第20話 3年前のトラウマ
新たな【D】の出現と同時に走り出したのは、二つの影だった。
「ねえ、あいつ、どこへ行くつもりなの?」
前を進む翼は、薄暗い駅舎のなかであっても、迷うことなく経路を選んでいく。
「地下にある第二シャッターを壊して、居住区へ行くつもりだ」
「なんでそんな場所に」
「戦闘中に出てこなかったということは、恐らくあいつは、たった今、殻を破ったんだ。どんな生物も、産まれて最初に求めるものは食料だ。プラットホームより地下の居住区のほうが
廊下を遮るように倒れる瓦礫を、二人は軽々と飛び越えていく。
「だとしても、
翼は振り返ることなく走り続ける。
「私は、全国のシェルターの構造、及び周辺地域の地図を記憶しているから」
「……うそだろ」
彼女の先導でショートカットを繰り返しても、敵との距離はなかなか縮まらない。二人は激しい力で破壊し尽くされた駅舎内を経由し、懸命に雛の背を追う。走りながら、柊はふと、自警団にいた頃の訓練を思い出していた。
仮に【D】がシェルターへ侵入した場合、自警団は防衛できたシャッターのすぐ内側にバリケードを張る。青森シェルターの自警団たちも、どうにか食い止めたらしい第二シャッターの傍らに、即席の壁を築いているはずだ。
問題は、その後だ。
柊も予備科時代、【D】の侵入を仮定した演習に参加したことが何度もある。自警団はバリケードを築いた後、ダブルギアが戦闘を終えるまで、その急ごしらえの壁を死守する決まりだった。
「翼、このままだと、自警団を巻き込むよ」
「分かってる。第二シャッターは半壊しているらしい。たぶん、生まれたての雛でも破壊できてしまう」
苦しげな翼の声に被せるように、小隊長の
『榊だ。翼、何名で【D】を追走している?』
「私と柊、二人だけです」
小さく息を飲む音が、ヘッドギアに内蔵されたイヤホン越しに響く。一拍の間を置いて、再び榊の声が届いた。
『たった今、他の隊員たちとの通信を切った。ここからは、私とおまえたち二人しかこの会話を聞くことはできない』
僅かなためらいを振り払うような咳払いが通信越しに聞こえる。
「
「必殺技の
柊の返答に、翼は思わず振り返った。
「司令に……?」
しかし柊はその問いかけには答えず、イヤホン越しに榊へ話し続ける。
「俺なら
『事実だ』
簡潔な物言いに、柊の胸の内で燻っていた不安と苛立ちが一気にこみあげる。
「なんで、そんな大事なこと、話してくれなかったんですか!」
『佐東、おまえが私に不信感を抱くのは当然だ。詳しいことは、基地へ帰還した後に説明する。だが、最終的な判断は、全て私のしたことだ』
「後で、って……」
やはり長谷部が言ったように、榊は柊に対し、何か思うところがあるのだろうか?
黙っているのと嘘を吐くのは違う――確かにそうかもしれない。だが、どんな理由があれば、これほどまでに重要なことを黙らざるを得なかった、というのか。
そんな理由など、柊には思いつかなかった。
すると、翼が二人の会話に割り込んだ。
「すまない。私が、柊にはしばらく黙っていてほしい、と小隊長に頼んだんだ」
「翼が?」
激しい戦闘を物語るように、通路には灰色の作業着を着た死体が幾つも転がっている。青森シェルターの自警団たちだろう。家族を守るため、命懸けでシャッターを閉めたに違いない。だが、ただの人間が武器を手に戦ったところで、【D】には歯が立たない。
ダブルギアが太刀や和弓のみで敵と互角以上に戦えるのは、彼女らが【D】と同じく神の御力を
床に転がる千切れた死体の山を飛び越え、二人は階段へ進む。しばらく黙っていた翼は、五段飛ばしで階段を駆け下りながら重い口を開いた。
「……怖かったんだ」
「怖いって、何が」
「誰かがあれを使うことが、怖かったんだ。万が一、柊が発狂したら、
それきり口を噤んでしまった翼の代わりに、榊が続ける。
『このことは、翼一人の問題ではない。三年前から小隊にいる隊員は、恐らく全員、
「俺が使うのを嫌がる、ってことですか?」
『そうだ。仮におまえが皆の前で
「……俺のためだ、って言いたいんですか」
『おまえのためでもあるし、小隊全体の士気に関わることだ』
階段を抜け、再び通路に出る。
既に固まり始めた大量の床の血に、足を絡めとられそうになった。まっすぐな通路のあちこちに、くすんだ色の臓器や千切れた手足が転がっている。直視できない光景に吐き気を堪え、死体を飛び越える。
「黙っていたことは、もういいです。それより、通信を入れたってことは、俺にそれを使えってことですよね」
『そうだ。おまえと翼、二人しかいないのなら、使用しても問題なかろう』
「でも、それだと翼の気持ちはどうなるんですか?」
『翼には、小隊に関する全ての資料を読ませてある。佐東、おまえが
「けどっ」
前を走る翼が、角を曲がりながら叫んだ。
「第二シャッターまで、残り三百メートル!」
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