第20話 囮

 ヘッドギア内蔵の通信機から、さかきが語りかける。


佐東さとう。この距離まで来たら、自警団を巻き込まないためにも、一撃で倒す必要がある。臨界速ダブルギアの使用を許可する。必ず仕留めろ』


 榊の指示に、しゅうは走るのをやめ、即座に足を肩幅に開いた。

 矢をつがえ、目標を観察する。八咫烏ヤタガラスの雛は黒い羽を大きく広げ、鋼鉄のシャッター目指して一直線に飛び続けている。あの壁の向こうにたくさんのエサがいる、と理解しているのだろう。

 敵を観察する合間に、傍らに立つつばさをそっと盗み見る。しかし、ヘッドギアのスモークが邪魔で、その表情は分からなかった。


「了解、攻撃に移ります」


 左手で弓矢を押さえ、空いた右手を左こめかみに添える。金と赤、二つの歯車ギアを中指と薬指の先に感じ、一呼吸。そして同時に三連打。


 指を離した途端、世界が銀色の光に包まれたような錯覚に陥る。

 キィイイイン、と激しく音をたてながら二つの歯車が噛みあい、旋回音が脳髄を揺るがす。清々しいまでの恍惚感が脊椎を駆け巡ると、それまでの迷いや疲労は吹き飛び、まるで夢から醒めたような心地がした。

 弓掛ゆがけに弦を引っかけ、静かに弓を引く。

 これまでとは比較にならないほどの力が、全身に満ち溢れるのを感じる。それでいながら、心は空恐ろしいばかりに静かだった。


 黒い背を見やり、狙いをつける。その羽ばたきには、一寸の迷いもない。人間エサを狩る、という本能に突き動かされ、八咫烏の雛は飛び続けていた。

 一撃で倒すには、急所を貫く必要があった。ならば、あてやすい羽や胴体ではなく、後頭部だ。

 矢が弦から離れた直後、遥か前方で爆発音が響いた。あまりの矢速に、射出音と着弾音の差がほとんど感じられなかった。凄まじい威力の一射を放った柊は、“残心” ざんしん と呼ばれる両腕を均等に開いた姿勢のまま、前方を食い入るように見つめている。

 視線の先、矢の直撃を受けた後頭部は、原形を留めないレベルで破壊されていた。八咫烏の雛は羽ばたくのを止め、ぐしゃり、と床へ落ちる。


「……クエェ」


 力なく一声啼いた後、八咫烏の雛は光の粒子となって消えていった。

 それは、自警団がすぐ裏手にいる第二シャッターまで、残り十メートルもない地点――まさに間一髪だった。


「死んだ……のかな」

「私が確認してくるよ」


 自信なさそうに呟く柊を残し、翼がシャッターへ走る。

 翼は素早く周囲を確認すると、柊へ向かって大きく頷いた。それから右手をヘッドギアに当て、榊が待つ本部へ通信を入れる。


「こちら一班班長。第二シャッター手前で目標を撃破。消滅を確認いたしました」


 翼の報告に、サポートに回っている職員たちが、わっ、と沸き立つのがイヤホンから聞こえてくる。


『よくやった。速やかに本隊と合流し、ジープへ戻れ』


 榊の言葉は事務的なものだが、「よくやった」の一言だけは、いつもより柔らかな音色に感じられた。翼も、報告を終えてほっとしたのだろうか。八咫烏の雛を貫通してシャッターの上部に突き刺さった矢を、黙って見上げている。

 戦闘が終わった、と理解した途端、緊張で強張っていた全身から力が抜けていく。その余韻も冷め切らぬうち、激しい吐き気がこみ上げてきた。

 月読命ツクヨミノミコトのダブルギアとはいえ、初めての臨界速ダブルギアは、脳へ負荷がかかりすぎたのだろう。歯車ギアを模した二つのボタンを同時に長押しして解除すると、頭のなかで響いていた旋回音が止む。

 翼がこちらへ戻ってくるのを視界の隅に感じながら、柊は弓を握る手を降ろした。


「あ、あの、翼……」


 翼がどんな反応をするのか予想できず、声が掠れてしまう。

 過去に、臨界速ダブルギアや発狂に関する事故があったことは、もはや疑いようもない。そんななか、命令とはいえ臨界速ダブルギアを使った自分を、翼はどう思うのだろう。

 無意識のうちに俯いていた柊の頬に、そっと手が添えられる。すると、黒い革手袋をはめた小さな手は、ヘッドギア越しにぺたぺたと柊の顔を撫で始めた。


「つ、翼? え、あの、どうかした?」


 想定の範囲を超えた行動に、思わず声が上擦る。けれども翼は、ヘッドギア越しに柊の顔を撫でまわすのをやめようとしない。


「柊……私を殺したい?」

「は?」

「何かを壊してやりたいとか、そういう衝動は?」

「いや、俺、そういうタイプじゃないよ」


 自警団にいた頃、訓練後の更衣室では、血の気の多い団員同士が殴り合いをする場面をよく見かけた。戦闘訓練での興奮が収まらないのだろう。彼らは日頃の鬱憤を晴らすかのように怒号をあげ、拳を振りおろした。そんな記憶を思い出してげんなりしている柊を他所に、翼は重苦しいため息を吐いた。


臨界速ダブルギアを使ったのに……本当に、正気を保てているんだね?」

「ああ、そういうことか。心配しなくても平気だよ」


 ヘッドギア越しとはいえ、至近距離で女子に触れられているかと思うと、むず痒い気持ちになってくる。

 柊は視線をさまよわせた後、雰囲気を変えるために通路の奥を指さした。


「ほら、えっと、榊小隊長から撤収命令も出たし。帰ろう」


 その言葉で我に返ったのか、翼は、ぱっと身を離した。


「すまないっ」


 珍しく、その声は上擦っている。そのせいで、普段よりも高い声になってしまっていた。

(翼って、本当はこんな声なのか……)

 柔らかく透き通るような声だ。戦闘服に身を包み、太刀を手に戦う普段の姿からは想像できないほど繊細で、あまりにも女の子らしかった。そのせいで、翼も自分と同世代の異性なんだ、と意識してしまう。服装は変わらないのに、あんなに凛々しかった少年指揮官が、今だけは可憐な少女にしか見えない。

 しかし、翼はすぐにいつもと同じ、凛とした芯のある声へ切り替えた。


「そうだね。みんなのところへ戻ろう」

「あ、う、うん。そうしよう」


 気まずい雰囲気を振り切るように、二人は元来た方向へ歩き出そうとした。

 その背後から、複数の声が聞こえてくる。


「……オレたち、助かったのか?」

「おいおい。バリケードから出るにゃ、まだ危ないぞ」

「でも、目標を撃破、って声がしたから平気でしょうよ」


 肩越しに振り返ると、見慣れた灰色の作業服が目に入った――自警団だ。

 彼らは手斧や弓といった武器を構え、周囲を窺っている。やがて、黒尽くめの二人組に気づいた自警団員たちは、一斉にどよめきをあげた。


「おい、あの子どもたち、ダブルギアじゃないのか!?」

「黒尽くめの子ども、ってことは……」

「間違いねえ、ダブルギアだ!!」

「初めて見たわ、あたし……」

「ホンモノなら大スクープだぜ。いつもは長谷部とかいう、自衛隊から出向した幹部しか顔出ししてねえし」


 人々は頬を紅潮させ、二人を観察している。

 その事実に、身体が震えた。

 世間的には、ダブルギアは未成年の男児のみで構成された少年部隊・・・・、ということになっている。今回の出撃前にも、「意識のある民間人が倒れているかもしれないから、ヘッドギアは絶対に外すな」と注意喚起されていた。

 それなのに、たった数十メートル離れただけの至近距離で、複数人に姿を目撃されてしまうなんて。

 振り返らないまま身を強張らせていた翼が、囁くように話しかけてくる。


「今すぐ逃げよう。釈明は、長谷部司令に任せるんだ」


 好奇心に満ちた自警団員たちの視線を、全身に感じる。柊は、翼の提案に頷きかけてやめた。

 このまま二人で逃げ出したとして、自警団の人々は大人しく引き下がるだろうか? いや、隠そうとすればするほど、人間というやつは寄ってくるものだ。

 どうにかしてこの場で納得させてしまわなければ、人々の好奇心は、やがて性別の真実に辿り着くだろう。

 柊は唾を飲み、首を横に振った。


「俺が時間を稼ぐ。その間に、翼は一秒でも早くみんなを撤収させて」

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