第88話 セオリー通りの後継者

 それから一週間、臨界速ダブルギアを使用した治療が行われていた。

 つばさ西村にしむらは基地で朝食を済ませると、巨大生物研究所へやってくる。病室で待つ柊のバイタルチェックを職員たちが行い、ゴーサインが出ると治療に入る。

 一時間ほどくだらない雑談をし、柊の脳波の乱れが激しくなる前に治療は終わる。その後、二人は再び基地へ戻った。

 食堂での騒ぎの一件以来、西村は翼以外の隊員から遠巻きにされていた。

 彼女なりにできることをしたとはいえ、エース候補である柊の怪我の責任は西村にある、とみる隊員は多い。それに、「死神」とあだ名される黒木くろきに目をつけられた、というのもあるだろう。

 他の隊員が訓練場にいる間、翼と西村は自主練習室にいた。翼が榊へ掛け合って、二人はここ数日、柊の治療協力を名目に全体練習へ参加していない。


「うぇ……も、吐くもん、あらへん」


 ヘッドギア越しというのも忘れ、西村は口もとを両手で押さえながらうずくまる。

 二人とも作業着を着て、ヘッドギアを装着している。西村の左こめかみにある二つの歯車ギアの内、金色の速度補助ファースト・ギアが入っていた。

 副作用の吐き気や眩暈と戦っている西村の背を、翼は優しく擦る。


「大丈夫。昨日より、ちゃんと喋れているよ」

「は、はぁ、もう嫌や……外したい」

「もう五分だけ我慢しよう。西村なら、きっとできるから」


 ボロボロと涙を零しながら、西村は必死に床を睨んでいる。少しでも気を緩めると、ぶっ倒れてしまいそうだ。


「こんなん我慢して、ほんまに戦えるようになるんか?」

「個人差が大きいけど、平均的な隊員で二週間で動けるようになるよ」

「二週間ももたへんわ」

「欠損再生に成功した西村は、脳のコントロールが上手いんだろう、と所長が話していた。君ならそろそろ制御できる頃だよ」

「ふ、ふーん……班長はんは、どれくらいかかったんや」


 少しでも吐き気を誤魔化そうと、目を閉じたまま西村が問いかける。

 翼は軽く肩を竦め、小さく笑い声をあげた。


「たっぷり4週間かかったよ」

「は? 平均が2週間なんやろ?」


 思わず目を開け、自分の背を擦る翼を見上げる。途端に強い吐き気が襲ってきて、西村は再びヘッドギア越しに口もとへ手を当てた。

 フェイス部分が下りているため、翼の表情は分からない。


「私は、脳のコントロールがとても苦手なんだ。何かあるとすぐ不安に駆られてしまうし、気になることがあれば、そればかり目が行ってしまう」

「そうなん? 年のわりには肝が据わっとるよう、うちには見えるで」


 西村はそう言って、翼へ首を傾げてみせた。

 気遣ってくれている、と知って、翼は小さく何度か頷いた。


「ありがとう。けれどもそれは、そう見えるように振舞っているだけなんだ」

「そうか。あんたは、未来の指揮官やもんな」

「……そう、求められているだけだよ」


 口にした後、その言葉を押し戻そうとするように口もとに手を当てる。けれども、発した言葉が喉へ返ることはない。小さく首を振ると、翼は西村の背をゆっくりと撫で擦った。


「少し話が過ぎたね。気分はどう? 吐き気は収まってきたかな」

「ああ……言われてみれば、少し」

「それじゃあ、あと三十秒我慢してから休憩に入ろう」


 速度補助ファースト・ギアを切った後、西村はヘッドギアを脱いだ。

 開放感から、思わず満面の笑みが零れる。顔色はあまりよくないが、それでも初日よりはだいぶましだ。壁の時計を確認した翼は、十分間の休憩を告げた。

 自主練習室の隅に置かれた小さなベンチに座ると、西村は背伸びをする。そんな彼女へ、翼はタオルを差し出す。西村は遠慮なくそれを受け取ると、汗でびしょびしょの頭を拭いた。


「西村。休憩中で悪いんだけれど、少し質問してもいいかな」

「かまへんで。あんたは皆と練習したいだろうに、こうしてうちの自主練につき合うてくれてるんやもの」

「ありがとう」


 一拍おいて、翼は西村の隣へ腰を下ろしながら訊ねた。


「四肢全損以上のダメージを負ったときのことを、聞かせてくれないか」

「嘘やないで。一回目のはうちのおとんも知っとるし……」

「西村の話は信じているよ。その上で、四肢の欠損と再生について、詳しく教えてほしいんだ」


 翼は軽く足を開き、前かがみの姿勢を取っている。正面の壁には、ボルタリング用のカラフルな突起が並ぶ。それを眺めながら、淡々と説明した。


「私は、月読命ツクヨミノミコトのダブルギアじゃない。仮に手足を失えば、臨界速ダブルギアの治療なしに、自力で再生に成功しなければならないんだ」

「ああ、せやな。備えあれば憂いなし、か」


 ええで、と軽く請け負うと、西村は背後の壁へ身体を預けて話し始めた。


「一度目は、もう五年も前のことや。もう一度は、先月の……京都を【D】が襲撃しよったやろ。あのときに大怪我を負ってな。うちが四肢全損以上のダメージを負ったんは、その二回や」


 西村はそう言って、当時の経験を語った。

 全国で大々的に報道された、京都シェルターの化学プラント大火災。彼女は当時、十三歳。予備科中学一年生で、出火元の隣の建物で実習作業をしていた。

 避難勧告が遅れたせいで、逃げることもできないまま予備科の同級生や上級生三百名と共に蒸し焼きになった。動く者のいない建物を、真っ赤な炎が舐めるように燃やし尽くしていく――そんななか、西村は熱く焼けた床を這いずるようにして、建物内を逃げ続けた。

 体毛は焦げ、網膜が熱で白く濁り、ドアノブを掴んだ手が熱で溶け――気道が熱気に焼かれ、呼吸さえままならない。何度も心停止しながら、それでも西村は、数十秒後には蘇生し、再び高温の床を這いまわった。

 見えない視界で逃げ回るうち、比較的被害の少ない建物へ辿り着いた。

 酸素が芳醇な冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ瞬間、安堵で意識を失う。その時点で、既に四肢は完全に炭化して白い骨が露出していた。通路脇に倒れ込んだ彼女が発見されたのは、それから約六時間後のこと。そのときの彼女は、既に四肢の再生を終えていた。


 壮絶な体験を、西村は淡々と語った。

 自分の横顔を見つめる翼のほうへ身体を向け、視線を合わせる。


「最初から最後まで、うちが考えとったことは一つだけや」

「……死にたくない? 苦しい? それとも、手足の再生だけを考えていたのか?」


 静かに首を振り、西村は恥ずかしそうに笑った。


「おとんに会いたい」

「えっ?」

「嘘みたいやろ。これが小説なら、あんたが言うた通り、“死にたない”とか“怪我を治さな”とか……“神様、助けて”とか。そんなこと考えたら助かりました、ってなるやんか」


 食い入るように見つめる翼へ、西村は肩を竦めてみせた。


「先月の戦いもそうや。あのときうちは、戦場なった平安神宮脇の工業地帯におったんよ」

「あの辺りは、自警団が火を放って壊滅状態だったはずだ」

「せや。居住シェルターを守るため言うて、自警団が火ぃつけてな。製造部の職員、五百人がまる焼けや」

「……っ」

「うちの手足は、全部炭んなった。真っ赤な炎が、蛇の舌みたいにうちの身体を舐めてな。脂の焼ける匂いと煙で、息もできへんかった」


 聞くに堪えない地獄の光景を想像したのだろう。

 翼は両手で顔を覆い、嗚咽を洩らした。


「……すまない。謝っても、謝りきれない。現場指揮官だった私が不甲斐ないばかりに、戦闘が長引いてしまった」

「ん? そういや班長はん、京都の戦いまでは指揮官やった、て聞いたで。何かやらかして降格されたんか?」


 どうだろな、と呟いて翼は力なく嘆息した。


「情けない話だけれど、私は、指揮官適性があまり高くないんだ。京都戦のことがなくても、いずれ降ろされていたはずだ」

「せやけど、あの生駒いうのんも、次の指揮官候補は藤波ふじなみとあんたや言うたやん。ちゃんと評価されとるやん」

「……候補ではあるけど、たぶん次の指揮官は藤波だ。彼女は真面目な人だし、セオリー通りの戦術が好みだから」


 定石セオリーという言葉に、西村が鼻で笑った。

 それは、意外な反応だったのだろう。西村を見る翼の目が丸くなる。


「ほな、落ち込むことはあらへんやん」

「え?」

「セオリー大好きな生駒なら、セオリー大好きな後継者を選ぶのは当然や。あんたが藤波に劣るんとちゃうで。自分と近いもんを選ぶんは、人の世の“慣例セオリー”や」


 そう言って、西村は大きく背伸びをして天井を見上げた。

 吹き抜けになっている自主練習室の天井は、二階分の高さがあった。それくらいの広さがなければ、ヘッドギアを使った基礎訓練はできない。


「なあ、班長はん。ヘッドギアの訓練につき合うてもらったからって、うちはそれだけで、手足をなくしたときのトラウマを話したんとちゃうんよ」

「そうなのか?」

「あんただけや。うちの通信を、もしかしたら本当に佐東さとうが危ないのかもしれへん、て信じてくれたんは」


 新人が、仲間の負傷で錯乱することはよくあった。

 西村のSOSは、結果的には真実だったものの、確率論で言うなら美咲の判断は間違いではなかった。

 救援部隊が派遣されたとき、翼は指揮官代理となった藤波に許可を得て、全力疾走で戦場へ駆けつけた。あのとき戦場にいた十三名で、息が切れるほどの速度で走ったのは、翼だけだった――。


「佐東かてそうや。何もできへんうちを、あいつは最後まで一度も責めへんかった。そんなあんたたちやから、うちも協力する気になるんやで? 誰にでも優しぃする女とちゃうんや、うちは」

「……西村」

「あんたみたいなのが指揮官でもええやん。うちは、そう思うで」


 先ほどのことを思い出したのか、西村の頬が赤くなる。


「まあ、うちのハジメテのキスをあげてもうたのは、計算外やったけど」

「…………」

「ところで班長。ハジメテやろ、て佐東に聞いたとき、あいつ、あんたのこと見たけど。そういう仲なん?」


 ちらりと西村が視線を流す。

 その先にいる翼は、眉根を寄せて黙っていた。からかわれた翼が、焦ったり困ったりする顔を見ようとしたのだが。予想外に険しい表情に、西村の言葉も止まる。

 壁掛けの時計が刻む秒針の音だけが、狭い自習室に鳴り響いていた。

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