第5話 榊 翼《さかき・つばさ》
途中、何度も駅で停車し、地下鉄が基地へ到着したのは、夕方を過ぎた頃だった。
受付を済ませると、柊だけが入館を許可された。警備員でさえも、基地内には入れないらしい。柊は寝間着の入った紙袋を手に、送ってくれた自衛官へ頭を下げた。
受付はあるものの、建物名などは書かれていない。恐らく、ここがダブルギアの基地ということ自体、秘密なのだろう。自動で開いたドアだけでなく、廊下の天井や壁、床に至るまで黒で統一されている。
紙袋を無意識に抱きしめ、柊は中へ入った。
カツン、カツン、とブーツが音を立てる。鏡面仕上げになった壁に自分の姿が映った。【D】に切り裂かれたはずの肩の傷は、血が止まっている。血だらけの作業着で移動するわけにはいかないので、同タイプの灰色の作業着へ着替えていた。
頬に血が一筋。慌てて手の甲で拭う。
あのダブルギアの少年が首を落とした途端、【D】は光の粒子となって消えていった。飛び散ったはずの血液でさえも。ということは、頬についていたのは、自分の血だ。
少しほっとして、また歩き始める。
受付で教わった通り、エレベーターで地下九階へ向かう。
広いエレベーターに独りきり。慣れない浮遊感が、少し気持ち悪い。
やがて地下9階へ到着したエレベーターのドアが開くと、黒いジャージ姿の少年が待ち受けていた。
「あ……」
これほどまでに美しい少年を、柊は見たことがなかった。
艶やかな黒髪が縁取る細い顎。長いまつ毛が影を落とす白い肌。大きな瞳に、柔らかそうな桜色のくちびる。絵画から抜け出してきたような、どこか危うさのある美しさだ。
支給品の黒いジャージに隠れて、あちこち包帯が巻かれているのが分かる。特に、左目を覆う包帯が目についた。しかし、それさえも一つの装飾品であるかのように、少年は涼しい顔で微笑んでいる。
「お疲れさま。
その高く澄んだ声には、聞き覚えがあった。
間違いない。昨日、【D】から身を挺して守ってくれた少年だ。あのときはヘッドギアをしていたから顔は見えなかったが、その後の戦闘で怪我をしたのだろうか。
「声が同じだ」
命の恩人と知って、柊の声が幾分、明るさを取り戻した。相手の少年も、屈託のない笑顔で応えてくれる。
「昨日はよく頑張ったね。ヘッドギアの加速補助なしで、あれだけの距離を【D】から逃げ続けるなんて、現役の隊員でもできないことだよ」
どうやらあの黒いヘッドギアは、ただの防御用ではないらしい。
先へ進もう、と少年の手が前を示す。
「無我夢中だったし……昔から、足は速かったから」
「速いなんてものじゃなかったよ。人類が地下へ退避する前の世界なら、オリンピック候補選手だっただろうね」
「俺、体力しか取り柄がなくて」
「ここではとても良いことだよ。さ、小隊長室へ案内するよ。まずは、小隊長に着任の挨拶をしよう」
並んで歩きながら、少年は朗らかに微笑んでみせた。
「
任務中ではないためか、翼と名乗る相手は「わたくし」ではなく、「わたし」という一人称で話している。表情も気さくで、なかなか感じがいい。
しかし自衛官と接する機会の多い自警団にいた柊は、「現場での指揮」が何を意味するか、すぐ理解した。
「現場指揮官って、要するに、現役の隊員で一番偉い人ですよね」
(うそだろ……どう見ても俺より年下で、こんなに小柄で、骨格もまだできあがってない華奢な子どもが、百戦錬磨のダブルギアを束ねる現場指揮官なんて!)
神の力を借りているのだから、筋力だけで戦うのではないのかもしれない。しかし、化け物と戦う歴戦の勇士よりも、女性に人気の若手役者、と聞かされたほうが納得できる気品ある立ち姿だ。
「階級は、一尉相当ということになっているけどね。私達は軍隊じゃないんだ、上下関係なんて気にしなくていいよ」
そういえば聞いたことがある。
ダブルギアは、【D】が初めて出現した年に編成された内閣府直轄の部署だ。彼らは対人戦闘を行う軍隊ではなく、「災害対策本部」という位置づけらしい。
だが、民間人の寄せ集めだった自警団でさえ絶対的な縦社会だったことを思うと、俄かには信じがたい。
「君の名前は? 資料で読んだけど、自己紹介してくれないか」
「
「じゃあ、今年で16歳か」
「誕生日は冬だから、まだ15ですけど。あの……榊さんは?」
すると、相手はおかしそうに肩を揺らした。
「翼でいいし、敬語もいらないよ。私の方が勤続年数は長いけど、同級生の友達と話すようにしてくれていいからさ」
友達、という身近ではない単語に、柊の笑顔が強張る。
「……けど」
「そうだ。肩の傷はどうなった? ちゃんと自己回復しているかな」
「はい。まだ痛むし、どす黒くなってますけど。本当なら良くて腕切断、下手すれば痛みでショック死してたって」
「ちょっと、傷跡を見せてくれないか」
他人に身体を見せるなんて、と思ったが、長い廊下には二人の他に誰もいない。
何より、翼は命の恩人なのだ。意を決し、紙袋を床へ置く。作業着のボタンを外し、Tシャツ姿になる。すると翼は、それも脱げ、というようにジェスチャーをした。
(まあ男同士だし……2つ3つ年下だろうからいいけど)
しぶしぶ作業着を脱ぎ、Tシャツも捲りあげる。その動きで、思いっきり鈍器で殴られたような痛みが左肩に走った。
「あ、まだダメ、この動きできな……」
「動かないで!」
鋭い制止の声。思わず柊が息を呑むと、翼は露になった肩の傷をじっくり観察し、更に背中側へ移動した。肩甲骨の間を細い指が撫でる。
「あ、あの、く、くすぐったいし、肩が痛いんですけど」
「……やっぱり、間違いない」
「何がですか」
翼は元の位置へ戻ると、柊が服を着るのを手伝ってくれた。そうして、紙袋を手渡しながら話し始める。
「君は、『
「……つくよみのみこと? 何かの呪文ですか」
「君に力を貸してくれている神様の名前が、『月読命』というんだ」
その言葉に、ひっかかりを覚える。
移動中に自衛官と話している途中にも、似たような話題が出た。
――
柊の言葉を、自衛官の男も肯定した。
ダブルギアは、太陽の化身ともいわれる女神、
「じゃあ、翼さんたちは?」
「私も含め、残る23名全員が『天照大神のダブルギア』だ」
さぁ……っと柊の顔から血の気が失せていく。
難しいことは分からないが、とてつもなくまずい状況であることだけは感じる。
そもそも、ダブルギアと【D】は、その成り立ち自体が近い。
神の
「俺も『天照大神のダブルギア』じゃないんですか? そんな、一目で分かるわけ……」
「分かるんだ、絶対に」
そう言うと、翼は包帯で隠されていないほうの瞳で柊を見あげた。
細い指で自らの黒ジャージの胸元を少し下げると、真っ白な胸元の上部が覗いた。鎖骨の中央のくぼみから数センチ下に、「天」という字に似た小さな痣がある。
その痣の下には、また包帯が巻かれている。
一方、柊は翼の白い胸元へ釘付けになっていた。
(ほんの僅かだけど、膨らんでない?)
その視線に気づいたのだろう。
翼は頬を赤く染め、そそくさと襟元を直した。
「君の胸元には、この痣がない。正確には、痣は背中にある」
「ああ、さっき指で触ってた……」
「場所も違うし、痣の文字も違う。君の背中には、『月』とあったよ」
「え…………ええええっ!?」
慌ててもう一度、服を脱ぐ。肩が痛いことなど、どうでもいい。
鏡面仕上げの壁に背中を映すと、確かに背中の中央、肩甲骨と肩甲骨の間に、『月』と読める痣がある。
「ちょっと間違った場所に、痣が出ただけかもしれないじゃないですか!」
「違うんだ。君は、絶対に『天照大神のダブルギア』にはなれないんだよ」
「ど、どうして?」
絶望の表情で尋ねると、翼は腰に手を当てて答えた。
「
「…………は?」
理解が追い付かず、素っ頓狂な声が出る。
ダブルギアは、少年だけがなれる。それが世間の常識のはずだ。
それが、まさか――。
口もとを覆ったまま、柊は翼の全身をまじまじと見つめていた。
翼のことは、12、3歳くらいの子どもだろうと予想していたのだ。自分よりも10センチは低い身長や、声変わりしていない柔らかなボーイソプラノ、白くて柔らかそうな頬などは、成長期を迎えていない子どもの証ではなかったのか。
「私達隊員は、世間的には男として生きている。だけど性別としては、全員女子だ――君以外はね」
確かに地下世代には、極端に中性的な外見を持つ者が数多く生まれている。
しかし、ここまで中性的な者もそう多くないだろう。そうと言われるまで、男の柊から見ても、翼は美しい少年にしか見えなかった。
「……じょ、し?」
生まれて初めて見る
いや、翼は美青年というよりも美少年に見えるから、男装の麗人ではなく、「男装少女」というものかもしれない。
「じゃあ、月読って神様は、天照大神の味方なんですか?」
「そうだよ。ただ、天照大神のダブルギアと違って、覚醒条件がものすごく細かいんだ。君の前の覚醒者は、百年以上前まで
「じゃあ、本当に男の隊員は、俺一人なんですね」
翼の説明を聞きながら、柊はその場から動けなくなっていた。
女子しかいない中に、男が一人。
みんな同じ神様の加護を受けている中、自分だけ別の神様。
どう考えても、ハブられる未来しか思いつかない。未来どころか、今この瞬間も、目の前にいる翼がどう思っていることか――。
壁にもたれたまま、ずるずると座り込む。
戦うことへの恐怖は、今もある。けれども同時に、過去を知らない人たちとなら、一から人間関係をやり直せるかも、という期待も僅かに抱いていたのだ。
だが、それは同性だった場合だ。仲良し女子グループに乱入した男など、異分子扱いされるのがオチだろう。
翼は項垂れた柊の頭を眺めていたが、やがて軽く息を吐いた。
「ねえ、柊」
名前で呼ばれたことに、思わず顔を上げる。
いつの間にか、同じようにしゃがんでいた翼と目が合って、柊は何とも言えない居心地の悪さを感じた。こちらを忌み嫌っているようには、どうも感じられない。
「私達は、神の加護を受けたことで一般人より遥かに強くなったし、自己治癒能力も高くなったから、死ににくくはある。それでも、互いに助け合わなければ生き残れないんだ」
「……そうなんですか」
「ああ。だから、性別やここへ来るまでのことで、君を差別するような奴がいたら、私が絶対に許さない」
柔らかな手が、柊の痛くないほうの肩へ置かれる。
「ようこそ、ダブルギアへ。私は君が異性だとしても、別の神に選ばれし戦士だとしても、心から君を歓迎するよ」
その言葉に引き寄せられるように、柊は頷いていた。
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