第83話 罪の所在

 巨大生物研究所で借りた松葉杖を使いながら、つばさは廊下を歩いていた。

 彼女が自分で刺した左足の傷は、骨にまで達していた。完治までには一週間以上、かかるだろう。一歩進む度、鈍い痛みが眉間のしわを深くする。

 それでも、翼の胸は軽かった。

 しゅうと面会できたこと、彼が治療を了承してくれたこと、そしてその手伝いを自分ができること――それを思えば、足の痛みなどどうでもよかった。

 ふと、背後から抱きすくめられた柊の体温を思い出し、翼の頬が赤くなる。

(……あれは、そういう意味の抱擁じゃない。わ、私は何を勘違いしているんだ)

 廊下の先に誰もいないことを確認すると、翼は軽く頭を振って、雑念を吹き飛ばそうとした。

 けれども、忘れようとすればするほど、先ほどは自傷行為で興奮しすぎて分からなかったことがあれこれ思い起こされる。

 片腕で羽交い絞めにしようとした柊の腕の力が、とても強かったこと。

 密着した身体の熱が熱かったこと。

 翼を叱る柊の声と吐息が、耳をくすぐったこと――。

 頭がパンクしそうになって、思わずその場に座り込んでしまう。片手で松葉杖にしがみつきつつ、もう片方で目元を覆う。熱いため息が零れた。


「はぁ……私の頭はおかしくなってしまったのか」


 明彦あきひこが言ったように無理やり違うことを考えようとしても、思考はすぐ、先ほどの記憶をなぞる行為へ戻ってしまう。ならば嫌でも頭をからっぽにしてしまえ、とばかりに、翼は松葉杖を抱えて廊下を走り出した。

 足の痛みと浅く弾む呼吸。

 苦しくても、堂々巡りの妄想に頭を侵されるよりはマシだ。

 やがて隣接する基地の生活フロアへ戻る頃には、いつもと変わらない表情を取り戻すことができた。

 ふと、お腹が空いていることに気づく。

 肉体の回復のためにも、食事はきちんととらなければならない。腕時計を確認すると、翼は食堂へ向かうことにした。


 ガラス張りの自動ドアの前で、翼の足が止まる。

 食堂には、十名以上の隊員がいた。

 出動日なので、今日は治療優先の非番になっている。そのため、通常の訓練がある日と違い、好きなときに食堂を利用できた。

 今日は食事の時間が決まっているわけでもないのに、人が集まっているなんて珍しい、と思いながらドアを開ける。そのとき、食堂の奥から甲高い声が響いた。


「せやったら、はっきり言えばええどっしゃろ。その可愛らしいお口は、ピンクの口紅を塗るためだけにあるわけちゃうやろ?」


 喧嘩か、と視線を向ける。

 多くの隊員は、普段は程よい距離感で付き合っている。だが、やはり出動前後は気が立っているのか、あちこちで小競り合いが起きる。

 この声は誰だ、と思いながら目を細める。

 壁際の席に座っているのは、西村だ。彼女の席に置かれたトレイには、少しだけ手を付けたうどんの丼が湯気を立てている。

 そんな西村の周りを、十数名の隊員が取り囲んでいた。

 出動した隊員だけでなく、部屋着姿の戦闘に参加しなかった隊員までいる。

 怪訝に思って、食堂全体を見渡す。

 争いに参加せずに食事をしている隊員もいるが、彼女たちの表情も一様に険しく、西村を睨んでいた。

 西村を取り囲む集団の中心にいるのは、現場指揮官である美咲みさきと、今日の戦闘に参加できなかった結衣ゆいだ。その他の隊員も、中堅から古参の隊員が多い。

 これだけの相手に取り囲まれても、西村は強気の姿勢を崩さない。

 そんな彼女に業を煮やしたのか、結衣が無事なほうの手をテーブルへ叩きつけた。


「じゃー、言わせてもらうけどさ! キミのせいで、柊は右腕切断と左足喪失ロストの大怪我をしたんだよ。なのに、そーやってヘーキな顔してうどん啜ってられるって、どーゆー神経してるワケ?」


 どうやら、彼女たちは柊が西村のせいで大怪我をしたことを責めているらしい。

 一対多数の構図は良くないが、状況を考えれば仕方のないことなのかもしれない。なにしろ、柊の足が再生しなければ、彼は除隊処分になるのだ。

 柊が月読命ツクヨミノミコトのダブルギアと知る者は、翼を除けば伊織いおりと西村だけだ。だが彼の優位性を知らなくても、前回・前々回の戦いを通じ、柊が近い将来、エースとなり得る人材であることは誰もが認めるところだ。

 エース候補が潰れれば、自分の生存確率も大幅に下がる。特別、柊と仲が良くなくとも気分の悪い話だろう。

 西村は椅子に腰かけたまま、自分を見下ろす隊員たちの顔を、一つ一つ確認するように見つめていく。


「佐東が私を庇うて大怪我したことは、悪い思てる。そやさかい、小隊長はんの秘書に、面会の希望は出した。許可が下りたら、すぐ謝りに行きますえ」


 当たり前じゃん、と結衣が返そうとするのを遮り、西村は続ける。


「うちは、佐東が罵るなら何も言い返さへん。せやけど、あんたたちが言いがかり・・・・・をつけるのを黙ってるほど、おめでたいおつむはしてへんのやで」

「言いがかりじゃないじゃん! キミがちゃんと訓練や授業に出てたら、こんなヒドい結果にならなかった、って――」

「新人イジメも大概にしたら?」

「違うよ! やる気のある子には、こんな風に話したりしないもん」


 西村は鼻で笑うと、結衣を見上げるようにして睨みつけた。


「うちが何も知らん思て、詭弁使うてるんか? それとも、何年もここにいてアレ・・が分からへんほど、おつむの弱い子なん?」

「キミが訓練をサボってたことは、みんな知ってることじゃん」

「せやったら、うちが着任したのが四日前ってことも、全員知ってるやないか」


 訝し気に眉をしかめる結衣の後ろで、美咲が軽くくちびるを噛む。

 西村の言わんとするところが分かったのか、数名の隊員が、バツの悪そうな顔で視線を逸らした。


「ヘッドギアの副作用に慣れるのは、早くても一週間。遅いと一ヶ月かかる、て佐東から聞いたで。まともに訓練に出てたって、着任四日目のうちが佐東の代わりに戦える可能性は、ゼロやないの」

「あっ……それは、そうかも、しれない……けど」


 ようやく意味を理解したのだろう。結衣は、真っ青な顔で俯いてしまった。

 だが、西村の反論は終わらない。渋い顔で自分を見おろす美咲を正面から睨みつけると、より一層、強い口調で続けた。


「あんた……現場指揮官の、なんて言いましたっけ?」

生駒いこま美咲よ」

「そうどすか。うちが許されへんのは、生駒――あんたや」


 新人である西村が、現場指揮官の美咲を名指しで批判するなんて。

 誰も予想しなかった展開に、食堂の空気が凍りついた。

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