第22話 仮面を捨てて

 しゅうの提案に、つばさは俯いた。

 すぐには頷けない一方で、柊の提案は現実的な解決策だ、と理解しているから黙っているのだろう。

 ここで二人が一緒に逃げれば、好奇心に駆られた自警団員たちは後を追うだろう。しかし上の階には、重傷を負ってすぐには動けない隊員がたくさんいる。

 だから、誰かが自警団員たちの興味を惹きつけ、その間に仲間たちを逃がす必要があった。その囮役を、どちらがやるべきか――問題はそこだ。


 ふと、柊の脳裏に、基地へ移送された直後のことが蘇る。

 護送してくれた自衛官は、国内外問わず多くの勢力がダブルギアを狙っている、と語った。

 柊も、女性の医師から数日かけて全身を隈なく検査され、性格診断と称してかなりプライベートな質問をされた。殺したいほど憎い奴はいるか、とか、性交体験はあるか、など。だが、ダブルギアの基地内だからその程度で済んだのだ。もし外部の人間に捕縛されれば、非人間的な扱いをされただろう。

 捕らえた相手が外国のスパイなら、他国へ売り飛ばされ、死ぬまでたった独りで【D】と戦わされるだろう。国内の勢力だとしても、過酷な拷問を受けて秘密を吐かされるかもしれない。非道な人体実験、生体解剖、残虐な拷問――護送してくれた自衛官の言葉や表情は、そんなニュアンスを含んでいた。だからこそ、何十人もの自衛官たちに守られながら基地へ送り届けられたのだ。


 そして、囮になるということは、捕まる可能性がある。

 翼がそんな目に遭ったら――それ以上、柊は考えたくなかった。だからこそ、あえて不自然なほど軽い口調で続けた。


「囮をやるなら、俺のほうが適任だよ。もし身元を調べられたって、俺は生まれたときから男なんだからさ」


 一瞬、ためらいかけてから翼が頷く。


「分かった、みんなを撤収させてくる」


 囁くような小声で言うと、翼は加速補助ファースト・ギアを起動させた。そのまま振り返ることなく、勢いよく走り出す。

 それを見た自警団員たちは、遠ざかっていく翼へ口々に叫んだ。


「お、おいっ どこへ行くんだ!」

「そんな急いで帰らなくてもいいだろ、礼くらい言わせてくれよ」

「ねえ、戦闘は終わったの? それだけでいいから教えて!」


 自然と、人々の注目は翼へ集まる。このままでは、華奢なその身体に違和感を覚える者が出てくるかもしれない。どうにかして、翼から人々の目を逸らさせなければ――。

 柊は、それまで背を向けていた自警団員たちへ身体を向けた。

 それに気づいた数名が、視線を彼へ移す。それを意識しつつ、緊張で震える指を顎下に当てた。

 ロックの解除ボタンを押した途端、密閉されていたヘッドギア内に空気が行き渡り、開放感に包まれる。だが、のんびりしている暇はない。全身に響くような心音を聞きながら、柊はヘッドギアを外した。

 素顔を晒した柊を前に、人々が一斉に息を呑む。


「――えっ!?」

「嘘だろ、おい」

「……か、顔出しして、いいのか?」


 無理もない。これまで十七年間、政府によって大々的に宣伝されつつも、その実態はヘッドギアの濃いスモークで覆い隠されてきた英雄が、文字通り、素顔を・・・晒した・・・のだ。人々は完全に、柊の顔へ釘付けになっていた。

 数十秒にも感じられる間をおいて、前列の女性自警団員が口を開いた。


「……あの、あなたは、ダブルギアですよね?」


 それは一ヶ月前、柊が自分を助けてくれた翼へ向けて発したのと同じ言葉だった。

 人々の注目を集めるには、自分の方が走り去った翼よりも重要人物である、と錯覚させる必要がある。これが初陣となる新人ではなく、何年も戦ってきたベテランであるかのように。落ち着いて、できる限り丁寧な口調で。

 柊は口もとに僅かな笑みを作り、大きく頷いた。緊張で逃げ出したくなる気持ちを必死に抑え、初めて会ったときの翼の立ち居振る舞いを真似しようとする。


「はい。我々は、特定巨大生物災害対策本部・第一小隊です。一般には、ダブルギアと呼ばれておりますが。現在、本隊はシェルター上部の高架式プラットホームにいる、もう一体・・・・と交戦中であります」


 もちろん、戦闘は既に終わっている。

 だが、こうすることで人々が地上階へ出るのを遅らせる狙いがあった。案の定、それを聞いた自警団員の多くは不安そうに天井を見上げている。


「じゃあ、まだ上にいる、ってことですか?」

「そうです。片方の【D】がこちらへ向かうのが見えたので、もう一体は他の隊員たちに任せ、追走しました」


 心臓が、破裂しそうだ。

 あちこち怪我した汗だくの自警団員たちを見ながら、声が震えそうになるのを必死に抑える。こうやって説明している間にも、突然襲いかかられて捕縛されるかもしれない。疲れた様子なんて、演技かもしれない。気を緩めるわけにはいかない。

(翼は、こんな恐ろしい思いをしながら、俺を助けてくれたのか――)

 山犬型【D】を倒した後、そっと差し出された小さな手。

 柊は、当たり前のように翼の手を借りて立ち上がった。だが、それがどれほど勇気のいる行為だったか、今になって思い知る。

 だからこそ、絶対に失敗するわけにはいかなかった。

(心を落ち着けろ、ベテラン隊員のようにふるまうんだ)

 ふと、公の場では“わたくし”を使え、と長谷部に言われたことを思い出す。


「申し訳ありませんが、わたくしは戦線へ戻らねばなりません。強化シャッター内へ戻り、厳戒態勢の解除を待っていただけますか」


 すると、最前列で話を聞いていた三十代の男が、シャッターの奥へ叫んだ。


「まだ交戦中だとよ! 急いで元の配置に戻れ!」

「了解!」

「了解!!」


 シャッター前に出てきていた自警団員たちも、すぐに中へ戻っていった。

 男はここの自警団のリーダーなのだろう。眉間に大きな傷痕のある男は、柊の肩を大きな手で力強く叩いた。


「後は頼んだぜ、ダブルギアの兄ちゃんよ」

「は、はい」


 いきなり触れられたことに、思わず声が上擦る。しかし、そんなことなど気にせず、リーダー格の男は仲間たちへ叫んだ。


「よし、おめえら。また【D】の野郎が来やがる前に、超特急でバリケードを直すぞ!」

「おう!」


 灰色の作業着姿の自警団員たちは、半壊したシャッターを補強するように、鉄板や柱を組み立て始めた。シャッター上部に刺さった柊の矢は、到底、抜けそうもない。自警団員たちは、作業の合間に鋼鉄へ半分以上めり込んだ矢を見上げては、感嘆の声をもらしていた。

 そうこうするうちに、強化シャッターは再び閉ざされた。恐らく自警団員たちは、その奥で守りを固めているのだろう。

 シャッターが閉まるのを確認したところで、柊は元来た道を戻り始めた。

 階段を上り、駅舎部分に辿り着いた途端、緊張の糸がぷつりと切れたようにその場でうずくまる。

 全身から、ぶわっと冷や汗が噴き出てくる。


「はぁ……、本当、もうダメかと思った……」


 緊張で喉がカラカラだ。その一方で、人々の目から翼を守れた、という達成感も感じていた。交戦中と言ったから、自警団員たちもしばらくは出てこないだろう。咄嗟に吐いた嘘だが、なかなか悪くない。

 大きく背伸びをすると、柊は再び立ち上がった。割れたガラスの散らばる床を踏み、苦悶の表情で横たわる死体を飛び越え、最上階を目指す。動くことのないエスカレーターを上がる途中、ふと足を止め、建物の外を見やった。


「そっか。もう、日も沈んでいたんだな……」


 打ちつけた板の隙間から、菫色の空が僅かに覗く。その先に瞬くささやかな星灯りを見つめた後、柊はヘッドギアを被り直した。

 瞬間、さかきのハスキーな声が鼓膜を揺るがした。


佐東さとう三尉、応答しろ! くそ、通信が途絶えてもう十五分だ。佐東、応答しろ!』

「ひっ あ、あああっ すみませんっ さ、佐東です、無事ですっ」

『佐東! …………これは、どういう状況だ』


 洗いざらい報告しろ、と怒鳴られながら、目元の熱いものを拭おうとして無意識に手を伸ばす。だが、ヘッドギアのフェイスが邪魔をした。

 山犬型【D】と遭遇したとき、自警団員のなかに自分を心配してくれる奴は誰一人いなかった。仲間だと思っていた自警団のリーダーは、わざと柊を放置しておきながら、一時間経って「生きてたのか」とほざいた。

 だが、ダブルギアは違う。たった十五分、連絡がつかなかっただけで、こんなにも心配してくれるなんて――。

 柊は輝く星を見上げながら、ヘッドギアを外したところから報告を始めた。

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