった。

 柊は足を止めると、ライトを調節して対岸の人物を探した。しかし、声の方角こそ分かるものの、姿は見えない。辛うじて対岸の川縁に人影が動いているのが分かる。自警団の生き残りだろうか。


「ダブルギアの戦闘員です。【D】討伐のため、派遣されて来ました」


 流れる川の音を聞きながら、柊は周囲を見渡した。やはり、敵影はどこにも見当たらない。それどころか、襲撃を受けたなら必ずあるはずの腐敗した血や肉の臭いさえ、まったくしなかった。

 むっとするほどの草いきれと、清涼な川の湿り気しか感じられないことが、却って不安を掻き立てる。

 ここは、本当に戦場なのだろうか。戦場ならば、対岸に集まっている人たちは、どうやって生き延びたのだろう。

 胸騒ぎに喉を鳴らしたそのとき、拡声器が再び耳障りな音を発した。


『名前と階級、同行人数を』


 少し迷ったが、どうせ全国放送で本名と顔を晒している。


「……佐東さとう柊、階級は一尉相当戦闘員です。同行者はいません」

「了解した。現在の戦況について、情報を提供する。本人確認のため、ヘッドギアを外したまえ」

「戦場でヘッドギアを外すことは、禁じられています」

中将閣下・・・・の許可は得ている。ヘッドギアを外した状態で橋を渡りたまえ」


 どうやら対岸の男たちは、長谷部はせべの指示を受けているようだ。

 かなり迷ったが、臨界速ダブルギアを切り、ヘッドギアを外す。歯車が回転する音が止んだ途端、強い疲労が押し寄せてきた。最短ルートとはいえ二十キロメートル以上を走り続けてきたのだ、当然だろう。

 ヘッドギアを小脇に抱え、柊は胸に下げたライトを頼りに半壊した宇治橋を渡り始めた。川の半ばで橋が完全に崩壊しまっているのを見て、再び足を止める。


「すみません、このままだと、橋を渡れないんですけど」


 川の中央で斜めになった柱へ飛び移るには、弓矢を置くか、ヘッドギアを被って加速補助ファースト・ギアを使用する必要がある。多少、運動神経に自信がある程度では、飛び移るのは危険な距離だ。

 相手も、橋の損壊状況は把握しているのだろう。すぐに拡声器のスイッチが入る。


「手が塞がっていなければ可能では?」

「弓矢は置いていけません。ヘッドギアの使用許可をください」


 突然【D】が姿を現わしたらどうするのか。しかし、返答はない。

 柊はため息を漏らすと、仕方なく矢筒と弓を橋の隅へ置いた。ヘッドギアを抱えたまま全力で走り、瓦礫の端から跳躍する。

 何とか、川の中央に残された柱へ飛び移ることに成功する。点々と水面から顔を覗かせる橋の残骸を踏み、どうにか対岸へ続く部分まで辿り着いた。

 すると、視界が真っ白に焼きついた。思わず顔を背ける柊へ、聞き覚えのある低い声がかけられる。


「待っていたよ、佐東一尉」

「……長谷部、司令?」


 強い照明で目がくらみ、何も見えない。必死に声がする方角を探す。


「そのまま、まっすぐこちらへ来たまえ」


 辛うじて判別できる足元を頼りに、ゆっくりと前進する。

 橋を渡り終える頃には、暗がりに目が慣れてきたのか、辺りの様子が判別できるようになった。

 奥には、自衛隊のジープが一台。その前には戦闘服を着た七人の自衛官が扇形に並び、彼らに囲まれるようにして長谷部が立っている。

 長谷部は腕組みを崩さず、目を細めた。


「久しぶりだな、佐東一尉。だいぶ走ったようだが、疲れたか?」

「いえ、大丈夫です。すぐ戦闘に移れます」


 労わりの言葉はいらない、敵はどこへ――質問を遮り、長谷部は話を続けた。


「さて、宇治橋へ到着したことで、一つ目の作戦は終了だ。ジープには、消化のいい食料や水も積んでいる。次の戦闘に備えて、少し休むといい」


 予想外の言葉に、柊は視線を彷徨わせた。


「待ってください。俺が戦う予定の【D】は、どこですか? もう一体と合流したなら戻らなきゃいけないし、別のシェルターを襲ってるなら阻止しないと」


 不安に声を高くする柊へ、長谷部は笑みを崩さず答える。


「君が戦うべき【D】は、存在・・しない・・・

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