第50話 立ち上がる理由

「……くそっ あああっ」


 痛みを堪えきれず、叫び声をあげてのたうち回るしゅうの前に立つと、長谷部はせべは新たな煙草に火をつけた。


「ヘッドギアを使用しなければ、たとえダブルギアであろうと、【D】に効果的なダメージを与えることはできない。逆説的に、生身の君ならば、こうして人類の重火器でも攻撃が通じるのだよ」

「どうして、撃った」


 もだえ苦しむさまを冷めたいまなざしで眺め、煙を吸い込む。


「安心したまえ。ヘッドギアを被っていなくても、高い自己治癒力は持続する。腹に一発食らった程度で、ダブルギアは死なない」


 煙草をくわえると、長谷部は柊の顔の近くへ腰を下ろした。中腰の姿勢で顔を覗き込む。ふぅ、と白い煙が吹きかけられ、柊は激しく咳き込んだ。


「腹の傷が治ったら、戦場へ向かいたまえ。その頃には君の仲間たちが、敵の戦力を削いでくれていることだろう。君が臨界速ダブルギアを使えば、多少時間がかかろうとも【D】は倒せる」

「なんで、こんな酷いことを」


 分からないのかね、と呟き、長谷部は肩を竦める。


「死んだ妹に頼りきりで決断も判断もできない君のために、私が選択肢を一つに絞ってあげたのだよ。生きていくということは、ときに自らの手を汚すことも必要だ。腹を括って、一人前の男になりたまえ、佐東一尉」


 銃創を中心に、黒い軍服は血でべっとりと濡れている。腹だけでなく背中も痛い。

 痛みと不安と怒りで精神が不安定になり、荒い吐息に泣き声が混じりかける。何か言い返したくても、脳は怒りと恐怖で真っ白に焼きついていて、論理的に考えることさえ難しい。


「今一度、言おう。私の配下に入りたまえ。私に従うと誓うならば、君の命と名誉、世界中からの称賛を保証しよう。君こそ、ただ一人の英雄なのだ。出来損ないの英雄もどきなど、使い捨てにすればいいのだよ」


 長谷部は初めて会ったときと同じ言葉を口にし、自らの勝利を確信した笑みを浮かべる。

 選択肢は一つしかない。ここで柊が申し出を断ったところで、恐らく翼たち戦闘員は助からない。そして長谷部の言うように、隊が全滅した場合、榊は自らの命を賭して【D】を倒そうとするだろう。

 仲間だけでなく小隊長の榊も死ねば、柊の拠り所はなくなる。どうせ全て終わるのなら、長谷部の配下に入り、新しい組織の幹部になった方が利口だ。

 そうでなければ、今度は柊が使い捨てにされる立場になるのだから。


「ああああっ」


 激しい痛みとやりきれない想いを持て余し、拳を地面へ叩きつけた。

 自分の身体から流れ落ちた血で黒く汚れた地面を何度も叩いても、言い返す言葉が見つからない。絶望で荒れる柊を見おろし、長谷部は低く穏やかに囁きかけた。


「そこで頭を冷やしたまえ。君の気持ちが固まったら、傷の手当てをさせよう」


 長谷部はそう言うと立ち上がり、ジープの方へ移動した。

 一人残された柊は、地面に這いつくばったまま川のせせらぎを聞いていた。倒れた弾みで、ヘッドギアは草むらへ転がってしまった。せめてあれを被れば、痛み止めが効いて楽になるのに――だが、この状況でそんな許可が下りるはずがない。長谷部へ忠誠を誓えば、別の話だろうが。

 耐えがたい痛みに呻き声を洩らしていると、柊を監視する男たちの会話が聞こえてきた。


「あまり近寄るなよ。そいつ、元自警団の偵察班だったそうじゃないか」

「構うものか。予備科時代の成績を見たが、弓術はオールAだが、剣術や格闘は大したことなかった。二人で監視していれば十分だ」

「はっ 弓が無ければ、ただのガキか」


 嘲笑に、予備科時代の罵倒が重なる。

 歯を食いしばって痛みに耐えていると、男たちは柊が反抗しないことを悟ったのか、更に言葉を続けた。


「それなのに、頼みの綱の弓矢まで自分で手放したのか」

「しょうもない甘ちゃんだな」


 橋を渡るとき、男たちは武器を置くよう、強く要求した。

 長谷部は、初めからこの展開を想定していたのだろう。そんなことも知らず、まんまと相手の思惑に乗せられてしまった。

 くちびるを強く噛みしめる。このまま長谷部の狙い通り、傷が塞がるまで地に伏し、時間切れを待つだけなのか。

 翼の力になりたい、と告げたのは何だったのだろう。戦場にいる彼女は、今まさに助けを求めているかもしれないのに。

 逆流した血が口に溢れ、一筋零れる。口に広がる錆の味にむせながら、情けなくて泣きそうになった。

 それに気づいた別の若い男が、応急手当の準備をしながら淡々と諭す。


「無駄な抵抗はやめることだ。腹部を銃撃されたら、ダブルギアでもすぐには動けないと聞く。おまえの悪あがきが終われば、独りで目標と戦わなければならないのだ。安静にしてろ」


 戦場へ駆けつけることはおろか、立ち上がることさえ満足にできないのか。

 声にならない悔しさに思わず目を閉じる。すると、数週間前、翼が口にした言葉が脳裏に蘇った。

――その程度で膝をついていたら、現場指揮は務まらない。私には、現場指揮官には、どんな戦況でも立ちあがる義務があるんだ。

 頭の奥で蘇った言葉に突き動かされるように、柊の目が開く。


「……この程度で、膝をついていたら、現場指揮は務まらない」


 身をよじり、ゆっくりと上体を起こす。痛みを堪え、深く息を吐きながら、近くに置かれたパイプ椅子にしがみついて立ち上がる。黒い戦闘服に広がる染みが、再び滲み始めた血で色を濃くするのも構わず、柊は足を前へ出した。


「他には誰もいない。だったら、俺がここの現場指揮官だ」


 長谷部の部下は、柊が逃げ出すのを見越してヘッドギアを拾い上げた。しかし、柊が向かったのはそちらではなく、ジープの傍らに立つ長谷部を見据えている。


「……現場指揮官は、どんな戦況でも立ち上がる義務がある――そうだよ、翼。その言葉がどれだけ重い言葉なのか、俺はようやく分かった」


 口元や腹部を血で汚した柊の姿に眉をひそめ、長谷部は無意識に下がった。

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