第24話 (翼視点)初陣2

 ジープへ戻った後、いつもと同じように帰還手続きをする。

 ダブルギア専用通用口を使い、出動時と同じ“地下鉄”の専用車両に乗り込み、東京シェルターへ。行きと違うのは、ほとんどの隊員が指定された席ではなく、救護車両で治療を受けている点だ。

 今回の目標は、最も危険の高い「神獣クラス」に分類される八咫烏ヤタガラス型【D】だった。それも、二羽。二十四名の戦闘員に殉職者もなく、それどころか指定席に座って帰れる隊員が四名もいる――これを行幸と言わずして、何というだろうか。

 移動中の席は、班ごとに分けられている。現場指揮である私は先頭だ。通路を挟んだ隣は、本来なら副班長の伊織いおりが座っている。

 伊織は今、治療中だ。雛鳥の体当たりを受けたときの傷が、内臓にまで達していたらしい。これが一般人だった場合、助からなくてもおかしくはない。医療班の見立てによると、ダブルギアの自己治癒能力でも一週間は訓練に参加できないだろう、とのことだった。

 背中越しに、車両の後方を見渡す。

 すぐ後ろの席の柊は、軽く口を開けたまま眠っている。彼は自分の席に座ると同時に、気絶するように寝てしまった。いや、恐らくは本当に気を失ったのだろう。

 初陣からエース班である一班に配属され、しかも初戦の相手が神獣クラス――私も・・経験者・・・だが・・、初陣からエース班配属というのも、初陣の相手が神獣クラスであることも、想像の遥か上をいく過酷な条件だ。

 小隊長が見込んだだけのことはある。いや、恐らくは見込み以上の逸材だ。こうして口を半開きにして眠っていると、無防備極まりない顔をしているけれど。


 ふと、後方の席に座る隊員と目が合う。

 五班の班長を務める、玉置たまき桃花ももか二尉だ。

 名前はとても可愛らしいけれど、名前と見た目が一致しない人だ。伊織いおりの次に背が高く、鍛え抜かれた肉体を持つ。少し猫背だから分かりにくいけれど、玉置さんも、柊より背が高い。

 目鼻立ちは整っている。ただし美人というより、地下世代に特有のいわゆる“性別不明顔”だ。新人の隊員たちから、男前だ、と騒がれている上に、本人もその自覚があるタイプだ。

 玉置さんは、ウインクをしてこちらへ近寄ってきた。左の頬に大きなガーゼが貼られている。しかし、それ以外に目立った外傷はない。十七歳の彼女は、隊の中でも古参組の一人だ。


「どうした、翼。そんな浮かない顔してさ」


 癖なのか、わざとやっているのか。いつものように、その真ん中で分けた長い前髪を、パサッ、と掻き上げる。声も、女性にしては低いほうだろう。


「いや、なんでもないよ。心配させてすまない」

「ふっ 疲れたなら、オレ・・の胸でよければいつでも貸すぜ?」


 玉置さんは、とても男らしい。男らしいというより、玉置さんは男の人になりたいのかもしれない。あるいは女性が好きなのかもしれないけれど、そこまで踏み込んだ会話をしたことがないから、私には断定できない。

 ただ、その男の人のような容姿や声、長い手足から繰り出される重い一撃を、私はとても羨ましく感じる。高い背も、厚い筋肉の鎧で固めた体幹も、低い声も――どれも私が持っていないものだから。


「ありがとう。でも、私は遠慮しておくよ」

「翼はいつも遠慮してばかりだな。可愛い翼のためなら、いつでもベッドで添い寝してやるぞ」

「ははっ 気持ちだけいただいておくよ」


 このセリフを聞くのは、もう数百回目だ。そしてほぼ全ての隊員へ、玉置さんは同じことを言っている。さすがに、自分よりも背が高い伊織には言わないらしいけど、ほんの五ミリ背の低い柊にまで声を掛けたのには驚かされた。

 最初は、柊が男の子だとバレたのか、と慌てた。

 けれども、よく考えてみると「柊のことを女の子だと思っているから」、他の隊員と同じように甘い言葉を囁くのだろう。これからも気を緩めることはできないけれど、柊の性別は、今のところ誰にもバレていないみたいだ。


「ふっ 仕方ない。オレはあっちで寂しく独り寝するとしよう」


 玉置さんは大きな口に、ニィと笑みを浮かべ、席へ戻った。

 ベッドで添い寝、というのが、本当はどんな行為を指すのか分からない。けれども小隊長が何も咎めないということは、夜通しお喋りに付き合ってくれるとか、そういう類のものなのだろう。

 奇抜な雰囲気に惑わされやすいが、玉置さんはとても仲間想いの班長だ。

 班長に必要な資質は、強さだけではない。戦況を見ながら指示を出す視野の広さや冷静さ、班員の精神状態のフォロー等も求められる。強くて、冷静で、勇敢で、そして気配りのできる人材でなければならない。

 今の会話も、私を気遣って、わざわざ軽口をたたきに来てくれたのだろう。戦闘後なのだから、彼女だって疲れ切っているだろうに。

(私は、ちゃんと班長を、現場指揮の職務を全うできているのか?)

 灰錆色の車窓を眺めながら、私は自問自答した。

 鏡のように車内を映し出す窓には、無表情の女の子が頬杖をついている。

 それが自分の姿だと認めたくなくて、私は強く瞼を閉じた。


 無理やり寝てしまおう、と思って目を瞑った。それなのに、少しも眠くならない。ヘッドギアを使った後はいつもこうだ。感覚が過敏になってしまって、堂々巡りの思考を取り留めもなく広げてしまう。

 おまけに、今回はいつもよりも条件が悪かった。

 新人の柊が「初陣」から「エース班に配属され」て、しかも相手は神獣クラスの【D】――あまりにも合致していた。私の初陣と。

 そのことはなるべく思い出さないように、と医師や小隊長から指示を受けている。けれども、忘れることなんてできるはずがない。それに、今回のようにあまりにも自分と同じ条件が揃った隊員が現れたのは、この三年間で初めてだった。

 やめてくれ、と胸の中で叫んでも、覚醒した状態の脳は無理やり記憶をほじくり返し、延々と映像を垂れ流し続ける。


 世界を【D】が襲撃するようになった後、幾つもの法律が制定・改訂された。その結果、覚醒の血筋が濃い者たちへ「戦士となる子を作れ」と密命が下った。

 そのリストには、私の父――さかき明彦あきひこの名もあった。彼自身は覚醒していないが、実母(榊孝)、娘(榊真実)、そして従姉妹に何人もの覚醒者がいる。

 そして父は、ダブルギアを作るため、私をもうけた。

 私の母は誰なのか、教えてもらったことがない。ただ、小隊長の母君とは別の人なのは間違いない。小隊長の母君は、【D】襲撃の二年前に亡くなっている。だから、小隊長は私の異母姉だ。

 私の他にも、「ダブルギアにするために作られた子ども」は施設に何人もいた。明治以降で、複数名の覚醒者を輩出した家同士の卵子や精子を使い、人工授精で生まれた子どもも多かった。私も、恐らくその一例だろう。


 覚醒した翌日、そういった子どもたちの教育施設から基地へ移送された。

 その頃のダブルギアは、第一小隊と第二小隊に分かれていて、戦闘員も五十名以上いた。私は第一小隊のエース班とされる、一班へ配属された。

 二週間後、私にとって初陣となる戦闘があった。

 敵は、神獣クラスに分類される「八岐大蛇ヤマタノオロチ」だった。


 神獣クラスは、それ以下の【D】とは桁違いの攻撃力を持つ。

 一般的な【D】は、例えば、先月戦った山犬型などがそうだ。人間と敵対する神が、野生生物に僅かな力を貸している状態だ。外見や知能の高さ、思考パターンは、力を借りた生物に依存する。そのため、本体となる生物の知識があれば、ある程度、攻撃パターンを予測することができる。

 だが、神獣クラスは違う。

 あえてダブルギアと同じ用語で説明するならば、神獣クラスとは、神の御力みちからが注がれすぎて「発狂状態・・・・にある【D】」だ。

 私達も、臨界速ダブルギアを使用して発狂した場合、元の人格や魂が消し飛ぶ代わりに絶大な力を得る。素手で【D】を引きちぎるだけでなく、腕や足を失おうと、心臓が動く限り戦い続けようとする。

 それと同じ状態とされる八岐大蛇が、私の初陣相手だった。


 戦闘が始まって十分もしないうちに、何名もの隊員が殉職した。アスファルトを汚す血だまりは、刻一刻と広がっていく。千切れた腕、首がもげてビクビクと断末魔の痙攣をみせる戦闘員の身体、助けを求める声、悲鳴、怒号――。

 現場指揮官でもある班長の指示に従い、私は何度も突撃を繰り返した。

 けれども、私が施設で訓練してきたのは、一般的な【D】相手の戦闘術だった。他の隊員たちも、神獣タイプと戦うのは初めて、という者が多かった。

 八つの首を持つ大蛇は、一人、また一人、と屠り、美味そうに咀嚼していく。

 そのとき、インカムから班長の声がした。


『第一小隊、一班、応答せよ!』

『おう』

『なんとか、生きてるわ』

『なんだ』

「は、はいっ」


 私達一班の五名は、まだ全員立っていた。今は人員が減って四人一組フォーマンセルだが、当時は五人一組ファイブマンセルだった。でも、私以外の四人は既に負傷し、その内の一人は片腕を失っていた。

 班長の声は、微かに震えていた。


『既に、二十名以上が戦闘不能となった。第二小隊の一班は、たった今、全滅した』


 誰も反応できなかった。

 目の前では、八つ首の化け物が、犠牲となった隊員の身体を弄ぶように千切り、貪り食っている。ずるりと腸を引きずり出されているのは、第二小隊の一班班長だった死体だ。

 現場指揮官でもある班長の言葉を、私達は黙って聞いていた。


『これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。人類は、明日も明後日も生きていかなければならない。ここでダブルギアが全滅すれば、日本は来月の戦闘で滅ぶ』


 私以外の一班の隊員たちは、その言葉に立ち上がった。

 私は、班長の言葉が何を意味しているか理解できず、しがみつく他の班の隊員――後で知ったが、これが二度目の出動となる結衣だった――の背を支えてやることしかできずにいた。


『第一小隊、一班に告ぐ。臨界速ダブルギアを使用し、八岐大蛇を攻撃せよ。目標を撃破した後は、発狂前に・・・・自決・・する・・こと』

「了解」

「……おう」

「……分かったわ」


 後方のジープから、小隊長からの通信が割って入る。


『今すぐ中止しろ! 臨界速ダブルギアの使用を許可した覚えはないぞ!』

『申し訳ありません。すべて、現場指揮官であるわたしの指揮力不足が招いたことです。あの世で、榊孝閣下へ詫びます』

『やめろ、国木田くにきだ!』


 しかし、班長は左こめかみに指をあてた。

 一班に所属する、他の隊員たちもそれに倣う。

 私はその光景を呆然と見つめていた。すると班長は私のほうへ振り返り、インカムで語りかけてきた。


『翼、きみも一班の隊員だ。初陣で自決命令なんてあんまりだ、と思うだろうけれど、これも運命と諦めてくれ』

「あ……」


 会話に割り込む、小隊長の声。


『国木田、翼、やめろ! 総指揮は私だ。臨界速ダブルギアの使用は認めん。一旦退却し、戦況を立て直せ!』


 私の両手を、必死に掴む結衣の手。


「ダメだよ、翼、ぜったいダメ!」


 班長の玉砕命令、小隊長の制止の声、必死に抱きつく結衣の体温――立ち上がれずにいる私へ、班長は言った。


『翼、後のことは、頼んだよ』


 それを合図に、四人の隊員は左こめかみの歯車ギアを三連打した。ビクビクと四肢が痙攣したかと思うと、彼女たちは――修羅となった。

 赤よりも、なお鮮烈な朱に染まる戦場。悲鳴、怒号、千切れ飛ぶ鱗や牙、人間の腕。だが、本当の地獄が始まったのは、八岐大蛇が光の粒子となって消えた後だった。


 そこまで思い出したところで、私は強く肩を揺さぶられた。いつの間にか、半分夢を見ていたらしい。目を開けると、疲れの滲む青白い顔をした柊が見えた。


「翼、うなされてたよ。大丈夫?」


 柊の顔や身体を、食い入るように見つめてしまう。

 あのとき、私以外の四人は臨界速ダブルギアを使った。三人は自決したが、一人だけ、どうしても自決できずに発狂してしまった隊員がいた。発狂した彼女は、ほんの数分前まで仲間だったはずの隊員たちを、次々と屠っていった。


「柊」

「なに? 電車に酔ったんなら、薬をもらってこようか?」


 そう語りかける柊は、いつもと何も変わらなかった。

 彼は、本当に月読命ツクヨミノミコトのダブルギアなのだ。臨界速ダブルギアを使っても正気を保っていられる、真に選ばれし戦士なのだ。

 そのことが頼もしくもあり、同時に、眩しくもあった。


「大丈夫、少し疲れただけだ」

「俺、飲み物もらってくるよ。翼も何か飲む?」

「そうか。じゃあ、私もお茶をもらいに行こう」


 立ち上がり、その隣に並ぶ。

 ああ、君は、なんて背が高いのだろう。

 細身に見えるけど、その身体は一部の隙もなく鍛え上げられたものだと私は知っている。手足も長くて、後衛にしておくにはもったいないくらいだ。

 これが初陣とは思えないほど冷静で、咄嗟に指揮まで執ってみせた。勉強はあまり得意じゃない、と言うけれど、頭の回転が速い証拠だ。そのうえ、陽動役を自ら買ってでるほど勇敢な心を持ちあわせている。

 自信がない、というのが不思議なほど、まさにダブルギアになるために生まれてきたような人だ。


 私は、そんな君が仲間になってくれたことが嬉しかった。

 嬉しいのと同時に、君を見ていると私に足らないものばかり目について、胸が潰れそうだった。

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