第101話 蠢く灰色の闇

 前衛装備を着用した二十名の戦闘員たちが辿り着いたのは、第三シャッターを超えた先、最終防衛シャッター前の広場だった。

 普段なら、荷物を出し入れする人々で活気にあふれていたであろう入口は、固く閉ざされている。分厚い鋼鉄のシャッターも、厚さ五十センチを超える鉄筋コンクリート造りの壁も、鋭い爪や前歯で削られて満身創痍の状態だ。

 先頭グループを走っていた美咲みさきから、ヘッドギア内蔵通信機で指示が飛ぶ。


『敵影を視認。各班、まずはこの広場にいる【D】を殲滅してちょうだい。一班から三班は最終防衛シャッターを守って。四班と五班は、増援が出てくる通気口や配管を潰してちょうだい!』

「――了解」


 美咲の指示に従い、まずは三つの班、計十二名が突入していく。

 一番後ろを走るしゅうも、ようやく広場へ辿り着いた。戦況を把握するため、まずは全体を見渡す。その間も、耳障りな啼き声が絶えず聞こえてくる。

(広さは、小学校の教室四つ分くらいか――)

 自警団で地上演習を繰り返した身としては、小さな幼稚園の園庭くらい、のほうがしっくりくる。

 その広場の床が、全く見えない。

 びっしりと埋め尽くすだけでは飽き足らず、重なり合い、壁を伝い歩くその数は、千匹では足らないだろう。鼠たちは、キィキィ、と声をあげている。

 それは、縄張りを荒らす敵への威嚇の声か。それとも、大量に投下された餌を前にした歓喜の声か。

 鼠たちは、どれも小型犬ほどの大きさがあった。しかもその目は、不気味な血の色に輝いている――間違いなく、【D】だ。

 前に立つつばさが、すらりと太刀を抜く。抜刀の延長で切り捨てた個体は、すぐに光の粒子となって消えていった。事前情報の通り、雑魚相手ならば後衛の柊や西村にしむらでもなんとかなるだろう。一対一タイマンならば、だが。

 西村は、柊の背中に隠れるようにして引っ付いている。小型犬サイズもある鼠の群れを見て呟いた。


「なんやこれ。こんなデカいネズミがおるんか」

「だから、これが【D】なんだって」

「【D】は三体までしか同時出現せぇへん、って書いてあったやんか」

「だから、今回のは“特殊型”って説明されたでしょ」


(この人、説明を少しも聞いてないな……)

 西村は緊張しているのだろう。柊の二の腕辺りを摘まんでいる指は、小刻みに震えている。

(それでも、こうしてちゃんとついて来てくれてる)

 柊は自分の腰から脇差を抜くと、西村のほうへ振り返った。


「西村さんは、太刀を使おう。仲間に当たらないように振り回してれば、そう簡単には近づかれないと思うから」

「あんたは、そっちの短いのを使うん?」

「普段、後衛は脇差を使うから太刀の訓練をしてないんだよ。リーチは短くなるけど、慣れてるほうがマシだから……」

「ふふっ エース候補の怠慢やな」


 うるさいな、と返しつつ、飛びかかってきた個体を斬りつける。

 間合いの感覚が掴みきれず、首を落とすつもりが、胴体を斬りつけてしまう。訓練不足なのは否めない。こうしている間にも、あちこちの通気口や配管から、新たな増援が飛びだしてくる。

 先行する翼が、振り返って話しかけてきた。


「私達……は、シャッター……右側……る配管……気口を担当する。柊は、西村……離れな……をつけて」


 鼠の鳴き声が邪魔して、叫んでいるのに聞き取りにくい。

 それに気づいた翼は、通信機を切り替えるボタンを指さした。近寄ってきた一体を切り捨て、グループ通信へ切り替える。振り返ると、ちゃんと西村も後ろをついて来ながらボタンを操作している。


『私と柳沢は、それぞれ増援が多い個所を単独で受け持とう。柊と西村は、二人一組で動いてくれ。増援が多い場所ではなく、無理せず戦える場所を探すんだ』

「西村さんの体力優先だね」

『そうだ。状況を見て、広場内を転戦しても構わない。その判断は、柊に任せてもいいかい?』


 本来なら、転戦の指示は班長が下さなければならない。しかし、治癒力が低い翼には、そこまで気を回す余裕がないのだろう。

 班の先頭で交戦している翼の声には、既に緊張感がある。

 だからこそ、はっきりと返した。


「西村さんのことは、教育係の俺が責任を持つ。翼は、美咲さんの指揮に合わせた指示を出して」

『――すまない。それじゃ、柳沢やなぎさわ。私はそこのダクトを受け持つ。君は、もう少し奥の通気口を頼めるか?』

『へっ 秒で片づけてやるぜ!』


 小柄な身体を躍動させ、柳沢はザクザク奥へ進んでいく。一歩進むごとに鼠たちの悲鳴と血飛沫が上がり、すぐにそれは光となって消えた。

(柳沢さんって、十四歳で代理班長になるくらいだから、相当強いって分かってたけど。こうして見ると、かなり実力はありそうだ)

 負けてはいられない、と脇差を構えたところで、足に痛みが走る。

 慌てて床へ視線を落とすと、いつの間にか背後から忍び寄っていた個体が、柊の右足首へ齧りついていた。


「ちょ、このっ」


 慌てて左足で踏みつけるが、鼠は齧りついたまま離れようとしない。咄嗟に脇差で敵の背中を突く。

 だが、支給されている脇差は、六十センチしかない。それで床を這いまわる小型犬サイズの目標を突くとなると、前屈みにならざるを得なかった。

 突き刺した鼠が悲鳴をあげるのを確認した柊の背中に、ドスン、と何かが落ちてくる。それが何か理解するより早く、落ちてきたそれは、四つ足で背を登ってきた。

(――まさか、デコイ!?)

 振り落とそうと、勢いよく身体を起こそうとする柊の背中へ、更に幾つもの重しが着地する。それらは我が物顔でキィキィ啼くと、肩甲骨の下、左腕、背中……と、好き勝手に歯を突き立てた。


「あああああっ!」

「佐東っ」


 普通の人間なら、それだけで肉を持っていかれているだろう。

 しかし、ダブルギア戦闘員は神の加護を得ているおかげで、純粋な防御力が上がっている。一口では噛みきれないことに苛立ったのか、鼠の動きが一瞬、止まる。

 その隙に、柊は手近な壁へ背中から突撃した。

 ぐじゅり、と嫌な感触。もがく手足が背を掻く。ぼたぼたと泥が落ちるように逃げる暗灰色の生き物たち――ぬめる毛皮の感触に吐き気を堪えながら、壁へ背中を擦りつけていく。


「ギィイイイイイイッ」

「こ、の……とっとと消えろっ」


 背中にしがみつく一匹を殺す間にも、別の個体たちが飛びかかってくる。一匹は蹴り飛ばし、もう一方は脇差で斬りつける。やっと背中の感触が消えた頃には、新たな個体が駆け寄ってきていた。

(俺でさえこれなら、西村さんは――)

 はっと気づいて辺りを見渡す。すぐ近くの壁際に、黒くうずくまる何かが見えた。


「ウソだろ、西村さ……」


 慌てて駆け寄り、腕を掴んで抱き起す。八匹もの鼠が、西村の背中や足に齧りついていた。

 脇差を使う暇はない。鞘へ納め、両手で鼠たちを引き剥がしていく。当然、噛みついたまま引っ張るので、西村の肉は裂け、鮮血が噴き出した。


「や、やめて! 嫌っ 痛い痛いっ」

「――ごめん。後で謝る!」


 返り血を浴びながら、最後の一匹を引き剥がした。そうしている間にも、二人の足元には何十匹という鼠たちが集まってきていた。

 どの個体も、嬲りがいのある餌を前に、目を赤く輝かせている。

 柊は脇差を引き抜こうとして、それでは間に合わないことを悟った。

(くそっ 苦手だろうがなんだろうが、太刀も訓練しとけばよかった)

 舌打ちをしながら、太刀へ切り替える。

 いつもと違う感触と重さに、脳が危険信号を鳴らす。だが、武器を選んでいる場合ではない。周囲を見渡し、増援が少なそうなダクトを探す。


「西村さん、場所を変えよう。ついて来れる?」

「もう足の傷は治ったさかい、全力で走れるで」

「――こっちだ!」


 柊は、ヘッドギアの筋力補助セカンド・ギアを入れると、素早く西村の傍へ駆け寄った。小柄で華奢な彼女の胴体を両手で掴み、中腰になる。そのまま天井付近を走る配管目がけ、西村の身体を投げ上げた。


「配管にしがみつけ!」

「ひゃぁあああっ」


 まとわりつく鼠たちを斬り捨て、西村の行方を見守る。

 自分の胴体ほどもある黒い配管へ、西村はどうにかしがみついた。それを確認すると、柊は速度補助ファースト・ギアへ切り替え、無助走で垂直跳びをする。

(覚醒前、垂直跳びは八十センチくらいだった。けど、覚醒後は上昇バフされてるはずだ。その上で、速度補助ファースト・ギアを使えば、天井近くの配管まで跳べるはず――)

 予測通り、天井付近の配管が走る高さまで到達する。ひらりと身を翻し、一番近い配管へ着地した。

 すぐ隣で必死にしがみつく西村の手を、ぐいっと引っ張って助け起こす。ぜぇぜぇと息を切らしていはいるが、鼠を引き剥がしたときの傷は、既に消えていた。


「あ、あんたなぁ! 噛みつかれたまま引っ張ったら、肉が裂けるやろ!」


 いつもの調子で拳を握る西村へ、柊は応じなかった。

 上から見下ろす状態で、広場全体を観察する。普段なら慌てて謝るだろう柊の変化に、西村は手を下ろした。


「見て、西村さん。すごい数の増援だ」

「ほんまや……穴という穴からネズミの大行進や」


 奥に位置する最終防衛シャッター前には、一班から三班が配置されている。

 ヘッドギアの機能で、仲間の名前を確認できるモードへ変えた。フェイス部分に、それぞれの隊員の名前が表示される。

 前衛最強と言われる伊織いおりや、前衛にスイッチできる黒木くろきも、シャッター前で奮闘している。だが、あの黒木でさえ周囲をかき乱す余裕はないのか、黙々と刃を振い続けるばかりだ。

(このままだと、コアを探しにいけるのは何時間後になるんだ?)

 隣にいるのは西村だけだ、と確認すると、柊は榊へ個別通信を入れた。


『――私だ、榊だ』

「先に、許可をお願いしておきます」

『聞こう』


 ぐっとくちびるを噛み締め、息を吸う。

 覚悟を決めてるはずだが、それでも切り出すには勇気がいった。


「誰か一人でも戦闘不能が出たら、臨界速ダブルギアを使います」

『……異論はない。だが、ヘッドギアの表示を見れば、君が臨界速ダブルギアを使っていることは、一目瞭然だ』


 臨界速ダブルギアを使ったのに正気を失わずに済んだ、と知られれば、柊が加護を得ている神が、天照大神アマテラスオオミカミではないことはバレる。

 そうすれば芋づる式に、男であることや、妹になれなかった少女の魂と長年共存していたことも、全て日の目に晒されるだろう。

 後ろ盾の神が違うなら、【D】とどう違うのか、と恐れられるかもしれない。

 女と偽っていたのか、と軽蔑されるかもしれない。

 本当は正気に戻っていないかもしれない、と命を狙われるかもしれない。

(でも、あそこで戦う誰かが死ぬほうが、きっと俺はつらい)

 明彦あきひこが教えてくれた、二者択一の選び方を思い出し、柊は唾を飲み込んだ。


「だから、ギリギリまで使いません。俺にタイミングを決めさせてください」

『分かった』


 榊は軽く息を吐いてから、その先を続けた。


『その上で、だ。佐東……君がもし最後までそれを使わなかったとしても、君の責任は問わない。全ては、君に判断を委ねた私の責任だ――憶えておけ』

「了解」


 通信を切り、隣に座る西村へ顔を向ける。

 西村は下界に広がるうごめく床を、何も言わずに見つめていた。

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