第23話 日輪と月輪
高架式プラットホームへ出ると、撤収作業で残っていた数名の隊員たちが、次々と声をかけてきた。
「
「よくやったな。
「ジープの医務班が待ってるから、まずはそこまで撤収だって」
二体目の【D】を柊が倒したことは、
この一ヶ月、男だとばれないように、人目を避けて生活していた。入浴や着替え、手洗いを自室で済ませるのは当然のこと。自由時間や非番のときでさえ、自室で筋トレしてばかりいた。
他の隊員との接触が少なければ少ないほど、男とバレる危険性は下がる。と同時に、交流が少なければ少ないほど、隊員たちと仲良くなれる可能性は消えていく。
そのせいで、食事のときなど疎外感を覚えることも多かった。だが、こうして温かな対応をされれば、やはり嬉しいものだ。労いの言葉に軽く返事をしながら、撤収作業の輪に加わる。しばらくして、指示を終えた翼が駆け寄ってきた。
「柊、お疲れさま」
「あ、うん。お疲れさまです」
自然な仕草を装い、翼は柊の隣を歩きはじめた。戦場に散らばったままの何十本もの矢を、一つ一つ回収していく。
シェルターには撤収報告をしてないので、当然、野外ライトなど点けてもらえる状況ではない。月明りだけで矢を探すなど、ヘッドギア内蔵の暗視装置がなければ不可能だっただろう。もちろん、暗視装置が万能というわけでもないので、文字通り、手探りの作業だったが。
荒れ果てたプラットホームは、砕けたコンクリート片が埃のように積もっている。中腰の姿勢で光る矢がないか探し回る、とても地味な作業だ。しばらくやっていると、さすがに少し飽きてくる。ジープとの通信が切れていることを確認すると、柊は矢を探しながら翼へ話しかけた。
「なんで自分たちで矢を回収するの? 壊れた矢は作り直すんだから、自警団に回収させればよくない?」
元自警団員の柊だからこそ、そんな疑問が沸いた。
索敵に駆り出される偵察班はともかく、予備科の生徒は怪我をすることもないのだから、戦闘後、明るい時間に回収させればすぐ終わるだろう。第一、敷地外へ飛んでいってしまった矢を、この暗がりの中で回収するなど不可能だ。
すると、翼は背負った矢筒へ曲がった矢を入れながら笑った。
「後衛の柊なら、矢をよく見れば分かるはずだよ」
その言葉に立ち止まり、観察してみる。
ダブルギアの弓道場で練習に使っているものは、軽量で安価なジュラルミン製だ。覚醒して初めて弓を引く隊員がほとんどなので、扱いやすいものが選ばれたのだろう。柊のいた自警団も同じだ。地上時代は、カーボン製や竹製の矢も流通していたらしいが、この物資不足の時代にそんな贅沢はできない。
それに対し、回収している矢は見慣れない金属でできていた。電子強弓や太刀と同様、ダブルギアのために開発された武器、ということは知っている。ただ、眺めたところでそれが何と言う金属か、柊には分からない。
(ってことは、素材が貴重だから、という理由ではないんだろうな)
ギブアップしようとして、ふと、自分の矢よりも軽く感じる。
矢羽から
「これ、短くない?」
「正解。入隊したとき、制服の採寸と一緒に、
矢尺とは、矢の長さのことだ。弓を引き分けるために必要な長さは、喉ぼとけから左手中指の先までだが、そこへ安全のために+αを足したものが矢尺になる。
「恐らくどの矢も、柊が使っているものより短いはずだ」
「確か、手の長さは身長の高さと比例してる、って聞いたけど……」
「そう。つまり矢を回収せずに放置すれば、隊員の身長が推測できてしまうんだ」
手の中の曲がった矢が、急に重く感じられた。
身を挺して翼や仲間たちを守ったばかりなのに、矢を一つ回収し忘れただけで、ダブルギアの秘密が白日の下に晒されてしまうかもしれないなんて――。
「も、もう一回見てくる!」
「数本程度なら、大丈夫だよ。小学生の頃は、男女の身長差もあまりないだろう? それに、長い矢もわざと何本か忘れていくことにしているから」
「と、とりあえず、俺の矢も置いていくよ」
慌てて矢筒を開き、一目で自分のものと分かる長い矢を引き抜く。
そんな柊を、翼は黙って見つめている。月明りがヘッドギアを照らし、その奥の表情は見えない。
「柊の矢は、第二シャッターの上に突き刺さったままだろう。きっと自警団の人たちがあれを回収するだろうから、わざわざ壊れてもいない矢を捨てることはないよ」
「ああ、そうだっけ……」
ため息を吐くと、柊は中腰だった姿勢を戻し、背伸びをした。
話しこんでいた二人へ、残っていた隊員たちが手を振る。先に行っているよ、という意味だろう。軽く手を挙げ、翼は仲間たちへ応えた。
「さあ、そこの端まで確認したら、そろそろ私達も撤収しよう」
「了解」
矢の回収を終えた二人は、ホームの縁へ戻った。
撤収作業を手伝う間、壁際に置いていた自分の電子強弓と矢筒を拾っていると、隣に立つ翼が、ぽつり、と囁いた。
「さっきはありがとう。囮になる危険を承知した上で、私を庇ってくれたんだろう」
かける言葉が、咄嗟に見つからなかった。
先に撤収した隊員たちが、郊外に停めたジープへ向けて走っていく。照射器のようにまばゆい月光が生んだ影たちは、廃墟の街を踊るように駆け巡る。プラットホームには、二人の他に誰もいない。
それを確認した翼は、再び口を開いた。
「柊。君と私が初めて出会ったときのこと、憶えているかい?」
「……それは、まあ。忘れるわけないよ」
青い空と鮮血に染まるアスファルトを背景に、颯爽と現れた黒尽くめの少年。
誰も来ないと知りつつ助けを口にした柊にとって、それは
「今日、実際に戦ってみて、ようやく分かったよ。翼がたった一人で俺を助けに来てくれたことが、どれだけすごいことなのか」
「――あれは現場指揮官として、最低の判断だった」
はっとして、顔を上げる。
翼は眼下に広がる市街を見つめ、淡々とした口調で語った。
「あの山犬型【D】は、最低でも二班以上の構成で追うべき状況だった。撤収後、
「……ご、ごめん」
「前現場指揮の
「ほ、本当にごめん……」
いたたまれなくなって、無意識に背を丸めていた。
けれども、翼は視線を市街から隣に立つ柊へ向けた。
「だけど私は、絶対に君を助けたかった。美咲さんに指揮を頼むより前から『絶対に君を救う』と決めていた」
「……俺が、ダブルギアに覚醒していたから?」
翼は、首を振った。
柊が走り出したときは、足の速い自警団員だ、と思ったらしい。
「君はあのとき、シェルターへ戻る直進の道ではなく、隠れる場所も何もない市街地の広がる道へ、
あえて、という言葉に、柊は黙って翼を見つめた。
翼の表情は、ヘッドギアに隠れて見えない。けれどもその熱い口調は、彼女の潤んだ瞳や紅潮した頬を容易に想起させた。
「命の危機に陥った生物は、リスクを分散させようと、できるだけ標的の多い方へ逃げる。だから、他の逃げ遅れた自警団員を巻き込んででもシェルターへ向かうのが、生物として一般的な判断だ」
翼はゆっくりとした足取りで、更にホームの縁へ近づいた。何も言えずにいる柊を追い抜き、コンクリートの壁が破れた部分へ向かう。他の隊員たちが、地表へ降りていった場所だ。
黙って追いかける柊の一歩前を、翼は歩き続ける。
「それなのに、君は右へ走った。なぜ? ――他人を巻き込まないために。そして、迫りくる【D】の攻撃を次々と受け流し、誰もいない市街地へ向かって逃げ続けた」
プラットホームの縁に立つと、翼はくるりと振り返る。
白銀の月光が、漆黒の戦闘服を煌々と照らし出す。背景は昼から夜へと逆転したが、その華奢なシルエットは、初めて会ったときと同じく凛とした
「君は、絶体絶命なあの状況で、他人のことまで考えて逃走経路を選べる人だ。これほど勇気ある人が、この国にあと何人残っているか――そう考えた瞬間、私は追走していた。みんなに指示を出すことも忘れて。ただただ、君を救いたかった」
柊は彼女の言葉に、すぐには返答できずにいた。
確かに、誰も巻き込みたくなかったのは本当だ。撤収できずに隠れている隊員が、自分の他にいないとも限らない。それに、【D】に追いかけられながらシェルターまで戻った場合、強化シャッターや防御壁が破壊される可能性が上がる。長い目で見れば、柊の判断は「他人のため」と言えるだろう。
だが、翼が思ってくれるほど、高潔な考えだけで道を選んだわけではない。
職務を放棄し、自分を陥れた自警団のリーダーのようなクズにはなりたくない――半ば、そんなヤケクソに近い気持ちもあった。
じゃあ全部的外れなのか、と言われれば、当たってる部分もある。
たとえ本音の半分だとしても、自分の意図を汲んでくれた人がいた。
それは他人と関わるのが苦手な柊にとって、生まれて初めての経験だった。
普通に話したら声が震えそうな気がして、囁くような小声を絞り出す。
「別に、そんなんじゃないよ」
けれども翼はそんな謙遜など聞いていないのか、星空を見上げたままだ。
「見てごらん、今夜は月が綺麗だよ」
「……え?」
一呼吸おくと、もう震えは止まっていた。
「ああ、本当だ。ああいうの、満月って言うんだっけ?」
「そう。他には、こんな風に完全な円形の月のことを、
確かに、輪っかの形をしている。
「じゃあ普段から丸い太陽にも、そういう難しい呼び方はあるの?」
「
足を止めた翼は、視線を空から柊へ戻した。自然と、柊も立ち止まる。
二人はヘッドギア越しに見つめ合った。
「日輪と月輪、二つの輪がこの世を照らし、闇を退けているんだ。どちらか一つだけじゃなく、二つの光輪が照らすからこそ、地上世界はこんなにも美しい――そんな風に思わないかい?」
地下で生まれ育った子どもたちは、特別な職業に就かない限り、月や太陽を目にする機会などない。元自警団の柊でさえ、夜間に外出するのは初めてだ。
彼が想像していたよりもずっと月は明るく、その光が届かない場所は、底なしの闇が無限に広がっている。目に染みるほどのコントラストが織りなすモノクロの世界のなか、闇に沈んだ街並みを背景に、翼はプラットホームの縁に立っていた。
満月に照らし出された彼女は、まるでスポットライトを浴びる舞台役者のようだ。他に人気のない静かなプラットホームに、澄んだ声が響く。
「私たちが出会ったのは、きっと偶然じゃない」
誘うように、片手を差し延べてみせる。
「私は太陽の化身である
ひらりと身を翻し、黒尽くめの
駆け寄った柊が下を覗き込むと、軽やかに宙がえりして着地する翼の姿が見える。美しいフォームで地上へ降り立った翼は、通信機越しに囁いた。
『おいで、みんなが待ってる』
「今行くよ」
柊は念のため、
月が照らす壊れかけの街を、二つの影が駆け抜けていく。彼らを待つ、仲間たちのもとへ向かって。
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