第4話 榊 翼《さかき・つばさ》

 途中、何度も駅で停車し、地下鉄が基地へ到着したのは、夕方を過ぎた頃だった。

 受付を済ませると、柊だけが入館を許可された。警備員でさえも、基地内には入れないらしい。柊は寝間着の入った紙袋を手に、送ってくれた自衛官へ頭を下げた。すると自衛官も、笑顔で敬礼をして見送ってくれた。


 受付はあるものの、建物名などは書かれていない。ここがダブルギアの基地ということは、秘密なのだろう。自動で開いたドアも、廊下の天井や壁、床に至るまで黒で統一されている。

 紙袋を無意識に抱きしめ、柊は一歩、中へ入った。

 カツン、カツン、とブーツが音を立てる。

 鏡面仕上げになった壁に、自分の姿が映った。【D】に切り裂かれた肩の傷は、もう血が止まっている。さすがに血だらけの作業着で行くわけにはいかないので、同タイプの灰色の作業着に着替えている。

 血が一筋、頬についている。慌てて手の甲で拭った。

 そういえば、あのダブルギアの少年が首を落とした途端、【D】は光の粒子となって消えていった。飛び散ったはずの血液でさえも。ということは、頬についていたのは、自分の血だ。

 少しほっとして、また歩き始める。

 受付で教わった通り、エレベーターで地下九階へ向かう。

 広いエレベーターに独りきり。慣れない浮遊感が、少し気持ち悪い。

 やがて地下九階へ到着したエレベーターのドアが開くと、黒いジャージ姿の少年が待ち受けていた。


「あ……」


 これほどまでに美しい少年を、柊は見たことがなかった。

 艶やかな黒髪が縁取る細い顎。長いまつ毛が影を落とす白い肌。大きな瞳に、柔らかそうな桜色のくちびる。絵画から抜け出してきたような、どこか危うさのある美しさだ。

 支給品の黒いジャージに隠れて、あちこち包帯が巻かれているのが分かる。特に、左目を覆う包帯が目についた。しかし、それさえも一つの装飾品であるかのように、少年は涼しい顔で微笑んでいる。


「お疲れさま。また・・会えたね・・・・


 その高く澄んだ声には、聞き覚えがあった。

 間違いない。昨日、【D】から身を挺して守ってくれた少年だ。あのときはヘッドギアをしていたから顔は見えなかったが、その後の戦闘で怪我をしたのだろうか。


「声が同じだ」


 命の恩人と知って、柊の声が幾分、明るさを取り戻した。

 相手の少年も、屈託のない笑顔で応えてくれる。


「昨日はよく頑張ったね。ヘッドギアの加速補助なしで、あれだけの距離を【D】から逃げ続けるなんて、現役の隊員でもできないことだよ」


 どうやらあの黒いヘッドギアは、ただの防御用ではないらしい。

 先へ進もう、と少年の手が前を示す。


「無我夢中だったし……昔から、足は速かったから」

「速いなんてものじゃなかったよ。人類が地下へ退避する前の世界なら、オリンピック候補選手だっただろうね」

「俺、体力しか取り柄がなくて」

「ここではとても良いことだよ。さ、小隊長室へ案内するよ。まずは、小隊長に着任の挨拶をしよう」


 並んで歩きながら、少年は朗らかに微笑んでみせた。


わたしは、さかきつばさだ。君が所属することになる一班の班長と、現場での指揮を任されている」


 任務中ではないためか、翼と名乗る相手が「わたくし」よりも砕けた「わたし」という一人称で話した。表情も気さくで、感じがいい。

 しかし自衛官と接する機会の多い自警団にいた柊は、「現場での指揮」が何を意味するか、すぐ理解した。


「現場指揮官って、要するに、現役の隊員で一番偉い人ですよね」


(うそだろ……どう見ても俺より年下で、こんなに小柄で、骨格もまだできあがってない華奢な人が、百戦錬磨のダブルギアを束ねる現場指揮官なんて!)

 神の力を借りているのだから、筋力だけで戦うのではないのかもしれない。しかし化け物と戦う歴戦の勇士より、女性に人気の若手役者、と聞かされたほうが納得できる気品ある立ち姿だ。


「階級は、一尉相当ということになっているけどね。私達は軍隊じゃないんだ、上下関係なんて気にしなくていいよ」


 そういえば、聞いたことがある。

 ダブルギアは、【D】が初めて出現した年に編成された、内閣府直轄の部署だ。彼らは対人戦闘を行う軍隊ではなく、「災害対策本部」という位置づけらしい。

 しかし、民間人の寄せ集めだった自警団でさえ、絶対的な縦社会だったことを思うと、翼の言葉も、俄かには信じがたい。


「君の名前は? 資料で読んだけど、自己紹介してくれないか」

佐東さとうしゅうです。先月から自警団に就職して、主に和弓を使ってました」

「じゃあ、今年で十六歳か」

「誕生日は冬だから、まだ十五ですけど。あの……榊さんは?」


 すると、相手はおかしそうに肩を揺らして笑った。


「翼でいいし、敬語もいらないよ。私の方が勤続年数は長いけど、同級生の友達と話すようにしてくれていいからさ」


 友達、という身近ではない単語に、柊の笑顔が強張る。


「……けど」

「そうだ。肩の傷はどうなった? ちゃんと自己回復しているかな」

「あ、はい。まだ痛むし、どす黒くなってますけど。本当なら、良くて腕切断、下手すれば痛みでショック死してたって」

「ごめん、ちょっと傷跡を見せてくれないか」


 他人に身体を見せるなんて、と思ったが、長い廊下には二人の他に誰もいない。

 何より、翼は命の恩人なのだ。意を決し、紙袋を床へ置く。作業着のボタン外し、Tシャツ姿になる。すると翼は、それも脱げ、というようにジェスチャーをした。


(まあ、男同士だし……俺より、二つ三つ年下だろうからいいけど)


 しぶしぶ作業着を脱ぎ、Tシャツも捲りあげる。その動きで、思いっきり鈍器で殴られたような痛みが左肩に走った。


「あ、まだダメ、この動きできな……」

「動かないで!」


 鋭い制止の声。思わず柊が息を呑むと、翼は露になった肩の傷をじっくり観察し、更に背中側へ移動した。肩甲骨の間を細い指が撫でる。


「あ、あの、く、くすぐったいし、肩が痛いんですけど」

「……やっぱり、間違いない」

「何がですか」


 翼は元の位置へ戻ると、柊が服を着るのを手伝ってくれた。

 そうして、紙袋を手渡しながら話し始める。


「君は、『月読命ツクヨミノミコトのダブルギア』だ」

「……つくよみのみこと? 何かの呪文ですか」

「君に力を貸してくれている神様の名前が、『月読命』というんだ」


 その言葉に、ひっかかりを覚える。

 移動中に自衛官と話している途中にも、似たような話題が出た。


――天照大神アマテラスオオミカミの力を神降ろしダウンロードして戦う、護国の戦士ですよね。


 柊の言葉を、自衛官の男も肯定した。

 ダブルギアは、太陽の化身ともいわれる女神、天照大神・・・・の加護を得て戦う戦士――それは、小学校で習う一般常識だ。


「じゃあ、翼さんたちは?」

「私も含め、残る二十三名全員が『天照大神のダブルギア』だ」


 さぁ……っと柊の顔から血の気が失せていく。

 難しいことは分からないが、とてつもなくまずい状況であることだけは感じる。

 そもそも、ダブルギアと【D】は、その成り立ち自体が近い。

 神の御力みちからを借りて尋常ならざる力を手に入れる点は、まったく同じだ。その力を与えた存在が、人類に敵対しているなら【D】に、人類に味方している天照大神ならダブルギアになる。それだけの違いしかない。


「いや、俺も『天照大神のダブルギア』じゃないんですか? 一目で分かるはず」

「分かるんだ、絶対に」


 そう言うと、翼は包帯で隠されていないほうの瞳で、じっと柊を見あげた。

 細い指で自らの黒ジャージの胸元を少し下げると、真っ白な胸元の上部が覗いた。鎖骨の中央のくぼみから数センチ下に、「天」という字に似た小さな痣がある。

 その痣の下には、また包帯が巻かれている。

 一方、柊は翼の白い胸元へ釘付けになっていた。


(ほんの僅かだけど、膨らんでない?)


 その視線に気づいたのだろう。

 翼は頬を赤く染め、そそくさと襟元を直した。


「君の胸元には、この痣がない。正確には、痣は背中にある」

「ああ、さっき指で触ってた……」

「場所も違うし、痣の文字も違う。君の背中には、『月』とあったよ」

「え…………ええええっ!?」


 慌ててもう一度、服を脱ぐ。肩が痛いことなど、どうでもいい。

 鏡面仕上げの壁に背中を映すと、確かに背中の中央、肩甲骨と肩甲骨の間に、『月』と読める痣がある。


「ちょっと間違った場所に、痣が出ただけかもしれないじゃないですか!」

「違うんだ。君は、絶対に『天照大神のダブルギア』にはなれないんだよ」

「ど、どうして?」


 絶望の表情で尋ねると、翼は腰に手を当てて答えた。


女神・・の天照大神が選ぶのは、少女だけ・・・・だから」

「…………は?」


 理解が追い付かず、素っ頓狂な声が出る。

 ダブルギアは、少年だけがなれる。それが世間の常識のはずだ。

 それが、まさか――。

 口もとを覆ったまま、柊は翼の全身をまじまじと見つめていた。

 翼のことは、十二、三歳くらいの子どもだろう、と予想していたのだ。自分よりも十センチは低い身長や、声変わりしていない柔らかなボーイソプラノ、白くて柔らかそうな頬などは、成長期を迎えていない子どもの証ではなかったのか。


「私達は、世間的には男として生きている。だけど、性別としては全員女子なんだ――君以外はね」


 確かに地下世代には、極端に中性的な外見を持つ者が数多く生まれている。

 しかし、ここまで中性的な者もそう多くないだろう。そうと言われるまで、男の柊から見ても、翼は美しい少年にしか見えなかった。


「……じょ、し?」


 生まれて初めて見る男装の麗人・・・・・というものに、思わず声が高くなる。

 いや、翼は美青年というよりも美少年に見えるから、男装の麗人ではなく、「男装少女」というものかもしれない。


「じゃあ、月読って神様は、天照大神の味方なんですか?」

「そうだよ。ただ、天照大神のダブルギアと違って、覚醒条件がものすごく細かいんだ。君の前の覚醒者は、百年以上前までさかのぼるらしい」

「じゃあ、本当に男の隊員は、俺一人なんですね」


 翼の説明を聞きながら、柊はその場から動けなくなっていた。

 女子しかいない中に、男が一人。

 みんな同じ神様の加護を受けている中、自分だけ別の神様。

 どう考えても、ハブられる未来しか思いつかない。未来どころか、今この瞬間も、目の前にいる翼がどう思っていることか――。

 壁にもたれたまま、ずるずると座り込む。

 戦うことへの恐怖は、今もある。けれども同時に、過去を知らない人たちとなら、一から人間関係をやり直せるかも、という期待も僅かに抱いていたのだ。

 だが、それは同性だった場合だ。仲良し女子グループに乱入した男など、異分子扱いされるのがオチだろう。

 翼は項垂れた柊の頭を眺めていたが、やがて軽く息を吐いた。


「ねえ、柊」


 名前で呼ばれたことに、思わず顔を上げる。

 いつの間にか、同じようにしゃがんでいた翼と目が合って、柊は何とも言えない居心地の悪さを感じた。こちらを忌み嫌っているようには、どうも感じられない。


「私達は、神の加護を受けたことで一般人より遥かに強くなったし、自己治癒能力も高くなったから、死ににくくはある。それでも、互いに助け合わなければ生き残れないんだ」

「……そうなんですか」

「ああ。だから、性別やここへ来るまでのことで、君を差別するような奴がいたら、私が絶対に許さない」


 柔らかな手が、柊の痛くないほうの肩へ置かれる。


「ようこそ、ダブルギアへ。私は君が異性だとしても、別の神に選ばれし戦士だとしても、心から君を歓迎するよ」


 その言葉に引き寄せられるように、柊は頷いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます