第49話 八つ首の悪魔
内閣総理大臣と
「君は、新しく発足する部隊の指揮官として、世界を救うのだ。日本のみならず、世界中から称賛と尊敬の言葉が君に贈られるだろう」
「世界って」
「人類を救った男として、歴史は君の名を永遠に刻むだろう」
川のほとりとはいえ、七月ともなれば、立っているだけで汗ばんでくる。
差し出された水は、とても美味しそうだ。クーラーボックスから出したばかりだから、よく冷えているだろう。走り続けたせいで、喉はカラカラだ。キャップを開けてキンキンに冷えた水を一気に呷ったら、どんなに心地よいだろうか。
乾いたくちびるを噛みしめる
「居場所がほしい、と君は私に言った。安心できる場所がほしい、とも。私がそれを与えよう」
基地へ視察に来た長谷部へ、柊は確かにそう言った。
「私が、国内外のやりとりを引き受けよう。君は戦闘を引き受ける代わり、英雄としての称賛を手に入れる。さすれば人類は、君を受け入れ、愛し、尊敬し、誰もが君の居場所を自分の隣にしようとするだろう」
居場所がほしかった。
だからこそ、真面目に訓練を積み、危険な任務も断らなかった。必要とされる人間になれば、誰かが自分を受け入れてくれるのではないか――そう願ったからこそ、酷い扱いをされても受け流してきた。
その願いは、ダブルギアの基地へ来て以来、少しずつ報われつつある。
エース格の一班へ配属され、初陣でトドメを刺し、国営放送に顔出し出演した柊を、大半の隊員は“頼もしい新人”、として受け入れつつある。
(仲間だ、って最初に言ってくれたのは――
彼女は、柊が力を借りている神が違うことも、性別が違うことも全て承知の上で、仲間として受け入れてくれた。
たくさんの“誰か”からの称賛と引き換えに、そんな翼を見捨てるのか。
翼が信じる榊を裏切れるのか。
翼が背負う二十二名の命を、犠牲にできるのか――。
柊は、俯いたまま首を振った。
「できません。誰かを使い捨てにして、自分だけが得をするなんて」
「まあ、君はそう答えるだろう、とは思ってはいた」
身を固くする柊へ、長谷部は低い声で続ける。
「愚かな君のため、私がお膳立てしてやった。さすがの君も、守るべき相手がいなくなれば、諦めもつくだろう」
長谷部が手を伸ばす方角へ、振り返る。
北の空は、相変わらず赤く染まっている。火災は、まだ消し止められていないのだろう。つまり、戦闘は続いている。ここに【D】がいないのなら、今すぐ翼たちと合流しなければならない。
そう言おうとした柊へ、長谷部は淡々とした口調で伝えた。
「あそこにいる【D】は、大蛇型ではない」
「大蛇型じゃない?」
「ヘビと言えばヘビだが……神獣クラスの中でも、とりわけ大きな損害を小隊へ与えたことのある、“
「――っ!」
それにまつわる話は、基地へ来てから何度も耳にしている。
三年前、多くの戦闘員を殺し、生き残った隊員に絶望的なトラウマを残した史上最悪の【D】――それが八岐大蛇だ。
しかも今回は、出現から既に四十時間近くが経過している。個体成熟が進み、三年前よりも危険度が上がっているのは明らかだ。
「戦闘が開始されて、一時間半か。そろそろ本隊は全滅する頃だろう」
「そんな……」
「戦闘員が全滅となれば、責任感の強い榊二佐は自ら戦場へ立つだろう。二十歳以上でヘッドギアを使えば数分後には発狂する、と知った上でな」
それは、先代小隊長の
当時、最年少の戦闘員としてその一部始終を目撃した榊ならば、きっとそれを思いつくだろうし、やり遂げるだろう。
思わず走りだした柊の背後から、金属音が鳴り響く。
振り返ると、長谷部の部下たちが無言で銃を構えていた。七人の部下たちを侍らせ、長谷部は醜悪な笑みを浮かべた。
「ダブルギアは、本日の戦闘において、佐東一尉を残し全滅する。君は、たった一人で敵を撃破し生き残った“悲劇の英雄”として、新しい組織の隊長となるのだ」
握りしめた柊の拳が、ぶるぶると震える。
「俺は戻ります。仲間が危険な目に遭っているのを、見過ごすわけにはいかない」
「もう、間に合わんよ」
「間に合わないかどうかは、やってみなきゃ分からないじゃないか!」
ヘッドギアを被ろうとしたところで、突如、腹に強烈な衝撃を受けた。
鈍くなった感覚の外で、タン、という短い破裂音が聞こえる。ゆっくり視線を落とすと、戦闘服の腹部に小さな穴が開き、そこから鮮血が噴き出すのが見えた。
「…………何、これ」
撃ったのは、長谷部の傍らに立つ部下だった。
だが、長谷部はそれを咎めるでもなく、他の部下たちへ軽いジェスチャーで指示を出す。あらかじめ用意されていたと思しきパイプ椅子とテーブルが置かれ、その上に応急処置の道具が並べられていく。
遅れてやってきた激痛に、柊は膝から崩れ落ちた。地面へ這いつくばりながら、大人たちを見上げる。
彼を見おろす八つの影は、まるで八つの鎌首を持つ大蛇のようだ。
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