第84話 二つの正論、一つの暴挙
食堂の入口から近づいてくる
美咲を見上げたまま、西村は先を続けた。
「あんた、自分のミスをうちになすりつけて、責任逃れしてんやろ」
その言葉に、それまで殊勝にしていた隊員たちがざわめいた。
謝りなさいよ、なんてこと言うの、先輩を馬鹿にしてる――重なる糾弾の声。しかし、西村は屈する様子がない。
「うちは、通信で言うたで――
食堂にいる隊員たちは、一斉に美咲のほうを見た。
しかし、注目を集めた美咲は表情一つ変えない。
「ミスをなすりつけているのは、あなたでしょ、西村さん」
「お口が達者どすなぁ。けど、あんたがうちの報告を無視したせいで佐東の救出が遅れたんは、どう言い訳しはるん?」
「新人が仲間の負傷で錯乱することは、いつものことよ。それに今回は、普段の戦闘より更に十名近く少なかった。佐東さんの生存が確認できた以上、一匹ずつ仕留めていくのは、戦いの定石よ」
「セオリーに従ったまで、ミスやない。そう言いたいんどすか」
「そうよ。嘘だと思うなら、
美咲はそう言って、西村を囲む中にいる藤波を見た。更に、食堂を見渡す途中で、翼に気づいたらしい。少しの間、目を合わせ、美咲は再び前を向く。
先に口を開いたのは、藤波だった。
「佐東さんの救出が遅れたのは、とても残念なことですわ。ですが、わたくしが同じ立場だったとしても、恐らく西村さんの通信は、新人の錯乱として対処したと思われますの」
「ほな、あんたも佐東を見殺しにするタイプやな」
西村の返答に、周囲から抗議の声が上がる。
場の空気は、完全に西村が劣勢だった。
美咲さんに謝れ、何も分からない新人の癖に、サボリ魔が偉そうに――波のように重なり合う糾弾の声に、知らず知らずのうちに翼の手が握りしめられる。
(美咲さんは、間違っていない。戦術のテキストには、複数の【D】を合流させないことも、一頭ずつ仕留めることも、基礎中の基礎として載っている)
美咲の主張が「正論」と分かっていても、翼の心臓は重く鳴り響いていた。
それは、西村の抗議もまた「正論」だからだ。
(僅か四日では戦えないのは、誰が新人でも同じだ。襲撃されてること、柊が負傷したこと、戦況が極めて悪いこと――西村は、言うべき項目は全て伝えている)
正論と正論が真正面からぶつかり合うことは、よくあることだ。
問題なのは、それが数の暴力で圧倒されつつあることだ。
事態を決定づけるように、美咲が翼へ話を振る。
「翼ちゃん、あなたからも西村さんに教えてあげてちょうだい」
「私、ですか」
「ええ。私が退役した後、あなたと藤波さんのどちらかが、次の現場指揮官になる予定よ。あなたの見解も是非、西村さんに聞かせてあげてちょうだい」
食堂にいる全ての隊員の視線が、入口付近に立つ翼へ向けられる。
強い視線を肌に感じながら、ほんの一瞬、翼は目を閉じた。
「私は――」
様々な思惑が交錯するなか、西村だけは、どこか諦めに似た弱々しいまなざしで翼を見つめている。
――どうせあんたも、うちが悪い言うんやろ。
そんな西村の心の声が聴こえたような気がした。
翼は、そっと長いまつげに縁どられた瞼を上げると、美咲を見つめた。
「私は、美咲さん――あなたに全く非がないとは思わない」
「……翼ちゃん?」
「翼!?」
思わず甲高い声で叫んだのは、
信じられない、と多くの隊員たちが顔を見合わせる。ざわつく隊員たちの様子を、食堂の奥に座る
「確かに、新人が仲間の負傷で錯乱するのはいつものことです。戦力を割くわけにいかないのも、敵を合流させないことも、一頭ずつ仕留めることも全て定石です」
「ええ。だから西村さんには悪いけれど、あの通信を鵜呑みにするなんて不可能よ。信じればよかった、というのは結果論に過ぎないわ」
「そうですわ、
訝し気に眉をしかめる美咲や藤波へ、翼は首を振る。
「私なら、その場ですぐに
食堂全体に、息を呑む音が響いた。
翼はきつい声にならないように気をつけつつも、はっきりと訴えかける。
「柊に聞けば、西村の錯乱か、実際に窮地に陥っているかが分かったはずです。柊が応答しないなら、それだけで厳しい状況だと察することができるでしょう」
美咲も藤波も、それどころか他の隊員たちでさえ、翼の指摘を否定することはできなかった。
「美咲さんの判断は、定石に則ったものです。しかし、“
現場指揮官の美咲と、彼女にその座を降ろされた翼の意見が真っ向勝負でぶつかってしまったことに、隊員たちは動揺を隠せずにいた。
美咲の判断が正しい、と味方する者。
翼の指摘はもっともだ、と反論する者。
どんなことであれ、指揮官の決定は絶対だ、と言う者。
訓練をボイコットしていた西村の信頼がないのが悪い、と断罪する者――。
隊員たちのざわめきのなか、翼と美咲は口を引き結んだまま、目を逸らすことなく見つめ合っていた。
やがて、美咲の桜色のくちびるがそっと開かれ、何か喋ろうとしたそのとき、食堂の奥から高笑いが割り込むように響いた。
「あっはははははははは」
声の主は、奥の席で食事をしていた黒木だった。
彼女が座るテーブルには、他に誰もいない。群れることを嫌う黒木は、普段から独りで行動することが多かった。
ウェーブがかかった前髪が、右側だけはらりと垂れている。それを指で払いのけると、黒木はゆっくり立ち上がった。大股で集団へ近づく歩みに合わせ、豊かな胸元がゆさゆさと揺れている。
腕組みしたまま西村の隣へ立つと、厚めのくちびるを突き出すようにして笑った。
「弱くて、惨めで、哀れで……可哀想な新人ねぇ~」
「なんやあんた」
「うふん。バカなおまえでも理解できるように説明したげる。あのねぇ、みんなホントは榊が指摘したことが正しい、って分かってんのよ」
「は?」
「じゃあ、なんでおまえが吊るし上げられてるのかしら~? 理由はカンタン」
黒木の瞳は、おもちゃを前にした子どものように爛々と輝いている。
「
「……っ」
「笑っちゃうわよねぇ~ 無能なバカ共の考えって、浅ましくって、みみっちくて、聞いてるだけで憂鬱になるわ。自分より強い者は否定し、弱い者は踏み
黒木の左頬は、平手打ちされたような跡が残っている。
恐らく、一頭目の【D】を倒した後、美咲に諫められているときにやられたものだろう。そうして見ると、美咲の顔にも幾つも打撲痕がある。
胡散臭そうな顔で黒木を見上げた後、西村は軽く嘆息した。
「はぁ……だからなんなんや。うちが好かれてへんことくらい、初めから知ってる。そないなこと言われたって、ショックでもなんでもあらへんで」
「おまえの気持ちなんてどうでもいいのよ。単に、この場を収めるには、これが一番ってだけ――」
そう言いながら、黒木は右手を振り上げた。
手には、うどんを食べていた箸が一本だけ握られている。
テーブルに載せられていた西村の手の甲へ、黒塗りの箸が突き立てられた。
「――――んんっ!」
西村の左手の甲へ突き立てられた、黒い箸。貫通したそれを、西村は真っ青な顔で見つめることしかできない。
彼女の呻き声が洩れると、ようやく事態を理解した隊員たちが黒木に詰め寄る。
美咲と藤波は、黒木を壁際へ追いやり、西村から遠ざける。
翼は数名の隊員と共に、左手を抑えながら震える西村へ駆け寄った。
「く、黒木さん!?」
「黒木……おまえ、いい加減にしろよ!」
「きゃあああああっ」
「だ、誰か、誰か教官を呼んでください!」
西村の背へ手を当て、翼は囁きかけた。
「西村、気をしっかり持つんだ。私達ダブルギアは高い治癒力があるから、この程度の怪我は数日で完治する」
「あ、あ……っ」
「すぐ処置室へ行こう。君たちは、教官が来たら事情を説明しておいてくれ。できれば――西村にも公平になるように」
「は、はい……」
周囲の隊員へ言づけると、翼は西村の背を擦りながら、食堂の出口へ歩き出した。
そんな二人へ、壁際へ追い詰められた黒木が声を掛けた。
長く濃いまつげに縁どられた目元を細め、ニィ、と笑ってみせる。
「覚えとくことね。おまえが怪我をして、やっと事態は収拾した――弱い癖に嫌われた奴の末路は、こうやって犠牲になるしかないの。せいぜい、ストレス解消に役立ちなさいな」
「黒木さん。いい加減、黙ってちょうだい」
「うふん。
「――黒木さん!」
美咲と黒木が激しく罵り合うのを聞きながら、翼と西村は再び歩き出した。
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