第85話 特異体質

 処置室へ向かって歩いている間も、西村にしむらは、ずっと呻き声をあげ続けていた。


「うぅ……痛くて敵わんわ」

「頑張れ、もう少しで処置室だ」

「なんで個室からこないに遠いんや。怪我が当たり前の部隊なら、個室のすぐ横にも作っとけばええやんか」

「個室のすぐ近くにあるのは、ICUだよ。ダブルギアであっても命にかかわる重傷を負った隊員のための場所だ」

「せやったら、今は満室やろな……」


 歯を食いしばって痛みを堪える西村を支えるつばさも、左足を庇いながら歩いている。戦闘とは無関係な場所で満身創痍だ。


「西村、我慢できるなら箸を抜いてしまったほうが、治りが早いけど」


 翼の申し出に、西村は立ち止まった。

 なんて恐ろしいことを、とでも言うように、真っ青な顔をしている。


「まさか思うけど、あんたが抜くんとちゃうやろな」

「西村ができるなら、自分でやっても構わないけれど」

「アホか! うちはマゾちゃうで」

「箸が刺さったままだと、いつまで経っても自己治癒が始まらな……」


 ふと、翼が廊下の先を見つめて動きを止めた。

 誰かいたのだろうか、と西村もそちらへ意識を向ける。その瞬間、翼は機械のような正確さで西村の手の甲から黒塗りの箸を引き抜いた。


「ああああっ あ、この……何しよん!?」


 涙を目じりに浮かべて抗議する西村へ、翼は小首を傾げてみせた。


「すまなかった。でも、これで後は自己治癒が始まるから。たぶん、放っておいても数分で止血されるし、今日中に穴は塞がってくると思うよ」 

「信じられへん……とんだサドやわ」

「後は、神経を傷つけていないといいんだけれど。ちょっと見せてくれるかな」

「結構どす! あんたに見せたら、傷口広げられるわ」

「そんなことしないさ。ほら、ハンカチで止血してあげるから手を見せて……」

「いい、言うたやろ」


 やけに嫌がる西村の態度に、ふと違和感を覚える。

 翼は相手の左手を掴むと、廊下の灯りのもと、傷口を観察した。そうする間も、西村は必死にもがいている。

 傷口を眺めるうち、翼の目がゆっくりと見開かれていった。


「……西村……まさか、君は……」


 バツの悪そうな顔をすると、西村は慌てて翼の手を振り払う。

 その態度からして、西村が自分の特異体質に気づいていることは明白だった。


「そうか。君があれだけ戦闘員になることを拒んだのは、これが理由だったのか」


 美咲と言い争ったときも、十数名の隊員に囲まれたときも、黒木に箸を突き刺されたときも――気丈に言い返していた西村が、ぺたりと廊下へ座り込んでしまった。


「……終わりや。もう、何もかも」


 西村は両手で顔を覆い、声を押し殺して泣いている。

 その左手に穿たれたはずの傷口は、ぐじゅぐじゅと音を立てつつ、刻一刻と筋組織が再生していく。

 他のダブルギアの肉体再生を十倍速で見ているような光景に、翼は言葉を掛けることができずにいた。


――――――――


 翌日も、治療優先の非番となった。

 多くの隊員が、食堂か自室で朝食を摂っている時刻。小隊長室には、いつもと同じように戦闘服に軍帽姿のさかきと、赤い口紅をさし、ベストにタイトスカートとブラウスを合わせた職員の制服を着た秘書がいた。

 榊はデスクチェアで、自分がいなかった間の報告書の束へ目を通している。

 京都から戻ったのは、時計の針が零時を回った後だ。戦場から京都へ直行し、陰陽寮おんようりょうの厳しい尋問を受けたせいか、目の下にくまができている。


「……私がいないときの基地が、無法地帯となるのは毎度のことだがな。今回ばかりは、流石に笑いごとではすまんぞ」

「あら、どの案件ですか?」

「全部だ、全部」


 榊は右手で頭を抱え、首を振った。とても機嫌の悪そうな声をしている。おまけに、精神的な疲れと肉体の疲れのせいで、完全に目が据わっていた。

 報告書の束から付箋をつけておいた幾つかの書類を引っ張り出すと、榊はそれを白手袋を嵌めた長い指でトントン、と示しながら追及する。


「IDを紛失したそうだな」

「ええ、大変申し訳ございません。始末書でしたら、こちらに」

「おまえのIDを偶然・・、翼が拾い、巨大生物研究所へ不法侵入したそうだが」

「ええ、偶然ってあるものですわね。驚きましたわ」

「翼は面会謝絶の佐東さとうに会い、佐東の目の前で自分の左足を切り落とそうと自傷行為に及んだそうだ」

「榊一尉ったら、なかなか情熱的ですわね」


 秘書の言葉に、榊は彫像のように整った眉間にしわを寄せ、舌打ちした。

 戦闘員たちの前では隠している榊の裏側を見ても、秘書はすまし顔のままだ。二人がともに仕事をするようになって、もう十年以上が経つ。とっくに、互いの本性は知り尽くしているのだろう。

 それはお互い様のことで、秘書がのらりくらりと躱し続けるであろう、と榊のほうも予想がついている。半ば諦めた顔で、榊はため息を吐いた。


「頼むから、あの子を煽らないでくれ」

「……小隊長」

「あの子は私にとって、たった一人の兄弟なのだ」


 その言葉が誰を指しているかは、聞かずとも秘書には伝わっていた。

 片手で頭を支えた姿勢のまま、榊は長いまつげを伏せる。何かあまり面白くない記憶が呼び覚まされたのだろう。眉間のしわが深くなる。


「佐東が治療を受け入れたことは、大きな成果だ。だが、そのために翼を犠牲にするような判断は、二度とするな」

「お言葉ですが、小隊長」


 いつもなら軽い茶々を入れるのだが、今日に限って、榊の秘書は引き下がる気配をみせなかった。

 赤いくちびるは弧を描いているものの、眼鏡の奥の瞳は冷静に榊を見据えている。


「好きな人のピンチのときに傍にいられないほうが、翼さんのようなタイプは後悔すると思われますわよ」


 秘書の言葉に、榊は軍帽の鍔を強く引いた。低い声混じりに息を吐きつつ、首をゆるやかに振る。

 言葉にできないもどかしさを表現する榊を、秘書は楽しそうに眺めている。


「ふふっ 大事なご兄弟の初恋のお相手は、小隊長のお眼鏡に敵いましたか?」

「その質問は、却下だ」

「あら。ご機嫌を損ねてしまいましたかしら?」

「その質問も却下だ!」


 いつもの冷静さなど、どこかに投げ捨ててきたような乱暴な口調で、榊は会話を無理やり切り上げた。


「他に報告することはあるか」

「新人の西村三尉から、佐東一尉へ面会の申請がございました」


 仕事モードに切り替えた秘書が書類を一枚、机へ置く。

 榊はそれを、視線だけ動かして確認した。


「理由は」

「自分のせいで、佐東一尉が大怪我を負ったことへの謝罪がしたいそうです」

「いいだろう。この後、翼が面会に行く。それに西村も同行させろ」

「それと……その西村三尉の体質について、榊一尉と衛生班から報告が――」


 秘書の言葉に、榊は特に驚いた素振りを見せなかった。

 それを見た秘書が、今度は目をそっと見開く。榊の反応が意外だったのだろう。


「いつから、西村三尉の体質に気づいていらっしゃったのですか?」

「経歴書を読んだ時点で、ほぼ確証はあった。ならばこそ、西村が戦闘員になることを拒むのも理解できた」


 机に肘を突き、両手を顔の前で組み合わせながら榊は続ける。


「昨夜、陰陽寮の研究員をしている西村の父親と会ってきた」

「西村三尉の体質のことで、ですか?」

「それはついでだ。本題は『巨大生物研究所』への移動だ」


 一瞬、相づちを打つのも忘れ、秘書は榊を見つめていた。

 気を取り直すように、大きく息を吸い込む。


「西村三尉のため……ですわね。それ以外、あり得ませんもの」

「西村にとって一番の懸念は、父親と別れることだ。西村を帰すわけにいかないのなら、父親のほうを移動させるより他はない」


 もちろん、それも簡単なことではないが、と付け足す。

 地下へ退避して以降、人々は所属するシェルターにIDが登録されている。全ての住民は何らかの仕事を割り当てられ、その対価として配給が決まる。当然、引っ越しは国の許可がない限りできない。

 また、転属はともかく、畑の違う分野への転職など基本的に不可能だ。

 ダブルギアの基地では実質上のトップである榊といえども、国家単位の問題となれば、簡単に口を挟める立場ではない。それを、引っ越しと同時に転職の打診とは。


「意外か?」

「ええ、まあ……小隊長がこれほどまでに肩入れするなんて、榊一尉以外のことでは他にみたことがありませんので」

「私も、人間と言うことだ」


 そう呟く榊のまなざしは、とても遠い。

 どこか遠くにいる誰かを眺めるようなまなざしで、低く呟いた。


「西村の苦しみは、私には理解しようがない。だからこそ私は、過去のあやまちを繰り返したくないのだ――」


 榊はそう言って、そっとまぶたを閉じた。

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