第82話 等価交換

 上っ面だけの言葉では、真実は否定できない。嘘を吐いたところで、今のしゅうには見透かされるだけだ。

 反論できるとすれば、彼の提示した“真実”と釣り合うだけの“真実”を曝け出すしかない――。


 つばさはおもむろに左足をふりあげたかと思うと、柊が横たわるベッドの縁を勢いよく踏みつけた。ベッドが揺れて、ガシャン、と周囲の医療機器が音を立てる。

 予想もしなかった翼の暴挙に、思わず柊の目が丸くなる。

 ガラス張りの病室の外では翼を止めようとする職員もいたが、ドアの前に立つ明彦あきひこが、それを無言で制した。

 真っ白なシーツを踏みつけるのは、柊が失ったのと同じ左足。

 細く見えるが筋肉質な柊のものとはまったく違う、すらりと長く華奢な脚だ。

 どれだけ翼が凛々しく振舞おうと、こうして肉体のパーツだけ見れば、やはり男の柊よりも儚い造形をしていた。

 ベッドを踏みつける左足の膝へ手を乗せると、翼はようやく口を開いた。


「……では、君に問おう」

「な、なにを」

八岐大蛇ヤマタノオロチ戦で、平安神宮へ辿り着いた君は、私に言ったはずだ」


――翼が立ち上がれないなら、俺が【D】を全部倒してくる。あと東側の二つの首だけなら、時間をかければどうにかなる。

――だけど、まだ翼が戦えるなら、俺と一緒に戦おう。

 一言一句違わず復唱してみせる翼から、柊は視線を逸らした。それは、彼がそのセリフを忘れていない証拠だ。


「時間をかければ自分一人で倒せる、と言った後、わざわざ君は“共に戦う選択肢”を提示してみせた――それは、指揮官という立場に執着する私の心に配慮したから……違うのか?」

「それは……」


 続く言葉は出てこない。柊は、俯きながら口ごもってしまった。

 翼はそんな彼を見下ろしていたが、ふと目を細めた。


「平安神宮へ君が助けに来てくれたとき。私は、こんな自分にも生まれてきた価値があったのだ、と初めて知ったんだ」

「え?」

「君が『共に戦おう』と言ってくれるだけの価値が私にはある――そのことに、このちっぽけな魂がどれだけ救われたか」


 翼の細い手が、柊の両頬を優しく包み込む。

 うやうやしく捧げ持つように、彼の細い顎をそっと上へ向かせた。

 至近距離で見つめ合う翼の瞳は、青みがかった灰色の滲む不思議な色をしている。凄惨なまでに美しく、研ぎ澄まされた刃のような鋭さのあるまなざしだ。


「君は、私の英雄ヒーローだ」

「……翼」

「生まれてきた意味をくれた君のためなら、私は何も惜しくない」

「翼が怖くなくたって、俺は、発狂するのが怖いよ」


 見上げる柊の瞳は、強い不安と緊張で揺れていた。

 そんな彼を愛おしむように見つめたあと、翼は長いまつげを伏せて言った。


「発狂なんてしないよ、柊。臨界速ダブルギアは使わなくていい」

「え?」


 自分を奮い立てるように、翼は深く息を吸った。


「――私の左足を、君に捧ごう」


 言葉が終わらないうちに、翼の腰から脇差が抜かれる。

 両手で掴んだそれは、柊が止める間もなく、翼の左ふくらはぎへ突き立てられた。

 あがった叫び声は、誰のものだったのか――。


「ん……ぐっ」

「な、何やってんだよ、翼!」


 白尽くめのシーツの波間に、真っ赤な花が咲く。

 引き抜かれ、再び振りかざされる銀の刃。血飛沫を至近距離で浴びながら、夢中で怪我をしていない左手を脇差へ伸ばした。乱暴な手つきで揺さぶり、翼の手から脇差を奪い取る。床へ投げ棄てられた刃は、てらてらと赤く塗れていた。

 冷たい金属音。ベッドや医療機器がぶつかる音、荒ぶる二つの呼吸。


「馬鹿だろ、おまえ!」


 ふくらはぎの中ほどまで食い込んでいた刃が外れた途端、どくどく流れだす鮮血。シーツで傷口を押さえる柊の手が、震えている。

 それなのに、翼は痛みを堪えつつ微笑もうとした。


臨界速ダブルギアを使わなくても、私の足を移植して縫合すれば、君は歩けるようになる。後は、私が足の再生をするだけだ」

「そんな簡単なことじゃないでしょ!」

「奇跡の一つくらい、起こしてみせるさ――私と君が出逢ったことが、偶然でなくて必然ならば」


 病室のドアが開き、明彦を先頭に職員たちが駆け寄ってくる。

 振り向きざま、翼は太刀を抜こうとした。それに気づいた柊は、怪我をしていない左腕と右足で、背を向けた翼を羽交い絞めにした。


「せ、先生、榊先生! 早く、翼の足を――」

「放してくれ、柊。私は至って冷静だ」

「冷静だからヤバいんでしょ。この馬鹿っ」


 明彦たちも手伝って、よってたかって翼を抑えつける。

 翼はしばらくもがいていたが、やがて柊に抱きすくめられている事実に気づくと、急に大人しくなった。

 これ幸いと、明彦ともう一人の職員が、身を屈めて左足の刀傷を診察する。二人が専門用語で何か指示を出すと、すぐに手当てが行われた。

 縫合する医師へ何か指示を出しながら、明彦がわざとらしいため息を吐いた。


「……さかきくん。履いてるブーツが気に入らないからって、何も足ごと切り落とさなくたっていいんじゃないかい?」

「ジョークで笑う気分ではありません。私は、本気で柊に左足を――」

「はぁああ……佐東さとうくん、悪いけど、僕の代わりにうちの馬鹿息子・・・・をぶん殴っておいてくれる?」


 明彦は頭に手を当て、首を振っている。

 麻酔があまり効いてないのか、翼の額には汗が滲み、喉の奥から呻き声が洩れる。彼女の華奢な身体を受け止めながら、柊も深くため息を吐いた。

 しかし、先ほどまでの冷たい光がそのまなざしから消えている。


「馬鹿だよ、翼は」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

「誉めてるワケないでしょ、まったく、一ミリも!」

「…………でも、嘘じゃないんだ」


 抱きとめている肩が、小刻みに震える。

 翼の脇から入れて胸の前を通り、右肩へと抜けるように抑えつける柊の左腕。そのなかにすっぽりと入ってしまうくらい、翼の身体は華奢だった。

 それを意識すると、何だか妙にそわそわしてくる。


「ウソって?」

「私の左足を捧げることで柊が安心して戦えるというのなら、それでいい、と心から思っているんだ。今、この瞬間も――」

「地頭は悪くないのに、君って本当、お馬鹿さんだねぇ」


 翼の言葉を途中で遮ったのは、明彦だった。

 先ほど翼がやってみせたように、ベッドの上へ片足を勢いよく載せてみせる。翼の傷口を縫合している医師が、迷惑そうに眉をしかめる。しかし、ベッドの上の明彦の足は、退かされる気配がない。 


「比べてごらんよ。君の脚と、佐東くんの脚と、僕の脚……同じ人間でも、これだけ太さが違うんだ。肉質も、骨の太さもね」


 細く長くまっすぐな翼の脚。

 ほどよい肉付きの柊の脚。

 学者のはずなのに、無駄に鍛え上げられ骨太な明彦の脚。三者三様だ。


「……膝下の長さは、そこまで違わないよ」

「あのー、ナチュラルに俺の脚をディスるの、やめてもらえます?」

「そ、そういう意味じゃないよ」

「いやぁ、そういう意味にしかならないよねぇ? 榊くんのほうが、明らかに背が低いんだから。足の長さが同じってことは、佐東くんの胴が長……」

「榊先生まで俺のことディスるんですかっ」


 苦笑を洩らしながらも、柊はどこか安堵していた。

 動かない右腕も、膝下半分から先が失われたままの左足も。こうして翼や明彦とくだらない話をしていると、治ってしまいそうな気がする。

 もちろん、それはただの錯覚だ。

 相変わらず縫合したばかりの右腕は動かないし、このまま座ってても、足は生えてこない。それなのに、こうして華奢で温かな肩を抱いていると、何とかなりそうな気がしてきた。

 傍から見れば、翼は女子にしては背が高い。こうして服越しに感じる脇や肩にも、弾力のある筋肉が感じられる。それでも、男と女では筋肉の付き方も違う。

(たぶん翼は元々、筋肉がつきにくい体質なんだろうな……)

 細く長い首、骨格自体が華奢で肩幅もあまりない。

 父親である明彦が無駄に筋肉質なのとは対照的で、翼は、明らかに戦いに向かない体格をしている。

 それなのに、常に最前線で戦い、こうして柊に足を差し出そうとまでしたのだ。

 彼女が優しいから――それは、違う。毎年、何人もの隊員が戦闘不能の負傷をし、或いは死んで隊を離れていくのだ。そのたびに手足を差し出してきたわけではないだろう。

 では、なんのために?

 その問いの答えは、明確な言葉では与えられなかった。

 ただ、翼は恐らく、柊と同じく戦うことに自分の価値を見出してきたはずだ。それなのに、その生命線ともいえる片足を惜しげもなく差し出そうとした――その行動が、答えの全てなのかもしれない。

 温かな身体を抱きすくめるうち、何だか思考が変な方向にいきそうになる。さりげなく身体の前面に回した腕を外そうとすると、何故か翼は首を振って拒否した。


「すまない。縫合が終わるまで、このままでいてくれないか」

「麻酔、あまり効いてないの?」

「……柊が抑えていてくれるなら、我慢できる」


 強がりの言葉なはずなのに、なんだか急に翼が可愛く感じられてしまう。

 誰にも気づかれないように、そっと唾を飲み込む。

(いやいや、そういう雰囲気じゃないし。俺は一体何を考えて……)

 無理やり頭を切り替えようと、縫合されている傷へ視線を向ける。だが、傷口なんて見て面白いものではない。

 他にすることもないので、柊は翼の上体を抑えたまま時計を眺めていた。

 ややあって、縫合していた医師が縫合の糸を切った。


「終わりました、所長」

「助かったよ。それじゃ二人とも、今後の治療方針はご理解いただけたね?」

「はい?」

「何のことでしょうか」


 翼と柊は、肩越しに見つめ合い、首を捻る。

 ベッドから脚を下ろしながら、明彦は翼を指さした。


「君と佐東くんでは骨格の大きさからして違う。今後も含めて、佐東くんが負傷したからって、手足の移植は絶対しません。お分かりですか?」

「……分かりました」

「まったく。君は佐東くんのこととなると、すぐに我を忘れるんだから」

「――所長っ」


 耳まで赤くして叫ぶ翼を軽くあしらうと、今度は柊へ視線を移す。

 明彦は、眼鏡の奥の薄茶色の瞳で笑ってみせた。


「目が覚めたときと比べて、だいぶ落ち着いたかな?」

「そうですね。なんか、翼がやったことで毒気が抜かれた、っていうか」

「うん。これは、一つのヒントなんだよ」


 そう言って、明彦は発狂について説明する。

 発狂の兆候として、一つのことに思考がロックされる、というのがあるらしい。ダブルギアの場合、大概は戦闘中なので、「倒す=殺す」という言葉で頭がいっぱいになっていくことが多いらしい。


「そしたら、何か対策はあるんですか?」

「簡単さ。無理やり、まったく別のことを考えればいいんだ。例えば戦闘中なら、まるっきり違う場所で、戦闘とは無関係のことをしてるイメージをするんだ」

「ふむふむ」


 なるほど、と呟きながら、柊と翼は軽く顔を見合わせた。

 簡単にできることではないような気もするが、しかし道具が必要なものでもないから、やってみる価値はありそうだ。


「あ、でも俺、もう何年も訓練しかしてないから、戦闘と無関係な経験って少なくて……例えばどんなものを想像すればいいんですか?」

「草津の名湯に浸かりながら、地酒をつけてもらって一杯飲んでるとかさぁ」

「例えがおっさんすぎませんか」

「じゃあ、アンティークレースでできたオートクチュールの一点もののワンピースを着て、青山辺りの店をウィンドウショッピングとかさぁ……」

「例えが乙女すぎです。あと、そもそもウィンドウショッピング自体、地下世代の俺たちには分からないんですが」


 半笑いで言い返す柊を、翼はちらりと見た。

 二人とも、だいぶ落ち着いてきたようだ。すると、明彦は肩を竦めてみせた。


「お互いの話でもするといいよ。後はそうだな……地上を取り返したら、やってみたいこととかね」

「地上に取り返したらやりたいこと……」

「夢を語ることは、心の特効薬だからね」


 そこまで言うと、明彦は、それまで黙っていた翼の頭を優しく撫でた。まるで幼子をあやすかのように。


「というわけで、決まりだね。当分、午前の訓練の時間、榊くんはここへ来て、佐東くんの治療に付き合う。その間、榊くんの足の治療もしよう」


 そうでもしないと、無理やり訓練に参加して、足の怪我を悪化させるでしょ?

 全てお見通しな明彦の言葉に、翼は観念した様子で頷いてみせた。

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