英雄の正体
第4話 貧乏くじか、宝のくじか
関東圏にある
ガタン、ゴトンとリズムを刻む線路。狭い座席と、灰色の車窓。柊が乗せられているのは、普段は物資の輸送とダブルギアの出撃にしか使われない“地下鉄”だ。
政府が秘密裏に作っていたのは、本州の各都道府県に点在する地下シェルターだけではない。それらを繋ぐ地下鉄網は、文字通り“日本の生命線”だ。普段、輸送業者以外は使うことのないその地下鉄に、柊は揺られていた。
「傷は痛むかい?」
話しかけてきたのは、壮年の自衛官だ。軽く笑いかけながら、ボックス席の正面へ腰かける。柊は自衛官からそっと目を逸らし、首を振った。
「肩は痛いですけど、平気です」
「そうか。襲撃されたシェルターの補修用物資の運搬が優先だそうだから、現地へ到着するまで、まだまだかかるぞ。食べられそうなら、少し腹へ入れておくといい」
「…………はい」
ぬるい茶で、折り詰め弁当を無理やり胃へ流し込む。
無言で咀嚼しながら、他にすることもないので昨日からの流れを思い返していた。
ダブルギアの少年と別れたあと、かなり長い時間、あの場に座っていた。太陽が傾いた頃、ようやく自衛隊のジープが救助してくれた。
自衛隊の救護班に医者がいたので、肩の傷を治療してもらうことになった。【D】の爪で深く抉るように切り裂かれた傷。腕がもげるのでは、と思うほど強烈な一撃を思い出すだけで、身震いするほどの恐怖がこみ上げてくる。
しかし、何の手当もしていないのに血は止まりかけ、千切れる寸前だった腕の神経も繋がりつつあるのか、指を動かせるようになっていた。やがて痛覚が戻ってくると、それまで平気な顔で診察されていた柊は、激痛に悶え、診察台から転がり落ちてしまった。
ところが、そんなありえない状態に驚いたのは彼だけだった。自衛官たちは、既にダブルギアから報告を受けていたのだ――新たな覚醒者を保護し、自分たちの基地まで護送してほしい、と。
柊に拒否権はなかった。
既にIDは移されていて、仕事や配給もダブルギアの基地でしか受けられない。持ち物は、右手につけたままの
その状態で、数十名の自衛官に護衛されて移動している。護衛は建前で、柊が脱走しないように、というのが本音だろうが。
『次のニュースです。今回の【D】による災害における被害状況について、現地からの報告をお送りいたします』
小さなポータブルテレビが、窓際の台へ置かれている。
テレビと言っても、チャンネルは国営放送しかない。それに、内容のほとんどが【D】の災害にまつわる話と天気予報、たまに政治関連のニュースが流れるだけ。
画面に映し出されたのは、柊が生まれ育ったシェルター周辺景色だ。半壊した街並みを眺めながら、自衛官が話を切り出す。
「あー……知りたくないかもしれないが、一応、報告があったから伝えておくよ」
「なんですか?」
「君の通信機を、故意に切断していた件でね。君の班のリーダーは、一般偵察員へ降格されたそうだ」
それを聞いても、柊は箸を止めなかった。
軟らかく煮た里芋を咀嚼したあと、乾いた笑みを口もとへ貼りつける。
「一時的に降格したって、どうせそのうち危険の少ない要人警護か何かに移動するんでしょ」
「それが、そうでもないのさ」
訝し気に眉をしかめた柊へ、自衛官は静かな口調で答えた。
「彼は、重大な規律違反を故意にやったわけだ。そんな信用のおけない人間なんて、どこの部署も必要としない」
「…………ふぅん」
「会話記録が残っていたんだ。彼が偵察任務以外に移動できる日は、もう来ないのさ。彼の命が続く限りね」
命懸けの任務を負う代わり、偵察部隊は好待遇が約束されていた。だが柊を罠に嵌めたあの男たちはその恩恵を受けることなく、永遠に化け物との鬼ごっこが約束されたということらしい。
しかしそれを聞いても、何も感じなかった。悔しいとか、ざまあ、だとか――そういうどす黒い念をリーダーたちへ感じるだけの余裕がない。
黙り込む柊を前に、自衛官は小さく頷く。
「自分のこれからのことで、手一杯って感じだな」
「そりゃあそうですよ」
「だよな。自分があの“
もう箸を動かす気分にもなれなかった。
肩の傷が恐ろしいまでのスピードで修復されているのも、【D】に追いかけられながら何キロも走って逃げ続けられたのも、神に選ばれた印らしい。
言われてみれば、思い当たる節はあった。
自警団の先輩たちに殴る蹴るの暴力を振るわれても、すぐに痛みが和らぎ、翌日には軽い痣が残っている程度で済んでいた。
いつからだろう、と思い返すと、死んだ妹の声が聞こえなくなった辺りからだった。てっきり、妹が天国から見守ってくれているのだろう、と思っていたが、実際には面識のない神様が、ひっそりと付き添ってくれていたらしい。
(俺、これからどうなるんだろう)
言いようのない不安に駆られ、柊は辺りを見渡した。台に置かれたポータブルテレビからは、相変わらずニュースが流れている。
『今回も特定巨大生物対策本部・第一小隊、通称“ダブルギア”の活躍により、多くの住民の命が救われました。ダブルギアをまとめる
画面では、七三分けの男性キャスターが喋っている。その横に、黒い軍服を着た少年たちのイラストが表示されていた。
ダブルギアの写真は、どこを調べても出てこない。教科書にも紹介文があるのに、その隣には、テレビと同じようにイラストが載せられているだけ。
英雄たちの素顔は、厚い神秘のベールで閉ざされている。
「自衛隊の人なら、ダブルギアを見たこともあるんですか?」
「いいや、君が初めてだよ。本当なら皆に自慢してやりたいけど、ダブルギア関連の情報は国家機密だからね。冥途の土産として、墓場まで持っていくさ」
「なんで、そんなに秘密なんですか? 悪いことしてるわけじゃない。むしろ多くの国民が、ダブルギアに感謝してるはずですけど」
すると、自衛官の男は目を細めてみせた。
「君は、ダブルギアについてどれくらい知っている?」
「……天照大神の力を
「自衛官の私でも、君と大差ないよ。他に知ってることなんて、東京にある地下シェルターのどこかが基地になっていて、そこから出撃していることくらいか」
(じゃあ、自分は東京へ向かっているのか)
そんなことを考えながらも、柊の疑問は次へ繋がっていく。
「やっぱり変ですよ。もっと情報を公開した方が、国民の士気も高まるだろうし」
「それは、子どもたちが戦っているからじゃないのかな」
柊は、その言葉に視線を上げた。
自衛官は、灰色の壁が流れていくだけの車窓をじっと見つめている。その目は、どこか遠くを眺めているようだった。
「ダブルギアのいない他国は、血眼になって日本人を略奪しようとしている。それを阻止するのが私たち自衛官の仕事だけど、敵は諸外国だけじゃない」
「……テロリストとか?」
「そう。敵は外だけじゃなくて、内側にもいるのさ」
いつの間にか、自衛官は窓に映る柊の横顔を見ていた。
人々が地下へ退避した後に生まれた世代を、人々は地下世代と呼んだ。彼らは成長ホルモンの乱れから、極端に中性的な容姿の子どもが多かった。紫外線を滅多に浴びないことや、シェルターの排気・排水処理が完璧でないことなどが原因として挙げられているが、これという打開策はない。
柊もその地下世代であり、極端に中性的な外見を持つ。
病的なまでに色白で、シミ一つないきめ細やかな肌。十五を超えても産毛しか生えていない柔らかそうな頬に、華奢な骨格。背が高く、声変わりもしているが、先ほど着替えたときに見えた腕や脛には、ムダ毛と言えるものがほぼ生えていなかった。
自衛官の男が柊に挨拶したときも、少年だろうと思いつつ、仮にこれが中性的な容姿の女子だ、と説明されたら信じてしまったかもしれない。
それくらい、地上世代の大人たちからすると、地下世代の子どもたちは性別が曖昧な容姿が多かった。
「ダブルギアに覚醒する明確な基準を公表すれば、世界各国だけでなく、日本中で子どもの奪い合いになるだろう」
「……それは、分かります。小学校のときから、教育エリアから絶対に出るな、って厳しく言われてたから」
「政府は、公式には『未成年の男児』という条件しか明らかにしていない。知ってるかい? 少年の行方不明者は、少女の二十八倍なんだ。つまり、それだけ多くの人間がダブルギアを狙っている、ということなのさ」
男は、テーブルに置いてあったヤカンから、コップへ麦茶を注いだ。柊のコップにも、ついでに
「そんな世界の希望と言うべきダブルギアと、こうして間近で話せるなんて、私はとてもラッキーなんだと思っているよ」
「……俺は、幸運だとは思いません」
口をつけた麦茶は、長旅のせいで生ぬるくなっている。
「偵察するだけでも、あんなに危険な目に遭ったんです。それを、今度は戦わなきゃいけないなんて……俺なんかにできるはずがない」
「そうかな?」
「どうせ、また貧乏くじを引かされただけなんだ」
ふと、視線を感じて顔を上げる。
意外なことに、壮年の自衛官は、悔しそうな笑みを浮かべていた。
「……その貧乏くじを引かせてください、どうか俺を選んでください、って何べんも何べんも神様に祈り続けてる男が、ここにいるんだよ」
「えっ」
「子どもたちにばかりつらい役目を押し付けておいて、自分はシェルター補修や災害救助しかできないなんてあんまりだ、ってね。そう願ってる大人は、たくさんいるはずだ」
自衛官は、手にした麦茶を一気にあおった。
「だから、胸を張って行っておいで。君を正当に評価しなかった奴らのことなんか忘れて。君を選んでくれた神様と、新しい仲間たちのもとへ――」
その言葉は、自信を失っていた柊の背中を押してくれた気がした。
「俺、行ってきます。ダブルギアになってきます」
それに答えるように、列車が大きく揺れた。
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