祀られた英雄
第25話 嘘の代償
応接室のソファ前に、戦闘服が並んでいる。
左から順に、
しかし、真っ青な顔で俯く柊とは対照的に、榊と翼は背筋を伸ばし、ソファに深々と腰かけた
三人を呼びつけた長谷部は、ぐいっと煙草を灰皿に押しつけ、大仰に首を振ってみせた。
「どれほど愚かなことをしたか、君たちは理解しているのか?」
言いながら、分厚い紙の束をテーブルへ乱暴に投げ捨てる。
紙束は、波飛沫のようにサァっとテーブルへ広がった。
「十七年間、先人たちが身を削る思いで守ってきた戦闘員の実態を、ただの民間人に……それも、数十名というとんでもない人数に見られるなど。けっして、あってはならないことだ!」
テーブルの上に散乱したファックス用紙は、「ダブルギアの戦闘員について国営放送で報じてほしい」という内容の嘆願書や署名リストだった。
「この失態の責任は、誰にある? この私か?」
不愉快そうに鼻を鳴らす長谷部へ、榊が口を開いた。
「この度の責任は、小隊指揮権を持つ
「貴様には発言を許しておらん」
「お言葉ですが、
「黙れ、榊二佐! 私は、佐東三尉に尋ねているのだ」
長谷部の厳しい口調に、柊は思わず身体を震わせた。
もちろん、素顔を晒した時点で、叱責を受けることは覚悟の上だった。しかし、それは小隊長に叱られるとか、始末書を提出させられるといった程度であって、まさか司令である長谷部に呼び出されるなど、微塵も予想していなかった。
「今回の責任は、俺……
消え入りそうな声で柊が答えると、長谷部は芝居がかった調子でため息を吐いた。
「はぁ……そうだ。この責任は当然、素顔を晒した君にある。異論はないな?」
「ありません」
「では、この責任は佐東三尉がとる、ということで構わんな?」
「…………はい」
給料の減額か、それとも降格処分か。それは、別にどうでもいい。
ダブルギアの配給は、食事も物資も医療も十分だ。給料くらい、減額されたところで、根が質素な柊には大した問題ではない。地位にも興味がない。
ただ、入隊したばかりで降格となると、戦闘員のままでいられるのだろうか?
口を閉ざしてしまった柊を後目に、長谷部は真新しいファイルを机へ投げた。その表紙には『国営放送計画』と記されている。
その言葉に、榊がそっとくちびるを噛んだ。
長谷部は、ファイルの表面を節くれだった指でつついてみせる。
「青森シェルターから洩れた“本物のダブルギアの顔を見て、会話もした”という情報は、僅か数時間で全国のシェルターに広まってしまった」
「……申し訳ありません」
「そこにあるファックスの束のように、実戦闘員を国営放送に出してほしい、という要望が、全国から何十万と送られている状態だ」
「つまり俺……じゃなくて
(こんなことになったと知ったら、
エリートアピールするな、といきり立つ少女を思い浮かべ、頭が痛くなる。
だが、長谷部の話はそれだけではなかった。
「流出した情報は、
何を言いたいのだろう?
周囲をちらちら見ている柊を他所に、長谷部は沈痛な面持ちを作った。
「ふぅ……こうなってしまった以上は、仕方がない。榊一尉、君も出演したまえ」
榊一尉、つまり翼のことだ。
意味を理解した瞬間、柊は慌てて口を挟んだ。
「待ってください! 翼は……榊一尉は女子なんですよ。全国放送で顔出しなんかしたら、日本どころか世界中に
「全国民の希望となるのだ。喜んでその身を捧げるのが、戦士のあるべき姿ではないのかね」
「死ぬまで隠れて生きろ、とでも言うんですか?」
激高した柊の前へ、長い手が遮るように出される。それまで事の成り行きを見守っていた榊が、手で制したのだ。
普段より
「それに関しては、私から説明しよう。まず、彼女が将来、戦闘員を退役した後についてだが、私の補佐官として、小隊の指揮系統へ転属する予定でいる」
「榊小隊長の直属の部下になる、ってことですか?」
「そうだ。衣食住、及び職業の保証もある。職務のほぼ全ては基地内だ。性別の隠匿についても、今とさほど変わらない生活が見込めるはずだ」
確かに、話を聞く分には問題なさそうな印象だ。それに、榊の補佐官になるなら、一々事情を説明しなくてはいけない人も、多くはないはずだ。
そこまで考えて、次の不安が柊の胸に浮かび上がる。
「だとしても、覚醒前に翼が暮らしていたシェルターの知り合いが、全国放送を観て騒ぐと思うんです。偽名を使ったって、顔と年齢を見ればバレるでしょうし」
それに答えたのは、隣に立つ翼自身だった。
「私は、どこのシェルターにも属したことがない。この基地の隣にある、『巨大生物研究所』で生まれ、育てられたから」
「……え?」
黙ってやり取りを聞いている長谷部は、いつの間にか苦虫を噛み潰したようなまなざしを、翼へ向けている。
翼はそんな視線など意に介さない様子で、淡々と続けた。
「私は、ダブルギアになるために生まれ、覚醒後は小隊長の右腕となるべく育てられたんだ。だから、どこのシェルターにもIDを移したことはないし、学校へ通ったこともない。私を知る一般人は、この世に一人として存在しない」
「学校に行ってないって、勉強とかはどうしてたの?」
「女性研究員が、家庭教師として見てくれた。一般的な学力は、身につけているよ」
全く想像もしていなかった話に、言葉が出てこない。しかも、翼と同じような境遇の子どもは他にもいるらしい。
覚醒する可能性の高い子どもを集めて、英才教育を施す――そのこと自体は、あり得るだろう。早いうちから訓練をしたほうが、どんな分野だって開花しやすい。
だがそれは、その子どもが覚醒すれば、の話だ。
「……もし、翼が
「神に選ばれなければ、研究所の職員になっていた。実際、そういう子どもを何人も見ている」
口を閉ざし、柊は何度もまばたきをした。
頭が混乱してしまって、なかなか事実を飲み込むことができない。
ダブルギアにするために生まれた子どもたちが、必ず覚醒するとも限らないのに、物心ついたときから過酷な訓練に明け暮れている――他国に攫われた子どもの末路と何が変わるというんだ、と言いかけて、言葉を飲み込んだ。
理不尽な社会の縮図を知った柊の眉が、強くしかめられる。そんな彼へ、翼ははっきりとした口調で告げた。
「自分の生き方を国家に決められるなんて、私たち地下世代にとっては、もはや日常だろう? 私だけが特別なわけじゃない」
淀みない答えに、おざなりの拍手が響く。
長谷部は手を止めると、口の端を歪めた。
「と、いうわけだ。榊一尉を知る一般人はどこにもいないのだから、性別を偽ったところで、“新事実”とやらは永久に出てこない。あとは、姉妹で傷の舐め合いでもしていればよかろう」
「そんな……」
顔を曇らせた柊とは対照的に、翼は長谷部を見据え、すっと背筋を正した。
「国営放送の出演、了解いたしました」
長谷部は、さも同情しているような憐みの笑みを浮かべる。
「よろしい。それでこそ、護国の戦士だ。それと榊二佐、国営放送には君も出たまえ。可愛い妹だけに責任を負わせるのは、姉としてつらかろう」
長谷部は満面の笑みを榊へ向けた。しかし榊は、自身も国営放送へ引っ張り出されることなど、初めから想定済みだったのだろう。特に感情のこもらない乾いた口調で、長谷部へ返す。
「会見の草稿は、こちらで用意いたします。収録日時は?」
「明後日の正午に
高笑いしながら、長谷部は大股で応接室を出ていった。
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