第86話 廻り出す小さな歯車

 朝の検温を終えたしゅうは、その結果をベッド脇に立つ明彦あきひこへ告げた。37.8度、四肢の内、右腕切断と左足首欠損の他に数々の裂傷を負った状態としては、これでも安定しているほうだろう。

 もっと高熱を発していても、不思議ではない。治療自体は、上手くいっている証拠だ。あとは、臨界速ダブルギアを使用した欠損部分の再生治療がどうなるか――。

 明彦は問診表のチェック項目を埋めながら、柊へ話しかけた。


「そうそう。新人の“西村にしむらくん”だけど」

「あ……西村さんは大丈夫でしたか? 俺がやられた後、たぶん【D】のターゲットになったと思うんですけど」

「廃ビルに立てこもったおかげで、襲われずに済んだらしいよ」


 それを聞いた柊の表情が和らいだ。


「よかった。西村さんまでヒドイ怪我をしてたら、って心配だったから」

「君がここまで“ヒドイ怪我”したのって、半分くらいは西村さんのせいだ、って思わないのかい?」


 明彦は眉を片方上げてみせる。

 節くれだった指先で、くるりと器用にボールペンが回った。


「思いません。新人を守るのは、教育係の仕事だし」

「おいおい、ここは全国放送の撮影スタジオじゃないぞ? 本音を言ったって、僕しか聞いてる奴はいないのに」

「別に、優等生ぶってるわけじゃなくて」


 そっと目を閉じる。右頬には、大きなガーゼが貼られている。

 思い出すのは、柊自身の初陣――八咫烏ヤタガラス戦で、教育係だった結衣ゆいが、咄嗟に柊の身体を押して敵の突進から庇ってくれたことだ。

 結衣の小さな手が、力いっぱい脇腹を突き飛ばした感触――忘れようにも、きっと一生、忘れることはできないだろう。

 その話を聞いた明彦は、小さく何度も頷いてみせた。


「なるほど。自分がしてもらったことだから、今度は自分が後輩へ、というわけか」

「そうですね。まあ、後はやっぱり俺自身のミスなんで」

「そうだねぇ……君、バリバリの後衛なのに、なんでまた接近戦なんて仕掛けちゃったの?」

「だからその、それがミスです……あれくらいイケるだろ、みたいな……まあ……」


 ごにょごにょと口の中で呟く柊を、明彦は笑いながら見おろしている。

 こういうときの明彦のまなざしは、観察対象を見つめる研究者というより、親しい親族のような不思議と落ち着いた色を帯びていた。


「その西村くんだけどさ。この後、さかきくんと一緒に面会したいらしいよ」

「俺に?」

「嫌なら断ることもできるけど。僕は、会うのを勧めるよ」

「別に嫌じゃないですけど……」


 じゃあ許可を出しておくね、と呟きながら、明彦は左手首の腕時計を見た。よく使いこまれたブランド品だ。恐らく、地上時代に購入した私物だろう。当時でも数十万はしただろうが、今となっては値段がつけられないものだ。

 柊はブランドや装飾品に興味はないが、そんな彼でも、その腕時計が貴重な品ということは感じ取れた。


「十五分くらいしたら来ると思うから、それまで少し横になっているといいよ」

「はい。あと、できたら痛み止めをもう少しほしいんですが」

「ごめんね、薬物が臨界速ダブルギアにどんな影響を及ぼすか分からないから、出してあげられないんだ。昼食が終わったら、痛み止めの点滴をしてあげるからさ」

「そんなぁ……」


 嘆きの声をあげながら、リクライニングで傾けたベッドへ身体を預けた。

 相変わらず、縫合したばかりの右腕は動く気配がない。一方で、むずむずと痛痒い感覚があるので、神経が繋がろうとしているのが感じられる。

 だが、左足にはそれがなかった。

(このまま臨界速ダブルギアの治療をしなかったら、足は生えてこないんだろうな……)


 病室を出ていこうとしていた明彦が、ドアの前で足を止めた。

 白いドア――実はマジックミラーのような構造になっていて、外からは丸見えなのだが――の前から動かず、振り返りもしない。


佐東さとうくんの“心の器”に共生していた相手って、双子の妹さんなんだよね?」


 唐突な質問に、柊は軽く首を傾げた。

 こちらへ背を向けている明彦の表情は、窺うことができない。


「そうですよ。死産だから、戸籍には残ってないですけど」

「妹さんの声ってさ。君が覚醒した後、聞こえたことってある?」

「えっ」


 思わず声が上擦る。すると、明彦がようやく振り返った。

 いつもと変わらない軽い口調だが、そのまなざしは真剣そのものだ。まばたきもせず、じっと柊の表情や仕草を観察している。


「姿を見た、でもいい。妹さんの存在を感じることや、或いは、妹さんから何らかのメッセージを受け取ったとか――そういう経験は?」


 自分の返答が、明彦の望むものかどうか分からない。

 だが、嘘を吐く理由もない。

 明彦のまなざしを正面から受け止めつつ、柊は首を振った。


「一度もありません。声も聞こえないし、姿は……元々、見たことがないし」

「そうか。変なことを聞いて済まなかったね。今の質問は忘れてくれ――」


 軽く手を振り、明彦はドアの外へ出ていく。

 忘れてくれ、という言葉とは裏腹に、明彦の表情はとても哀しそうに見えた。それが何を意味するか分からなかったが、何か意図があってされた質問であることは、間違いない。

 つばさと西村が来るまで、柊はそれについてずっと考えていた。


――――――――


 翼に連れられて、西村も病室へ入ってくるのを、柊は笑顔で出迎えた。

 後ろから明彦もついてくるが、翼たちの後ろに控えている。その表情は先ほど覗かせた愁いを帯びたものとは違い、いつもの柔和なものだ。

 翼の後ろに隠れるようにして立つ西村は、眉間のしわを深くして俯いてる。背中の中ほどまである長い髪が、さらさらと肩をこぼれていった。


「……堪忍してや」

「え?」

「うちんせいで、こないな怪我させて。ほんま堪忍な」


 意外だった。

 あれこれ言い訳するのでは、と予想していたのだ。戦闘員になりたくない、と散々ゴネた西村を、柊は強引に戦場へ引っ張っていったのだから。

 けれども目の前にいる西村は、驚くほど素直に謝罪の言葉を紡いでいた。深々と、九十度以上に頭を下げながら。


「うち、あんたにずっと黙っとったことがあるの」

「え、何?」

「戦闘員になりたない、ほんまの理由や」

「運動が苦手とか、家族と離れたくないとか、【D】が怖い、とかじゃなくて?」


 それもあるけれど、と呟いて、西村はゆっくりと頭を上げた。

 西村の全身を見つめるうち、柊は、彼女が一つも怪我をしていないことに気づいた。切り傷のような大きなものは勿論、打撲の痕さえない。

(戦闘中は夢中で動くから、ちょっとぶつけたつもりが打撲痕になったりするんだけどな……)

 すると、西村はポケットから細いカッターを取り出した。

 柊が質問するより早く、それを左の掌へ走らせる。血飛沫が床を赤く濡らし、横一直線の赤いラインが掌に描かれる。


「痛ったぁ……」

「ちょ、ちょっと西村さ――」


 しかし、ぬらぬらと光る血はすぐに止まり、ジュグジュグという音と共に、傷口が盛り上がっていく。明らかに、柊や他の隊員とは違う自己治癒力に、柊は二の句が継げなかった。

 浅いとはいえ、普通なら止血だけでも数分、傷口が塞がるのには一日ほどかかりそうな怪我だ。

 西村は痛みを堪えるように手首を握りしめながらも、傷口は見せたままでいた。


にえ――うちと同じような体質のダブルギア覚醒者は、そう呼ばれるんや」


 よく見ると、西村の膝は細かく震えている。そんな彼女を支えるように、翼は西村の背中へ手を当て、説明を引き継いだ。


「西村と同じ特質を持つダブルギアは、極めて強力な自己治癒力を持つ。脳幹か心臓の切除、頭部が胴体から切り離される――その三択以外では死ぬことがない」

「え? え、ええええっ!?」


 そうこうしている内にも、掌の傷口は既に塞がってしまっている。

 まだ赤く腫れている感じもするが、じきに消えるだろう。


「そんなすごい能力があるなら……戦うのなんて、別に怖くないんじゃない?」

「メリットだけではないんだ。この特異体質には、大きなデメリットもある」

「そうなの?」


 すると、後ろに控えていた明彦が近寄ってきた。専門家である彼が説明すべき内容だ、と考えたのだろう。

 明彦は人差し指を立て、柊へ問いかける。


「疑問に感じたことはないかい? 君みたいな自警団出身ならともかく、普通の子どもがある日突然、怪物と戦えるようになるなんておかしな話だ、と」

「……まあ、そうですね。そういうもんだ、って習ったから、そーなんだ、で済ませてきましたけど」


 伊織いおりや柊のような自警団(もしくは自警団予備科)出身者は、全人口の3%しかいない。当然、歴代戦闘員の中にも数パーセントしかいないだろう。

 結衣のような小柄で肉付きも薄い子どもが、あんな化け物と対等に渡り合うなんて、本来なら不可能なはずだ。 


「ダブルギアが【D】と戦える理由は、二つあるのさ。一つは、神の加護を受けた【D】は、目に見えない特殊な防御壁を持ってる。人類の重火器が効かないのは、そのせいなんだよね」

「それは学校の教科書にも載ってました。同じように神様の加護を受けたダブルギアにしか防御壁は破れないんだ、って」

「そうそう。だけど、防御壁を壊しただけじゃ、ダメージは通らない」


 明彦はそう言って手にしていた紙の裏へ、走り書きをした。

 ・神の加護→防御壁を破れるだけ

 ・ダメージ→本来の筋力に依存する


「アスリートでもない子どもの腕力なんて、たかが知れている。そこで、神は選ばれた子どもの『戦闘力』も上げてくれるんだ」

「ああ、はい。思い当たる節はあります」


 そう言って、柊は無事なほうの左手を握ってみた。


「覚醒してから、急に腕力も持久力も上がりました。握力なんて50kgもなかったのに、今は70kg近くありますし」

「そないにあるんか。あんた、見た目に依らへんな」

「骨格があまり大きくないから痩せて見えるけど、俺、そこそこ筋肉あるよ。元自警団だし……」

成田なりたとかいうデカい隊員のほうが、あんたよりマッチョやん」

「伊織は別格だって」

「あー、説明はまだこれからだよ。お喋りは少し我慢してね」


 明彦は、脇道に逸れそうになった話を元へ戻す。

 神の加護が及ぶ能力値は、個体差がある。

 瞬発力が伸びる者、腕力が上がる者、弓の技術を習得する者、持久力が上がる者――色々いるが、基本的には全能力が底上げバフされる。

 その上で、持久力や腕力の上がりやすい者が前衛向き、動体視力や集中力が伸びやすい者が後衛向き、となる。

 また覚醒者全員に、覚醒しない人間と比べ、三倍~五倍程度の自己治癒力が与えられる。


「ところが。西村くんと同じ体質の子は、その割り振りが狂っちゃっててね」

「自己治癒力が一般人の十倍とか、二十倍だとか?」

「うん。その代わり、戦闘力の上昇バフが一つもないんだけど」

「…………はぁ!?」


 素っ頓狂な声をあげた柊は、明彦から西村へ視線を移す。

 西村はぎゅっとまぶたを閉じ、くちびるを強く噛み締めていた。まるで目に見えない死神から目を背けるかのように。


「戦場に紛れ込んだ『ほんまもんの一般人』……それが、うちや」


 訓練を受けたこともなく、身体能力が高いわけでもない子どもが、ある日突然戦場へ放り込まれたら――悲惨な結果は目に見えている。おまけに、ちょっとやそっとでは死ねないのだ。

 黒表紙のファイルを見たことのある者ならば、西村たち特異体質者が『にえ』と呼ばれる理由にすぐ行きつくだろう。


「戦えへんうちらは戦場へ行くたび、あの化け物に、身体をぐちゃぐちゃに破壊される。それを『巨大生物研究所こいつら』は、治療や言うて、えげつない人体実験するんや」

「僕らなりに、最善を尽くしているつもりだよ」


 笑顔で返す明彦をちらりと視界の端に捉えると、西村は身震いしてみせた。


「嘘や!」

「身の処遇を心配する西村くんの心情は、察するに余りあるよ。けどねぇ、僕らだって人間だから、人をむやみに傷つけるような真似は……」

「脳幹か心臓の切除・・――なんで『切除』なんや! 化け物にやられたなら、破壊とか切断やろ!!」

「あ……」


 思わず声を漏らしてしまった柊は、信じられない想いで再び明彦を見た。

 西村に問い詰められた明彦は、薄笑いのまま口もとを手で押さえている。初めて見た明彦の後ろ暗い側面に、どくん、と柊の心臓が強く拍動する。

 翼は明彦のほうを見ないようにしながら、激高する西村の背を擦っている。恐らく彼女は、既にその情報を知っていたのだろう。


「……一応、言い訳させてもらうと、本当に治療の上でのことなんだよ。結果的に、その隊員は助からなかったけどさ」

「よくまぁそう、次から次へ嘘が出てきはるわ」

「嘘じゃない。けど確かに、人間としての尊厳はないように見えるだろうね。本人たちは最期まで、死にたくない、と言ってたし、僕らも助けたかったけど」


 明彦は小さく肩を竦めると、大袈裟にため息をついてみせた。


「けどさぁ、御託を幾ら並べたって、西村くんの不安はなくならないよね? だから僕らも、行動で示すことにした」


 身構える西村と柊。翼も意外そうな顔で、ようやく明彦のほうへ振り返った。

 明彦は背後にあるドアへ、誰かを紹介するように片手を伸ばす。


「今日から『巨大生物研究所』へ異動になった職員を紹介しよう」


 白いドアを開けて入ってきたのは、スーツの上に白衣を重ねた中年の男だった。年の頃は五十代半ばといったところだろうか。髪だけでなく、きっちり整えられた口髭にも白いものが混じっている。

 ひょろりとした体格や穏やかなまなざしが、いかにも研究員といった雰囲気だ。

 口髭の中年男性を見た途端、西村が息を呑む。

 次の瞬間、よたよたとしたあまり褒められたものではない足運びで、西村は男のもとへ駆け寄っていった。

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