第21話 囮
ヘッドギア内蔵の通信機から、
『
榊の指示に、
矢を
敵を観察する合間に、傍らに立つ
「了解、攻撃に移ります」
左手で弓矢を押さえ、空いた右手を左こめかみに添える。金と赤、二つの
指を離した途端、世界が銀色の光に包まれたような錯覚に陥る。
キィイイイン、と激しく音をたてながら二つの歯車が噛みあい、旋回音が脳髄を揺るがす。清々しいまでの恍惚感が脊椎を駆け巡ると、それまでの迷いや疲労は吹き飛び、まるで夢から醒めたような心地がした。
これまでとは比較にならないほどの力が、全身に満ち溢れるのを感じる。それでいながら、心は空恐ろしいばかりに静かだった。
黒い背を見やり、狙いをつける。その羽ばたきには、一寸の迷いもない。
一撃で倒すには、急所を貫く必要があった。ならば、あてやすい羽や胴体ではなく、後頭部だ。
矢が弦から離れた直後、遥か前方で爆発音が響いた。あまりの矢速に、射出音と着弾音の差がほとんど感じられなかった。凄まじい威力の一射を放った柊は、
視線の先、矢の直撃を受けた後頭部は、原形を留めないレベルで破壊されていた。八咫烏の雛は羽ばたくのを止め、ぐしゃり、と床へ落ちる。
「……クエェ」
力なく一声啼いた後、八咫烏の雛は光の粒子となって消えていった。
それは、自警団がすぐ裏手にいる第二シャッターまで、残り十メートルもない地点――まさに間一髪だった。
「死んだ……のかな」
「私が確認してくるよ」
自信なさそうに呟く柊を残し、翼がシャッターへ走る。
翼は素早く周囲を確認すると、柊へ向かって大きく頷いた。それから右手をヘッドギアに当て、榊が待つ本部へ通信を入れる。
「こちら一班班長。第二シャッター手前で目標を撃破。消滅を確認いたしました」
翼の報告に、サポートに回っている職員たちが、わっ、と沸き立つのがイヤホンから聞こえてくる。
『よくやった。速やかに本隊と合流し、ジープへ戻れ』
榊の言葉は事務的なものだが、「よくやった」の一言だけは、いつもより柔らかな音色に感じられた。翼も、報告を終えてほっとしたのだろうか。八咫烏の雛を貫通してシャッターの上部に突き刺さった矢を、黙って見上げている。
戦闘が終わった、と理解した途端、緊張で強張っていた全身から力が抜けていく。その余韻も冷め切らぬうち、激しい吐き気がこみ上げてきた。
翼がこちらへ戻ってくるのを視界の隅に感じながら、柊は弓を握る手を降ろした。
「あ、あの、翼……」
翼がどんな反応をするのか予想できず、声が掠れてしまう。
過去に、
無意識のうちに俯いていた柊の頬に、そっと手が添えられる。すると、黒い革手袋をはめた小さな手は、ヘッドギア越しにぺたぺたと柊の顔を撫で始めた。
「つ、翼? え、あの、どうかした?」
想定の範囲を超えた行動に、思わず声が上擦る。けれども翼は、ヘッドギア越しに柊の顔を撫でまわすのをやめようとしない。
「柊……私を殺したい?」
「は?」
「何かを壊してやりたいとか、そういう衝動は?」
「いや、俺、そういうタイプじゃないよ」
自警団にいた頃、訓練後の更衣室では、血の気の多い団員同士が殴り合いをする場面をよく見かけた。戦闘訓練での興奮が収まらないのだろう。彼らは日頃の鬱憤を晴らすかのように怒号をあげ、拳を振りおろした。そんな記憶を思い出してげんなりしている柊を他所に、翼は重苦しいため息を吐いた。
「
「ああ、そういうことか。心配しなくても平気だよ」
ヘッドギア越しとはいえ、至近距離で女子に触れられているかと思うと、むず痒い気持ちになってくる。
柊は視線をさまよわせた後、雰囲気を変えるために通路の奥を指さした。
「ほら、えっと、榊小隊長から撤収命令も出たし。帰ろう」
その言葉で我に返ったのか、翼は、ぱっと身を離した。
「すまないっ」
珍しく、その声は上擦っている。そのせいで、普段よりも高い声になってしまっていた。
(翼って、本当はこんな声なのか……)
柔らかく透き通るような声だ。戦闘服に身を包み、太刀を手に戦う普段の姿からは想像できないほど繊細で、あまりにも女の子らしかった。そのせいで、翼も自分と同世代の異性なんだ、と意識してしまう。服装は変わらないのに、あんなに凛々しかった少年指揮官が、今だけは可憐な少女にしか見えない。
しかし、翼はすぐにいつもと同じ、凛とした芯のある声へ切り替えた。
「そうだね。みんなのところへ戻ろう」
「あ、う、うん。そうしよう」
気まずい雰囲気を振り切るように、二人は元来た方向へ歩き出そうとした。
その背後から、複数の声が聞こえてくる。
「……オレたち、助かったのか?」
「おいおい。バリケードから出るにゃ、まだ危ないぞ」
「でも、目標を撃破、って声がしたから平気でしょうよ」
肩越しに振り返ると、見慣れた灰色の作業服が目に入った――自警団だ。
彼らは手斧や弓といった武器を構え、周囲を窺っている。やがて、黒尽くめの二人組に気づいた自警団員たちは、一斉にどよめきをあげた。
「おい、あの子どもたち、ダブルギアじゃないのか!?」
「黒尽くめの子ども、ってことは……」
「間違いねえ、ダブルギアだ!!」
「初めて見たわ、あたし……」
「ホンモノなら大スクープだぜ。いつもは長谷部とかいう、自衛隊から出向した幹部しか顔出ししてねえし」
人々は頬を紅潮させ、二人を観察している。
その事実に、身体が震えた。
世間的には、ダブルギアは未成年の男児のみで構成された
それなのに、たった数十メートル離れただけの至近距離で、複数人に姿を目撃されてしまうなんて。
振り返らないまま身を強張らせていた翼が、囁くように話しかけてくる。
「今すぐ逃げよう。釈明は、長谷部司令に任せるんだ」
好奇心に満ちた自警団員たちの視線を、全身に感じる。柊は、翼の提案に頷きかけてやめた。
このまま二人で逃げ出したとして、自警団の人々は大人しく引き下がるだろうか? いや、隠そうとすればするほど、人間というやつは寄ってくるものだ。
どうにかしてこの場で納得させてしまわなければ、人々の好奇心は、やがて性別の真実に辿り着くだろう。
柊は唾を飲み、首を横に振った。
「俺が時間を稼ぐ。その間に、翼は一秒でも早くみんなを撤収させて」
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