第46話 きみがいなくなってから
隊員たちは、京都駅付近に設置された出動用プラットホームから外へ出た。
ここから北東の方角にある平安神宮周辺に一体、南西の方角にある宇治橋周辺に一体いるらしい。
それと、京都自警団が全滅した、という情報が、自衛隊の無人航空機部隊と共に行動している
嵐が近いのだろうか。厚い雲が空を覆い隠している。
街灯などとっくの昔に機能していない中、日暮れを迎えた京都市街は、暗闇に包まれていた。そんななか、北東の空だけが真っ赤に染まっている。
平安神宮前にいる【D】は、そのすぐ近くにある京都市役所地下の工場を破壊して回っているらしい。赤い空は火災が発生していることを示していた。
一方、
「柊、気をつけて」
翼へ頷くと、柊は脇差しを職員から受け取り、ベルトに固定した。矢筒を肩にかけ、電子強弓は留め具で固定して背負う。
ヘッドギアの左こめかみに指を当て、金色の
「ヘッドギアに内蔵されたGPSの使い方は、分かるか」
「はい。ナビゲーションシステムが、ヘッドギアのフェイス部分に目的地までのルートを表示してくれるんですよね」
「音声誘導にも切り替えられる。自分が使いやすい方にしろ」
一歩近寄り、榊が囁く。
「そこのビルの角を曲がったら、
ということは、翼たちが戦闘を終えてから合流するのに、移動だけで一時間が必要になる。かなりの長丁場が予想された。
果たしてその間、たった一人で
いや、迷っている場合ではない。隊員の被害を一番少なくできる戦法が、それしかないのだから。
「了解です」
「直線距離だと十四キロメートルといったところだが、ルート選択を誤ると面倒だ。二十キロメートル程になるが、有料道路を走ったほうが迷わずに済む」
周囲を見渡すまでもなく、街は壊れたジオラマのようだ。
ただでさえ土地勘のない場所で、日没後の暗い夜道を瓦礫に阻まれて進むのは、容易ではない。
「ここからまっすぐ南下したところに、インターチェンジがある。そこから有料道路へ上がるといい」
「分かりました、行ってきます」
柊は、軽い足取りで走り出した。
ヘッドギアの暗視装置だけでは足らず、胸から小型ライトを下げている。
ビルの角を曲がったところで足を止め、周囲を見渡す。隊員だけでなく、後方支援の職員もいないことを確認すると、ヘッドギアの二つの
前回と同じく、脳髄を揺るがすような旋回音と、視界を焼き尽くすほどの眩しさに襲われる。やがてそれらが過ぎ去ると、不思議な高揚感に満たされていた。
「……よし、行こう」
独り言と共に、再び走り出した。
倒壊した建物や、捨てられたままになっているバスや乗用車が、障害物となって道を阻む。それらを軽々と飛び越え、京都駅の南に位置する阪神高速へ。
鴨川西から高速道路へ上がると、「道なりに進め」と、ヘッドギアのフェイス部分に色付きで表示される。
錆ついた大型トラックの上にひらりと飛び乗り、北の方角を眺める。強い風が、横殴りに叩きつけた。
(翼たちも、今頃は徒歩で現場へ向かっているのかな)
彼女たちが向かう先の空は、火災の影響で真紅に染まっている。不吉な色だ。
柊は、自分が走る道へ顔を戻した。
横転した車が道を塞いでいる。体力消耗を抑えつつ、戦場へ向かわなければならない。だが、あまりゆっくりしていると、二体の【D】が合流してしまうかもしれない。
「頼むよ、みんな」
そう呟き、柊は大型トラックの荷台から路面へ飛び降りた。
音声誘導に切り替えたナビゲーションシステムに従い、阪神高速道路を走る。
人々が地下都市へ逃げ延びた後は、特殊な仕事に就かない限り、シェルターを出ることもない。
そのため、若い世代は地上を迷わずに歩くことさえ困難だ、と言われている。
そういう意味で、自警団の仕事で地上演習を経験していた柊は、“地下世代”としては方向感覚が養われているほうなのだろう。
それでも高速道路の分岐点が来る度、足を止め、しつこいくらいに道を確認しなければならない。
「どうせ俺だけで行くんだから、航空自衛隊と通信させてくれたらいいのに」
思わず愚痴をこぼしてしまうのには、理由がある。
ナビゲーションシステムが、あまりにも杓子定規な返答なのだ。
道が破壊されていている、横転した車で塞がれてる、といった不測の事態を理解してくれない。
直進してください、ルートを再検索しています、元のルートへ引き返してください――通れないって言ってるだろ、と何度ぼやいたことか。
「分かりましたよ。登ればいいんでしょ、登れば!」
ナビの指示に半分キレながら、柊は横転した観光バスの側面へ手を掛ける。
窪みに指を掛け、するすると野生の猿のように登っていく。道路の陥没部分へ落ちないように気をつけながら運転席の辺りまで移動し、道へ飛び降りる。
「確か、今回の敵は大蛇型って聞いたけど……ヘビタイプの注意点ってなんだっけ」
考え事をしようとして、コンクリートの割れ目に足を取られる。ぐらりと崩しかける態勢。咄嗟に手を開き、転がるのを免れた。荒れた道も、強い風も、長距離を走るのに適したコンディションではない。
それでも、遺棄された車が山積みになった道をジープで向かうよりは、遥かに速いはずだ。
走りながら、もう一度、テキストの内容を思い出そうとした。しかし、何も浮かんでこない。
「どうせ、翼が指示を出してくれると思ってたしな」
そう呟いて、結局、自分も翼を頼りにしているのだ、と思い知らされる。
誰にも寄りかかれない翼の支えになる、と決めたはずなのに。
「こういうところが、俺も中途半端なんだろうな」
胸から下げたライトが照らす路面以外、全てが影の濃淡と化している。これだけ長い時間、人の気配さえしない空間に放り出されたのは、初めての経験だった。
シェルターは狭く、人口過密が常に問題になっている。四畳半に六人で生活していた自警団の寮はもとより、自警団の訓練場やロッカールームも、常に人で溢れかえっていた。
ダブルギアの基地は、シェルターと比べてゆとりある設計が採用されている。それでもどこかの物音が配管を伝わってくるせいで、個室にいても独りという気分にはならなかった。
どこまでも広がる闇。遮るもののない広大な土地を渡る風は、激しく全身を叩きつける。唸り声のような風の音に、無意識のうちに身を竦ませていた。
「こんなに広い土地があるのに、なんで人間は外へ出られないんだろうな」
厚い雲が立ち込める空へ問いかけても、何の返事もない。
独り言が多いのは、まだ妹が存在した頃、頭の中での会話がそのまま口に出ていた名残だ。気味が悪い、と周囲に言われてから控えたはずだが、気づくと、くだらない独り言ばかり、だらだらと口にしている。
前はこうして呟くと、妹の相づちが聞こえた。しかし反応のない今は、却って孤独が強調される。
それでも柊は、走りながら話すのをやめなかった。
「戦って、戦って、戦い続けていったら、いつかこの広い地上を取り戻せるのかな。ここにみんなが住めるようになるのかな」
返答はない。声だけの妹は、二ヶ月半前に消えてしまった。
妹が消えた直後は、毎日のように人目を忍んで泣いた。それなのに、段々と妹のことを思い出す回数は減っていく。胸の痛みは感傷に変わり、悲しみは諦めへ。
基地へ来てからは、その傾向はよりいっそう顕著になった。そして初陣後は、伊織の“温室”で殉職者のプレートを見るまで、完全に忘れていた。翼や国営放送のことで、頭がいっぱいだったから。
けれどもこうして戦場へ向かう道を走っていると、どうしようもなく妹のことが思い出された。
「なんで、傍にいてくれないんだよ」
こんなとき、一緒にいてくれたら、どんなに心強かったことか。
だが、そんな“もしも”の世界は存在しない。妹がいなくなったことで、ぽっかり空いた心の隙間へ
亀裂だらけの道を走りながら、声も届かないところへ行ってしまった妹へ、
「きみが今度こそ生まれてきたとき、俺はまだ生きているのかな。この真っ暗な世界を、もう一度、人の手に取り戻せているのかな」
星一つない空を見上げて走っていた柊は、横転したバイクに足を取られ、道に倒れ込んだ。電子強弓が路面を転がり、金属音が響く。
肩を上下させながら立ち上がる。息苦しさと強い眩暈を感じ、一旦、
ヘッドギアのフェイス部分を上げて顔を露出させると、生ぬるい風が頬を叩いた。
「考える時間が減っても、忘れたわけじゃないんだ。“温室”の壁に掛けられたプレートみたいに、頭のどこかで憶えてるはずなんだよ」
雲の切れ間から、ふと顔を覗かせた月。
それを、地に伏せたままじっと見上げる。
「だからさ。もう、きみの声は探さない。どんな失敗をしても、誰に誤解されても、俺は今の仲間たちとかかわって生きていくから」
起き上がり、電子強弓を拾いあげた。フェイス部分を下ろし、左こめかみの二つの
道路の亀裂を飛び越え、玉突き事故の残骸をよじ登り、コンクリート片を踏みしめ先へ進む。やがて、インターチェンジが近い、とナビゲーションシステムが知らせた。
一般道を1キロメートルほど走ると、いよいよ目的地である宇治橋が見えてくる。
予想より遥かに幅の広い橋の
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます