教育係と新人

第87話 ラブ&ピース

綾乃あやの、無事やったか」

「おとん!」

「昨日の戦闘には参加したんやろ? 怖かったな、痛いとこあらへんか?」

「うん……うん……うちは平気や」


 口髭の男に抱きしめられながら、西村にしむらは目を閉じている。その目じりがら、一筋の涙が流れていった。


――――――――


 西村の父と挨拶を交わした後、すぐに臨界速ダブルギアを使用した治療の準備が始まった。

 基地へ来るまでに、西村は既に二度、四肢全損以上の大怪我を負ったことがあるらしい。一方で、傷一つない滑らかな肌は、彼女が欠損再生に何度も成功していることを意味している。

 その経験をしゅうの治療に生かす代わり、西村の希望――帰郷できないならば、せめて唯一の肉親である父を呼び寄せること――が叶えられたらしい。

 柊はヘッドギアを被らされた姿で、上体を起こしたリクライニングベッドへ身を預けている。ベッドの両脇には一つずつ椅子が置かれ、左側に西村、右側につばさが座っていた。

 病室には三人きりだ。明彦あきひこや西村の父、その他の職員たちは、マジックミラー越しに室内を観察している。

 西村は患部を薄目で確認した後、てきぱきと説明をしていく。


「治療は二段階に分けるで。まず臨界速ダブルギア? を使うてあれこれするんは、班長はんに任せるわ。うちは、ヘッドギアのことは分からへんさかい」

「ああ、任せてくれ。昨日の内に、所長からレクチャーを受けている」

「順調に進んどることが確かめられたら、二段階目や。表情や様子を見ながらやけど、やることは特にあらへん。佐東の精神を安定させることにだけ、集中したらええ」

「具体的には、どうするの?」


 不安げな声をあげた柊へ、ちらりと西村が視線を向ける。


「おとんから聞いたけど、とにかく『殺したい』『壊したい』『戦いたい』『られる前にる』みたいな考えをしないことや」

「あー……つまり、発狂しないようにしろ、と」

「せやかて、放っておけばそっちへ頭がいきよるのんが、臨界速ダブルギア中やそうや。なら、戦いと無関係のしょうもないお喋りをずっとしとったらええ」

「他愛もない雑談とか、ものすごく苦手なんですが……」

「死にたないんなら、自分で何とかしぃや」

「はい」


 肩を窄めて小さくなってしまった柊の右肩へ、翼の手が置かれる。まだ戦闘の傷が治りきっていないのか、作業服の隙間から包帯が見え隠れしていた。


「西村もああ言ってるだけで、柊のことをとても気にしていたんだ。大丈夫だよ」

「そうなの?」

「班長、要らんことしなや!」


 キッと睨みつける西村の表情に、翼が笑い声をあげた。つられて笑いかけた柊の頭を、西村が殴るふりをする。ふりだけなのは、ヘッドギアへ当てる自信がないのだろう。


「欠損再生は時間との勝負や。さっさと始めるで」

「それじゃ、柊。心の準備はいいかい?」


 翼はそう言いながら、柊が被るヘッドギアのフェイス部分を上げた。顔色や表情を確認するためだ。

 二人の視線を集めた柊は、唾を飲み込もうとした。喉が渇いていて、思いのほか大きな音が身体のなかで響く。

(俺が発狂したら、二人は死ぬ――西村さんは確定じゃないけど、少なくとも翼は、確実に。けど、この治療をしなきゃ、たぶん俺の左足は戻らない。てことは、俺のダブルギアとしての人生はここで終わりだ)

 深呼吸を一つ。おもむろに、左手を左こめかみへ当てた。

 歯車ギアを模した金と赤の二つのボタン。その硬い感触を薬指と中指に感じる――同時に三連打。

 キィイイイイイイイイン、と脳髄を揺るがす駆動音。二つの歯車が噛み合い、あっという間に精神を高次元へ引き上げる。

 疲労も苦痛も何もかもが消え去り、代わりに胸へ注ぎこまれる凄まじい愉悦と高揚感に、抗うこともできない。

(眠い……このまま眠ったら、とんでもなく気持ちいいんだろうな)

 神経が焼き切れそうになったそのとき、右肩が強く掴まれた。


「柊、私の顔が見えるか」

「……え?」


 ぼやけた声を発した後、真っ暗な視界のなか、「ワタシ」という人物を探す。

(私? ワタシって、ダレ……?)

 両脇から声を掛けられている。それが何かの言語なのは分かるのだが、意味が理解できない。頭はキレッキレに冴えているはずなのに、思考は泥のように形を成すことができなかった。

(聞いたことのある声だ。誰だろ……あれ? おかしいな。何にも見えない。灯りが消えてるのかな)

 二つの声が、いっそう激しく重なり合う。

 その声は誰のものなのか、誰へ話しかけているのか、自分はどうしてここにいるのか――混濁する意識のなかでは、何もかも不明瞭になっていく。


「柊! 柊、しっかりしろ」

「班長はん、臨界速ダブルギア、切ったほうがええんとちゃう?」

「駄目だ。危険な領域まで、一瞬で進んでしまった。このまま切っても元には戻らない。一瞬でも正気に戻してからでないと」

「せやったら、戦いとは無関係なことを考えさせればええねんな?」


 そうだ、と翼が答えるや否や、西村は柊の頬を両手で掴んだ。

 ぐいっと引っ張る。

 まさか、平手打ちでもするのだろうか――翼が制するより早く、西村はぎゅっと噛み締めたくちびるを、柊のくちびるへ押し付けていた。


「…………え?」

「んっ」

「んぐ?」


 まばたきを繰り返す翼と、ぎゅっと目を瞑っている西村。

 その二人の姿が見えてきたのだろう。焦点の定まらなかった柊の瞳に、光が戻ってくる。やがて、その意味を理解した途端、光は驚愕の色に変わった。


「ん――――――!?」


 口を塞がれたまま、カエルがひっくり返ったような声をあげる。

 それに気づくと、ようやく西村はくちびるを離した。

 興奮か、それとも羞恥か。赤く染まった目元を、姫カットにしたサイドの髪がゆらゆらと隠そうとするが、あまり効果はない。

 口もとを拭うような仕草をするが、拭う途中で動きが止まってしまう。口もとを手の甲で抑えつけたまま、西村は視線を白い壁へ彷徨わせた。


「ほら、『ラブ&ピース』なんて言うやん。戦いだ、殺すだ、なんて殺伐したもんから一番遠いこと、って言うたら、これしか思いつかへんかったんや」

「いや、あの、だからってそんな急にこんなこと……」


 完全に気が動転している柊を見た西村が、目を細めて口を尖らせた。


「なんやあんた、もっと喜んだらええのに」

「は、はい?」

「自分で言うのもなんやけど、京都におった頃は、美人て有名やったんやで」


 まだ基地へ来る前、予備科を卒業して自警団に入っていた頃。たまの非番の日に、盛り場へふらふらと足を向けたことがある。どんなに悲惨な戦場でも、酒場と遊び場だけはなくならない。そう話していたのは、誰だったか。

 そういった場で男たちへ流し目を向けてくる、“内職で客を取っている女”は、掃いて捨てるほどいた。

 遊ぶだけの度胸もなかったから、それでおしまいだったが、そういう裏家業をするどんな女性も、目の前にいる二人ほど美しくはない。

 絵画から抜け出てきたか彫像か、という整った容姿に、強い意志の光を灯した瞳を持つ翼のような者も。

 まるで精巧な人形のように完璧な造形とは裏腹に、不安げに揺れる瞳を持つ西村のような者も――。


「まあ……西村さんは美人だと思うけど……そういう問題じゃ」

「いけず言うてへんで、素直になりや。どうせあんたかて、今のがハジメテやん?」

「え?」


 不意の一言に、西村がパチクリとまばたきをする。

 まずい、と思った瞬間、反射的に柊は翼のほうを見ていた。

 柊の視線に気づいた翼は、頬を赤らめながら必死に首を振った。


「何故、こちらを向くんだ、君は!」

「ご、ごめん、つい」

「……ちょい待ち。あんたらまさか――」


 その瞬間、翼はひょいっと柊の身体を跨ぐようにしてベッドを飛び越えると、何かを叫ぼうとしていた西村の口を両手で抑え込んだ。


「むっ んんんんっ んーんん、んんぐうぐ!」

「西村、思い出してほしい。白い壁に見えているアレはマジックミラーだ。その先に誰がいるか――」

「ん? …………!!」


 壁の奥には、研究所の職員が何十人といる。そこには、翼の父である明彦と西村の父も含まれていた。

 分かった、停戦しよう、というように西村は頭をぶんぶん振る。

 翼はバツの悪そうな顔で壁のほうを睨みつけると、わざとらしく咳払いした。


「ともかく。柊の精神状態は回復したみたいだ。西村、次の指示を出してほしい」

「せやな。その話は追々、聞かせてもらうわ」


 欠損再生は時間との勝負、という言葉をわざとらしく口にすると、西村は熱くなった自分の頬を、ぺちぺちと叩いてみせた。

 西村から離れた翼も、ベッドの周りを歩いて元の椅子へ戻っていく。心なしか、その背中はいつもより小さく感じられる。だが、それには柊も西村も気づかず、治療を再開しようとしていた。


「ほんなら、臨界速ダブルギアはそのままにして、ここからは時間を稼ぐだけやで。歩いたり、走ったりするイメージをぼんやり持ちながら、平和なガールズトークでもしとったらええ」

「が、ガールズトーク……」

「しゃあないやろ。ここには男が一人と、女が二人しかおらへんのや。観念してガールズトークに参加しなはれ」


 あはは、と朗らかに笑う西村を、翼が冷静にたしなめる。


「西村、ここには男児三名しかいないぞ」

「なんやて?」

「私達ダブルギア戦闘員は、全員が未成年の男児だ。私も、君も、柊も――三人とも成人前の少年だろう」

「……班長はん。あんたほんま、頭固いんやな」

「西村こそ、せめて基地の外だけでも、不用意な発言は慎んでくれ」

「せやったら、ボーイズトークするんか? てか、ボーイズトークってなんや?」


 なあ、と話を振られた柊は、曖昧な笑みを作って視線を逸らす。


「……喧嘩自慢か、叶いそうもないほどビッグな夢か、政治ネタか女のことかなぁ。ちなみに、七割が下ネタです」

「するか!!」

「残念だが、却下だ」

「ですよね」


 何かいい話題はないか、と首を捻る西村。

 下ネタ、という単語を聞いただけで耳まで真っ赤になっている翼。

 そんな二人の様子を眺めながら、柊はいつしか笑っていた。

 くだらない会話、他愛もない雑談――基地へ来る前の彼は、そういったものがとても苦手だった。

 喧嘩が嫌いだった。勝ったところで、自慢するようなものには感じなかったし、自慢すれば、もっと大人数で裏口へ呼び出されるのが関の山。

 叶いそうもない荒唐無稽なレベルの夢は、持っている。けれども、それを口にすれば叶わなくなる気がして、誰にも話したくなかった。

 政治ネタは、監視されながらする話題じゃない。

 下ネタは――女子二人を相手にすべきものではないことくらい、流石に分かる。

 男の鉄板ネタではないグダグダな会話をしながら、自分たちは笑っている。それがどれだけ不思議で、難しくて、得難いものだったか。

 あんなに欲しくても手に入らなかったものが、こんな危機的状況で手に入るなんて。そのことが、何だかおかしく感じられた。

 へらへらと笑う柊に気づいた西村が、呆れた口調で笑う。


「なんや、佐東。ご機嫌やな」

「そうかな。うん、そうかもしれないね」

「柊がいいなら、このまま適当に会話を続けようか」

「せやな。ま、話題なんて幾らでも涌いてくるやろ」


 翼と西村は互いに微笑みあうと、いつの間にか床へ倒れていた椅子を手にした。

 椅子を柊の頭のほうへ持ってくると、再び両脇へ腰かける。

 リクライニングベッドの頭の辺りに肘を置き、頬杖をつく西村。

 しゃんと背筋を伸ばし、朗らかに微笑む翼。そんな二人にいじられながら、他愛もない雑談は続く。


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